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人殺しのみにくい恋  作者: 毒原春生
1/8

エピローグ:A




人を殺してはいけない。

日本という国は、法律と倫理観でそう訴えかける。

そうして禁じ、戒め、律するのだ。人殺しという行為を。

けれどその試みは、人の衝動を律すると同時に、新たな歪みを生み出した。

禁じられたことを破ることへの背徳。

戒められた行為を充足させる新たなる需要。

律する機能が欠落している存在がいることの露見。

一つ目は快楽殺人者。

二つ目は殺し屋。

そして三つ目は――殺人鬼。

快楽でも仕事でもなく、人殺しが呼吸や三大欲求と同等になっているもの。

人を殺すものとして生まれてしまった存在。

つまり、私のことだ。




人畜無害な帰宅者を装って、夜道を歩く。

殺人の手順は、これだけで事足りた。なぜなら人という生き物は、夜道で殺人者に襲われる自分を想像こそすれ、それが現実に発生することはないと盲信しているからだ。まして、通りすがりの赤の他人がそうであるとは夢にも思っていない。


「、ひ、ぅ、ぁ?」


たった今、私に喉を掻っ切られた男性も、つい数秒前まではそうだっただろう。

人気も電灯も少ない、殺人にはもってこいの路地で、男は喉から大量の血を流しながらたたらを踏む。夜闇の中であっても判別できる驚愕の表情が、そのことを物語っていた。

ひゅうひゅうと、切り裂かれた喉から笛の音に似た声が零れる。

口笛を思わせるそれは、人の喉を斬るという異常を行わないと聞くことができない。

――――ああ今、人を殺そうとしている。

その事実を実感しながら、私は血にまみれたタクティカルナイフをもう一度振るった。

狙うは足の腱。男の脳裏に遁走の文字が浮かぶより前に、そのための道具を奪う。目論見通りに体のバランスを崩した男は、どうっ、と音を立てながら地面に倒れ込んだ。


「ぅ、ぁっ、ぁ、ぁぁ…っ」


転倒の痛みでスイッチが入ったのか、驚きに彩られていた男の顔に恐怖の色が滲む。

私という殺人鬼から逃げようと、竦んだ手足を懸命に動かす。しかし、何もかもが遅い。

人は――血を流しすぎれば、死ぬのだから。

声と同時に命を絶たれていたことについぞ気づかず、男はほどなくして事切れた。

夜闇の中、血だまりが広がっていく。

男の顔から血の気が引いて、骸の表情になっていく。


「……ふぅ」


それを見て取って――私はやっと、久しぶりに呼吸したような心地になれた。

人殺しをすることで、息をした気分になる。

そんなひとでなしの殺人鬼が、私だった。


「……ん」


ナイフを持っていない手で、鬱陶しい長めの前髪を掻き上げる。

片側は青みがかったヘアピンで留めているが、手持ちに一つしかないのでもう片側は野暮ったく伸ばされている。こんなもの、もう一つ用意するのは簡単なのだろう。しかし、これ以外を買う気にはなれなかった。


「……」


その理由から目を背けながら、タクティカルナイフにこびりついた血潮を落とすように腕を振るう。周囲に飛び散った赤い飛沫を一瞥してから、ふと、何気なく空を仰いだ。

空気中の水分で霞みがかった、満月に近い春のおぼろ月。

ぼやけた輪郭のまま、淡い光を夜の街へと注いでいる。

曖昧で不確かで、それゆえにどこか不安な気持ちにさせるそれを見て。


(……あの日も、こんな月だった)


あの『殺人鬼』との出会いも、こんな月夜の日だったと、そう思い返していた。

かつて住んでいた街にいた、もう一人の殺人鬼。

鏡合わせのような同類。

歪みの理解者。

そして――最愛の相手。

鮮烈に凄烈に凄絶に愛した、恋しい(ひと)

殺人鬼との、出会いと別れから数年。

好きになった人はいた。恋した人も、愛した人もいた。

けれどあれほど情熱的に恋し、狂おしいほど愛した者は、あの殺人鬼以外にいなかった。

醜くて、間違っていて、愚かしくて、過ちだらけで。

大事にしすぎて最悪を選んでしまった恋だったけど、あれ以上の恋は二度とない。

まともに言葉を交わし、交流していたのは、一年にも満たない四季の一巡。

春に出会い、夏に戸惑い、秋に想い、冬の日に訣別した。

あまりにも短い恋。それでも、永遠に忘れられない。

そんな愛しい殺人鬼のことを想い返しながら、気づけば私は目を閉じていた。


「――――」


瞼を下ろせば、それは昨日のできごとのように脳裏で再生される。

あれは、まだ私が高校生だったころ。

そう、始まりは四月だった。


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