王太子エルマン
「え、じゃあ、その友人って」
ファビオは神妙に頷いた。
魔法科Ⅹを目指して勉強していたファビオが、親の意向とはいえこうして実家に戻って来た要因の一つに、友人である王太子の失踪があった。研究のほとんどを王太子との共同で行っていたファビオは、それらを途中で凍結するしかなかったのだ。
最終的に三つの科目をⅧまで修了させたが、ファビオはできれば王太子が戻ってきたら復学したいと思っているようである。
約六年前――
ファビオが王都の教養科への進学を控えていたころ、オービニュ家にリュシアンがやって来た。
ファビオ十才、ロドルク二才の時である。すでに分別もつくだろうと判断したエヴァリストは、長男には真実を話していた。変に隠す方が、秘密が明るみにでるリスクがあると思ったからだ。事の重大さを理解させたうえで、口外しないようにと厳しく約束させたのだ。
決まっていた王都への進学を取りやめ、急遽ドリスタンへの留学に変更したのは、やはり爆弾を懐に入れるにあたって跡取りを安全な場所へと隠す意味合いもあったのだろう。結果、入れ違いに留学したファビオは、実のところリュシアンとの接触が一番浅い。
もともと馴染みもあった王都の屋敷から学校へ通うはずだったはずが、いきなりの珍客のせいで遠方へ留学することになったことを疎ましいとさえ思った。いきなりできた弟に愛情を持てという方が無茶だろう。
実のところファビオは、リュシアンを厄介者だと嫌っていたのだ。
けれど、留学先での数々の出来事はそれを吹き飛ばすことの連続だった。
一つは王太子との出会い。王都へは何度か行ったことがあるが、王族と会うのも話すのも初めてだった。
王太子エルマンは、思った以上に気さくで誰とでも対等に付き合っていた。そして同い年、同じ国の出身ということもあって、なんだかんだと一緒にいることも多かったのだ。
ファビオにとっては、先日やってきた義弟の本当の兄だということで興味があった。そして親しくなるにつれ、エルマンの口からもリュシアンの話が聞けるようになっていった。
ファビオも知っていたが、その頃、第三王子のミッシェル殿下が亡くなった。
エルマンはとても可愛がっていたらしく、ひどく嘆いて幾度となくシャーロットの療養している離宮を訪ねては見舞っていたらしい。そして同時に生まれたリュシアンは、まさにシャーロットとエルマンにとっては天使に映ったことだろう。それはもう愛らしかったと、まるで孫を喜ぶおじいさんのように嬉しそうに話していた。
もしかしたら、この利発な王子はリュシアンが今どこにいるのか、わかっているのかもしれない。
そう思ってファビオが距離を置こうとしても、あっけらかんと次の日には隣に座っているのだから侮れない。警戒しようにも、適当にこちらをつついては、次の瞬間には何もなかったかのように振る舞うのだ。つかみどころがないというのは、彼の為ある言葉だなと呆れたように思ったものだ。
結局のところ、エルマンが兄としてリュシアンを愛するように、ファビオもそれに自分を重ねるようになり、だんだん義弟が可愛く思えてきたのも事実だ。
それさえもエルマンの仕業のような気がしてくるから恐ろしい。
「やつのことだ、ある日突然ひょっこり帰ってきそうだけどな」
そう言って笑う兄は、まるでそうなって欲しいと願っているようだった。
もしかすると苦手な武術に打ち込むのも、彼なりの願掛けのようなものがあったりするのかもしれない。
リュシアンは、二人の兄の友情をとてもうらやましく思い、否が応にも期待が膨らんでいくのを抑え切れなかった。
「僕ね、たぶん王太子殿下に会ったよ」
しんみりとお茶を飲んでいたファビオは、面白いほどむせ返った。本当にお茶を噴き出す人を始めてみた、とリュシアンは変なところで感心した。
「おまっゴホッ、何言って…、それ本、当…」
気管に入ったのか、苦しそうにせき込みながらファビオは思わず立ち上がり、そして「うっ」と呻いてうずくまった。
「筋肉痛なんだから急に動いたらダメだよ。言い方が悪かったかな、会ったっていうか、ただそれらしい人の声を聴いたってだけなんだよ」
「同じことだろう、どこで?いつ会ったんだ」
やっとの思いで椅子に座りなおしたファビオに、リュシアンは自分の頭の上を指さした。
「ん? お前の従魔がどうしたんだ」
すでにリュシアンの従魔の事は、家族はもちろん、この家の者なら誰でも知っている。もっともこれがベヒーモスだということは誰も知らないのだが。
「これをくれたのが、たぶん王太子様だと思うんだよね」
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