大混乱
「モンスター?! えっ、モンスターって言った?」
先ほどの生徒は、すでに逃げ去ってこの場にはいない。
悪戯かとも思ったが、その後数人が飛び出してきて、そのうちの一人は怪我を負っていた。彼らは、リュシアン達を見た途端、気が抜けたように座り込んでしまった。
「モンスターが出たって本当なの?」
ニーナは未だ半信半疑で、へたり込む生徒たちに確認する。それもそのはず、なぜならここはまだ結界内のはずなのだから。
この場で、すぐに治癒魔法が使えるのは自分だけだと判断して、リュシアンは巻物を取り出して魔法陣を展開させた。軽傷の時に使う、初級治癒魔法ヒールだ。
突如現れた魔法陣に皆が驚いたが、傷が癒えた少年が状況を語りだしたので、すぐに意識は彼に移った。
「ほ、本当だ。かなりの大型で……、見たこともない奴だった」
治療はしたものの、彼はまだぐったりしている。おそらく精神的なショックによるものだろう。
彼により与えられた情報は、モンスターが出現したのはここからそう遠くない川辺の近くだということだ。二班合同で川伝いに上流へ向かって、魚を採るつもりだったようだ。
そして、まだ数人が逃げ遅れていること、現場でも怪我人が出ていたこと、散り散りに逃げたので皆の安否がわからないこと、など最悪な状況がわかってきた。
先ほど飛び出してきたのはせいぜい十人ほど、まるまる一班くらいは逃げ遅れてるってことだろうか。
散り散りになったとのことなので、全員逃げられた可能性もあるけれど。
「……隠密の人、いるよね? 出てきて」
リュシアンは、あたりを見回しておもむろに声をかけた。
少しの間のあと、小さく木の葉を揺らして、ほとんど音もなく一人の青年が目の前に現れた。なんか忍者みたいな人だ。
薄茶の短い髪のつむじがすぐ下にあった。彼は片膝を立て、顔を俯けたまま黙っている。
「応援を呼んできて」
リュシアンの声に、思わずバッと顔を上げると、口を開きかけてすぐに結び「発言の許可を」とだけ言った。いささか小さな声だったため聞き取れなかったリュシアンに、エドガーが「許す」って言えばいいんだと促した。
(えっ、何それ、偉そう……つか、恥ずかしいね!?)
とにかく時間がなかったので、やるしかなかった。
「……ゆ、許す」
改めてゆっくりと顔を上げた青年は、今度ははっきり目を合わせてきた。瞳も薄い茶色だ。茶色系ではあるけれど、ここまで色素が薄いとなると彼には魔力があるのかもしれない。
「私は、リュシアン様をお守りする為にここにいるのです。この場を離れるわけにはまいりません」
想像通りの答えである。とはいえ、この場でおそらく一番の適任は彼しかいない。
「貴方の名前は?」
意表をつかれたように、青年は思わず口をつぐんだ。
すると、エドガーが肘でつついてきた。
「名前は隠密の任務に就いた時に捨てるんだよ、言わないとおもうぜ」
コードネームのようなもので呼び合うらしい。
(えー、もう面倒くさいな。なんなの?! あの王様、なんかの映画の見過ぎじゃないの? ……映画、ないけども)
「……僕たちは、これからキャンプ地へと引き返します」
リュシアンが静かに宣言すると、それまで呆然とやりとりを見ていた先程の少年は、咄嗟にハッとなって顔を上げた。しかし彼は、開きかけた口をすぐに思い直して噛みしめるように閉じた。
それは仕方がない判断だった。彼らとて同じ生徒なのだ。逃げてきた自分が、逃げ遅れた生徒たちを助けてくれなどと言えるはずはなかったのだ。
リュシアンは彼の苦悩を感じながらも、今ここにいる全員の安全を守るために目の前の隠密を見据えた。
「これが命令違反になるのはわかってるよ。でも、これだけの人数で引き返すとなるとどうしても遅れるし、なにより子供の足だ。助けを呼びに行ってくれれば、僕を含めて全員の生存率が上がるんだ」
膝をついた隠密は、リュシアンの言葉に少し考えて顔を上げた。
「……私の事は、ゾラとお呼びください」
リュシアンが頷くと、ゾラは消えるようにその場から立ち去った。
まるで本物の忍者だ。ほとんど木の葉も揺らさずに、あっと言う間に木々の間に姿を消していた。名乗ったゾラというのは、エドガーのいうようにコードネームだろう。
何にしても助かったのは本当だ。まだまだ怪我人が飛び込んで来るとも限らないこの状態で、このあと確実に助けが望めるという状況は心強い。
「……さて、ニーナにアリス。呆けてる場合じゃないよ、これから逃げないとね」
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