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落下する速度が速くなって、恐いので目を閉じた。
ぼよよーん。
「あれ?」
体が何か軟らかい布に当たって、衝撃を吸収してくれた後、ボールのように軽くはずんだ。
トランポリンのようなかんじ。
何回か、はずんだ後その布の上にあおむけに身体が制止した。
このトランポリン、長方形の形をしているよな。
「お客さーん。大丈夫ですか?」
尻の下で声がした。
体をうつむせにして、端から顔を出し、下を覗いた。
驚いたことに俺が乗っかっているのは、バスの天井だった。
宙に浮いていることと、このトランポリンの屋根を覗けば、俺が知っているバスとほぼ同じ。
運転手と目が合った
「あ―、俺、バイクから振り落とされちゃって、」
「ええ、月に何度か上から落ちてくる方がいる事は、先輩方から聞いています。あなたは、私の第一号の天上のお客さんです。」
「はあ、」
運転手はにっこり笑うと、くつろいでいて下さいと言って運転に集中し始めた。
中を覗くと、お客は3人。
初老の男性と、
猫を連れた主婦らしい人と、
幼稚園の制服らしいものを着た坊や。
男性と、主婦は珍しくもなさそうな表情で俺を見た後、目をつぶって寝る体勢に入った。
紺のセーラーに短パンの坊やはじーっと俺を見たまま表情を強張らせていた。
「なんか、俺の顔についてるか?」
「ついてなかったらのっぺらぼうだろ」
馬鹿じゃないか、といった声と表情で俺を一瞥すると、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「へーへー、さいですね。」
かわいくないガキ!
でも、いたな。
俺の園児時代にこんな風な、生意気ながきんちょ!
夕貴が来てくれるんじゃないかと、上を見た。
来ない!
しばらく見ていたがいっこうに来ない。
顔を上げて見ていたので、首が痛くなった。
今度は、あおむけに寝て待つことにした。
「俺、金持ってないぞ。早く来いよ! 無賃乗車になるじゃないか」
運転手の前にあったメーターは速度メーターだろうか、
だとしたらMOに振り落とされた速度とあんまり変わらなかったな。
車体が大きいぶん速く感じない。
夕貴も、バイクじゃなくて、車を買えばいいのに。
車だったら振り落とされなかっただろうな。
バスが空を走っているくらいだ。車だって空を飛んでるんだろう。
がばっと起きて、周りを見た。
下も見た。
バイクも、車も走ってそうになかった。
ここはバスの専用路線かな?
「う~ん。車の陰も形もないな。」
「小型車は150前に廃止された。動くだけで公害と事故製造機だったらしいな。」
あれ?夕貴、いつのまに。
バスと並行して、夕貴が走っていた。
「でも、バスや、バイクも同じガソリン車だろ」
「この世界にガソリンは存在しない。あるのは戦争で排出された大気中の大量の電磁波だけだ。乗り物はすべてこの電磁波を利用して動く」
「MOも?」
「そうだ。」
「それで、MOは?」
夕貴の周りを見回したが、MOの姿がない。
「メンテ中だ。まったく、無茶な走りをして」
「あんたがさっさと行っちまうからだろ。俺は動かし方だってよく知らないんだからな!」
「だったら、大人しくMOに任せておけば良かったんだ」
「仕方ないだろ!! あんたに負けたくなかったんだから」
身を乗り出して、夕貴に怒鳴った。
「ぷっ、正直なやつ」
怒って、また置いてけぼりを食らうかと思った。
でも、夕貴はそうしなかった。
笑った。
初めて夕貴が笑った顔を見た。
こっちの方が断然いい。
そう思ったら、言わなきゃいいのについ言ってしまった。
「なんだよ、笑えるじゃん」
とたんに、眉間にしわを寄せて、また、睨まれた。俺って考え無し。
「俺の後ろに飛び乗れ」
「え? 乗せてくれるの」
「仕方ないだろう、MOのメンテは後30分程かかる。俺達は後2時間で仕事に行かなきゃならないんだ。余計なことは早く済ませる必要がある」
「余計な事だってぇ!」
「勘違いをするな。俺とお前の価値観は違うんだ。お前にとって重要でも、俺にとってはなんの関係も無いことだということが解らないほど、子供じゃないだろ?」
「う、」
夕貴のいうことは当然の主張だった。
ぐうの音もでないとはこの事だろうな。
喜多にやり込められた時のようだった。
確かに、俺の都合に付き合ってくれているだけだ。
感謝されこそすれ、文句いわれる筋合いはないよな。
俺は、メットをかぶリ直して大人しく夕貴の後ろに乗った。
夕貴は自分で運転していた。
俺のようにバイク任せでないことに、ちゃんと前に埋め込んであるコンピュータの操作を慣れた手つきでして、徐々に加速しながらバスから遠ざかった。
乗車賃は要らなかった。
そんなことをしたら、休憩している鳥からももらわなくてはいけなくなると言われた。
なるほど、そうかも。
そうして、空以外何も見えない所を10分ぐらい走っただろうか、
「下降するから、しっかり捕まっていろ」
言葉の通りの急下降で、すごいGがかかった。
俺は心の中で悪態をついて、歯を食いしばり、夕貴の背中に張りついて耐えた。
「目を開けてみろ」
「あ?」
「もうすぐ五月山だぞ」
「え?ほんとうか!」
「ああ、それからな。もう、重力はさほどかかってないから、そんなにしがみついてなくてもいいんじゃないか?」
ちょっと、振り向いた夕貴の顔には意地悪い目があった。
「これって、俺に対する報復か?」
「俺はね、よく人から、性格が顔に反比例しているといわれるんだ。了以」
最後の『了以』の所は不自然なほど優しい。
奇麗な奴って、性格悪い
喜多も多少、いや、かなりきわどい性格だったが、夕貴も負けてない。
「下に何か見える!」
今までは、上も下も空の色だけだった。
今は、下にビルのような建物が小さく見えていた。
「ああ、なんかほっとするよな」
「何がだ?」
「いや、どんなシステムかは分からないけど、夕貴の家や近所には空に浮いた家しかなかっただろう。それに、今まで走っていて上も下も空だった。地上っていうものが無いんじゃないかと思ったんだ」
「それは、ある意味間違ってないな。」
「え? だって、あれは地上だろ?」
「人工島だ。名前はドーム4。昔の日本という島国にあった、大阪と言う町程の大きさしかない。お前が下も空だといったが、下は一面海なんだ」
「な、にいってんだよ。そんな訳ないだろ。」
「五月山に行けばわかるさ。前を見てみろ、もう山が見えているだろう」
夕貴の右肩越しに前を見た。
山のてっぺんらしい、三角の形容が見えた。
確か、五月山には頂上にアンテナが立っていた。
しかし、今見える山の頂上には、どんなにじっと目を凝らしてみても、そんなものは見当たらない。
「なあ、アンテナは? 山のアンテナの近くで喜多と落ち合うことになってたんだけどな」
夕貴は答えなかった。
それが、意味するものはすぐにわかった。
山を目前にした時、俺は自分の目を疑った。
山がそこにあるのかどうか、実際にはわからない。
俺が遠目から見た山は、山の輪郭をした緑色のシートだったからだ。
「これ、なに?」
間抜けだったが、俺が正気に戻って聞けたのはその一言だけだった。
「これが、今の五月山だ。このシートは特殊シートで、山の表面ばかりじゃなく、根っこの部分までしっかりと覆われているんだ。俺が生まれた時には、もう、この山はこの状態だ。
博物館にある写真には、ちゃんとした山の頂をしている五月山が写っているがな」
「俺、よくわからないんだが、このシートは何の為にしてあるんだ?」
「放射能除けだ。外に放射能が及ばない様にしてあるんだ」
「放射能? って五月山には原発の施設なんて無かったぞ」
「回転が速いな。だが、原発事故じゃない。百年前の世界大戦のせいだ。」
「さっきも大戦がどうのって言ってたな?」
「2200年1月からその年の9月までに起こった大戦だ」
「俺は、しらない。俺は見た事もない」
「当たり前だ。お前が生まれる前だ」
「俺は2000年生まれだ」
「了以。今は2270年だ。お前は270才か?」
「冗談だろ?」
いや、冗談なんかじゃない。
俺は、変なバイクに乗って、空を飛んでいるし、家が空中に浮かんでる。
アンドロイドの女が普通の人間と見分けがつかないし、五月山は見る影もない。
すべてが夢でなく、現実?
お決まりのようだが、頬をつねる。
テレビなんかで現実かどうか確かめようとして頬をつねる役者を見ては、そんなことしなくてもわかるだろ!って思っていた。
でも、つねって痛みを感じ無いことには、現実だと確認できない事もあるもんなんだな。
俺は、きっと自宅のベッドで、ぐうぐうといびきを掻きながら眠っているに違いない。と思いたい。
しかし、つねったままの頬がひりひりと痛い。
緑の山の絵を描いたシートは、風がふいても揺れないし、木々は鮮やかな色をしているが、見れば見るほど物悲しい。
「了以。行くぞ」
なんだか、悲しい。
無償に、悲しい。
あの、桜でいっぱいの五月山がもうないのかと思うと、胃が熱くなって、キリキリと痛い。
喜多と約束したのに。
喜多の誕生日には、この五月山で一日を過ごして祝おうって。
こんなに変わり果てた山じゃ、喜多との約束は果たせない。
喜多?
「そうだ! 喜多は? それじゃ喜多はどこにいるんだ」
「おい! 急激に動くな! 俺はニケツは苦手なんだ!」
インカム越しに思いっきり怒鳴られて、耳がいたかった。
「悪い。俺、降りるわ。喜多を探しに行く」
「どこを探すんだ!」
「決まってんだろ! あのドーム4だよ」
指差す所に地上がある。なら、あそこに行くしかない。
「なあ、あそこにおろしてくれ」
「あいにくと出来ない相談だ」
「なんでだよ!」
「俺達がドーム4に入る時間は、今日は2時からだ。その時間以外は入れない」
「入場制限があるって。なんで?」
「あの島は海に浮いているだけだ。重量オーバーになったら、沈む」
「まるで、救命ボートだ。」
「ああ、その通りだ。元々はそういう意味で作られた」
「2時には入れるんだな!」
「ああ」
「じゃあ、それまでどうするんだ。一旦家に帰るのか?」
「いや、カムツーにいく」
「カム・ツー?」
「俺達を雇っている、会社だ」
夕貴は、俺達俺達という。
でも、俺には夕貴とのつながりは全く覚えが無い。
その言葉を聞く度に居心地が悪い。
五月山からほんの十分たらずの所に二階建ての空中ビルがあった。
その中に入った。
一階の半分はバイクが20台ほどおいてあるガレージだった。
残りの半分は、整備道具やバイクのタイヤが埋め尽くしていた。
整備用の土台に、MOがあった。
「直ったのか?」
「多分な」
夕貴は、ガレージの整備用の場所にバイクを止めて、二階に通じる階段を上がった。
階段の上に、喫茶店の入り口ドアのようなガラスの入った木製のドアがある。
夕貴が開けると、チリーンと音が鳴った。
ドアの上を見ると、ドアベルが付けられていた。
小さい一軒家の茶店には必ずと言って良いほど付けられているあれだ。
しかし、中は違った。
箱型のコンピューターが5台。スチールの棚に整然と並んでいた。
その前に、人が一人いて、画面に向かって、話し掛けていた。
その画面を見ると、
「あれ? あれって真理?」
画面に映っていたのは、夕貴の家にいた、真理だった。
「あら、了以。早かったわね。」
5メートルほど離れていたのに、俺の姿がむこうに写っているのか、
まるでそこにいるかのように話せる。
真理の一言で、男が、こっちを向いて立った。
振り向いた男は、・・・喜多だ!