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外に出て駆け出すつもりだったが、なぜか降下していた。
顔や、手足にすごい重圧を感じる。
どこまでも、どこまでも落ちて行く。
スカイダイビングなんてした事はない、心臓をキュッと捕まれたような錯覚がおこる。
(もうだめだ。喜多、ごめん。お前との約束をはたせない・・・)
薄れ行く意識の中で喜多の顔を思い浮かべた。
「あれ?」
視界が捕らえたのは、目覚めた時に見た部屋の中。
そして俺はベッドの上。
今のは夢か?
「馬鹿かお前は!!」
部屋の中にさっきの男がずかずかと入ってきて、その手が乱暴に俺の首に回された。
「死にたいんならそう言え! 俺が殺してやるから」
言葉と裏腹に、首にまわされた手はがたがたと震えていた。
どうやら、夢ではなかったらしい。
「おれはどうやって助かったんだ?」
「真里が、お前のMOを遠隔操作したんだ。昨日高速モードにしていたのが幸いした」
俺に分かる言葉を使ってくれ。MOってなんだろう?
「もう一度聞くぞ。なぜ、飛び降りた」
「あんた、見てなかったのか? 飛び降りたんじゃない。落ちたんだよ。俺は、一度だって自分から死にたいと思った事はない!」
「じゃあ、何であんな事をしたんだ!」
「あんな事って何だ? 俺は外に出ようとしただけだ」
「了以、しっかりしてくれ。お前、どうしたんだ?この家は空に浮いてるんだぞ。
家の敷地から出たら、落ちるに決まっているだろ。それとも、道路があるとでも思ったのか?」
俺はベッドから飛び降りて、窓から外を見た。
隣近所に家はある。家はあるが、確かに道などどこにも無かった。
どの家も、空に浮いている。
しかも、下を見ると、見渡す限り空の色。
地上がどこかさえわからない。ここは標高何年千メートル?
「地上に行くにはどうしたらいいんだ」
何か交通手段はないかと、外を見回す。
しかし、出ている人もいないし、もちろん車の姿もない。
「了以いい加減にしろ! どうして何も知らない振りをするんだ。」
絞るような、うなるような声。
おれは、怒られてるんだろうか?
どうして?
男の顔に視線を合わせた。
やっぱり、怒ってた。
しかし、怒った顔が奇麗だと言うのは、相当奇麗な女優にしかあてはまらない。
と、昔読んだ映画評論家の記事にあったが、あれはうそだな。
だって、こいつ、夕貴だっけ。
今のこいつの、顔はすげぇきれいだ。
髪は濃ゆい茶系。
眉も同じ色ということは、外国人か?
濃ゆすぎないけど、彫はそこそこ深い。鼻も、唇もすごく整ってる。
肌はきめ細かい。
日本とヨーロッパ系の良いとこどりって感じだ。
めったに笑わない喜多の笑い顔の次だけど。
嫌みのない感じで、俺は結構好きな顔だ。
しかし、喜多をにあいにく行くにはこの状況の誤解を解く必要があるんじゃないか?
「悪いが、ふりじゃない。俺はあんたの事は知らないし。
この家も、あの真理って女も全く見覚えが無い。
俺こそ、理解できる説明が欲しい。
とりあえず、いま、俺がしなくちゃならない事は一つだけだ。
俺の親友で、義兄弟の誕生日が今日なんだ。
俺はそいつとの約束を守りたい。
五月山で会う事になってた。そこに行くにはどうすればいい?」
俺の言う事を最後まで黙って聞いていた夕貴は、蒼白な顔をしていた。
5秒ぐらい制止したまま俺を睨んでいたが、おもむろに東側の窓のほうに近寄って、そこにある小さな机の上のノートを開いた。
驚いた事に、開かれたそのノートの正体は、うすっぺらい紙ではなくて、精密なパソコンだった。
わずか1ミリほどの厚さだ。
いつのまにこんな薄型のパソコンが出たんだ?
夕貴がキイを一つたたく。
俺は機械は大小関わらず、とんとだめだった。
高校のパソコン実習の時間は必ず機械に強い奴の隣りに座って、
見よう見まねで何とか赤点を免れていた。
画面がオンになり、もう一度別のキイを叩くと、真理の顔が出た。
うーん。
あれだ。スマホのテレビ電話?
最近、喜多と一緒に電気屋に行った時に、
アンドロイドのスマホの最新型があって、それを無理やりプレゼントされそうだったのを
なんとか、押しとどめたんだった。
俺は、ガラケーが好きなんだよ。
ライン?
しるかよ。メールでいいだろ。同じじゃん。
日本とアメリカ間の連絡手段に使っていたメールだが、字だけじゃ満足できないらしい。
顔も見たいと言った要求だった。
だが、メールを送るのでも毎回四苦八苦しているのに、
その上スマホの操作まで覚えろって言うのか? とまくしたてたんだった。
しかし、最近っていつだろ?
遠い日のような気もするし、近い日のような気もする。
正確な日付が分からない。
今日は西暦何年の7月7日なんだろう。
「どうだ?」
夕貴が画面に向かって話していた。
「了以の声帯には何の異常も見られないわ。だから、了以はうそなんてついてないわよ」
俺の声帯?
声帯で、うそかどうかの見分けがつくのか。
すごいな、これ。
ちょっと、この機械に興味がもてた。
機械自体は好きじゃないが、科学的なことは好きだ。
理解力はあまりないが、科学雑誌はよく見ていた。
最も、16才でアメリカの科学研究機関にスカウトされた喜多のことを理解したいがために読み始めたんだが。
画面に近寄って見てみた。
真理の顔はなく、グラフが二つ出ていた。
「これって、二つとも俺の声帯?」
夕貴に聞いたのに、返事が無い。
振り向いて、夕貴の顔を見たら蒼白な上に、歯をギリリとかみ締めていた。
今にも、飛び掛かられるんじゃないかと言うばかりの形相だ。
しかも、顔が奇麗なぶん、怖さが倍増している。
だが、夕貴は俺には飛び掛からずに、机にあたった。
どかっと、こぶしを机に叩き付けて、頭をたれていた。
それから、さっと頭を上げて俺の方を見た。
やっぱり、俺にかかってくるか?
ちょっと、嫌かも。
俺は女には手を出さないが、男にはそれこそ顔が変わるまでやる主義だ。
俺から手を出すことはまずない。
だから、100%相手が悪い。ゆえに、手加減はしない。という理由だ。
だけど、夕貴のような美人を相手にしたことはないからな。
すこーし腰が引ける。
ゆうに1分はにらまれただろうか。
予想したことはおこらなかった。
「行くぞ!」
吐き捨てるように言って、さっさと階下に降りて行ってしまった。
「ちょお、行くって?」
わずかばかりの期待をもって、夕貴の後を追った。
一階に降りると、階段の下に真理がいて指を下に向けた。
更に下に階段があった。
夕貴は地下に降りたらしい。
そのまま地下に続く階段を降りた。
二階から一階までの階段の半分の段しかない。
(半地下なのか)
階段の一番下に扉が見える。
押してみた。
一番はじめに目に入ってきたのが、2台の水上バイク。
海水浴場なんかでよく見るようなやつ。
夕貴がその一台にまたがって、陸上バイクで使うようなヘルメットを付けようとしていた。
「これに乗って、海にいくとか?」
違うだろうなあと言う気はしたが、一応聞いてみた。
案の定、夕貴は思いっきり不愉快そうな顔で俺を一瞥した。
(お前がいちいち説明しないからわからないんだろう!)
喜多にならそういったかもしれないが、夕貴は丸っきり知らない相手だ。
俺は、努めて冷静に聞き直した。
「どこに行くんだ?」
「五月山に行きたいんだろ」
「連れていってくれるのか?」
「不本意だがな」
かわいくない台詞を言った後、さらに、
かわいくないことにさっさと自分だけメットをかぶって移動しようとしていた。
「おい!俺はこんなもんに乗ったことなんかないんだぞ。どうやって動くのか教えてくれ」
夕貴の背中に向かって怒鳴る。
別に怒っているわけじゃなく、バイクの音が案外うるさく、地下の中に反響していて怒鳴らないと聞こえないのだ。
「メットをかぶれ!」
それっきり、振り返ろうともせず、地下の出口を開けて、一人で行こうとさえしている。
「やばいんじゃないの?」
俺は、急いでメットをかぶって、バイクにまたがった。
「おれ、無免許だぞ。けーさつに捕まったらどうしてくれんだ?」
独り言のつもりだったが、メットにインカムがついていた。
「子供じゃあるまいし、免許なんているか! 待ってやってるんだぞ、急げ」
子供じゃないって、俺は17才で、日本の法律では成人していないわけで、
子供に分類されているんですけどね。
もしかして、ここは外国?
夕貴はもう20歳を過ぎていそうだ。
俺の方が少し身長は高いけど、玄関で花に水をやっていた所は、はまりすぎて、どう見ても学生には見えなかった。
「了以!!」
あ、はいはい。
早くしろってね。
「ええっと、」
始動するにはどうしたらいいのかと、バイクを見ていたら、メットから夕貴の声じゃない声がした。
『リョウイ。モクテキチヲドウゾ。』
「え?目的地?さ、さつき山!」
『サツキヤマ。リョウカイシマシタ。シドウシマス』
あわてて、またがった。
すぐに、バイクが浮いた!
俺は、乗っていただけで、両手を固定していなかったので、危うく、落ちそうになった。
「子供の時に自動車博物館で見た、リニアカ―みたいだな。」
バイクはそのまま、夕貴のいた地下出口までゆっくりと直進した。
「すこし飛ばすが、了以を落とさない様にな、MO」
『リョウカイ』
「ああ、こいつがMOか!」
「しっかり乗ってないと、振り落とされるぞ」
出入り口の鉄の壁が扉のように開いた。
外の明かりが目に飛び込んできて眩しかった。
外に出るのに一瞬腰が引けたが、運転してるのはMOで俺じゃない。
止まることも出来ない。
外に出ると、上下左右の感覚が麻痺したような錯覚。
俺のいる所、360度まるまるが空の青一色だ。
後ろを振り返って今までいた家を確認してやっと方向がつかめた。
夕貴の家の周りには十数軒の家があったが、その家々には、地下が無い。
このバイクが移動する手段だとしたら、他の人は近所の立体駐車場にでも止めてるのか?
「なあ、あんた、えっと、夕貴」
メットのインカムを通じて、ちょと先にいた夕貴に話掛けた。
「なんだ」
返ってきた声は不機嫌だぞーという声そのものだ。
「案内してくれるのはうれしいけどさ。なんでそんなに不機嫌なわけ?」
「昨日まで一緒に仕事をしていた相棒に忘れられたってのに、にこにこしてろっていうのか?」
夕貴は速度を落として、俺の横につき、メット越しに一睨みすると、
またスピードを上げて先に行った。
「しるかよ、そんなこと、畜生!」
仕事の相棒?
俺はまだ高校生だ!
いわれも無いことで、因縁付けられているようなものだ。
「MO、お前もっとスピード出せないのか!」
『キボウソクドヲドウゾ』
「よし!夕貴より速いスピードだ!」
『リョウカイシマシタ』
思っていたより加速が良く、落とされるんじゃないかとひやひやした。
「おい! よせ、それ以上スピードを出すと自動停止するぞ!」
自動停止?
やばくない?
スピードが出ている時に急に停止したら、シートベルトなんてなく、
ただのっかている俺は外に放り出されるとか?
案の定、ぐぐっと、バイクが振動したかと思うと、自動車の急ブレーキで前のめりになるように、俺の身体はふわっと宙に浮いて、バイクから手が離れてしまった。
「うわわっ!」
「了以!」
(一日に二回も落ちるかあ? かっこわるっ)