白い風景
この旅は、教皇様も承知の上だった。ツブテが力を失ってすぐ、彼女の意識は戻った。もちろん、もともと身体が弱っていたこともあり、全快とはいかなかったが、それでも判断を下すことが出来るまでには回復していた。
大災害から百年、仕切り直すにはちょうどいいのかもしれない。もとより、姫神子に対する情状酌量の声は大きく、しかも半分は、精霊が引き起こした天災ともいえる水害なのだ。
かくして、ツブテはシンシの元へ行くことを許された。
「なにより、契約のこともあるしね。今は宙ぶらりんの状態だから、再契約するか、破棄するか……どのみち、彼女の状態にもよるだろうけれど」
「そうか、姫神子の状態もわからないわけか」
あっちはあっちで氷漬けになっているわけだから、と僕は苦笑した。魔界の作り出す絶対零度によって、時間とともにその身体は留め置かれている。魔力によって封じられているため、命の灯は守られてはいるが、それは細く辛うじて保っているという状態だ。
閉じ込められた時、彼女はすでに成人期に向かって成長している最中だった。姫神子が封じられた氷の柱は、特別なエリアとなっており、何人たりとも入ることが出来ない。魔王ですら、封じた時以降、一度も足を踏み入れていない。
その権限は、唯一、刑を決定した教皇にあるからだ。
僕の手のひらには、一つのコインがあった。
中央に女神の横顔が彫られた銀色の小さなそれは、特殊な魔力が封じられた鍵である。魔王が持つ金色のコインと二つが合わさることで、初めて鍵としての機能を果たすという。
もっとも、鍵のことがなくても、簡単にはたどり着けないと言っていたけれど、あれはどういう意味だったんだろうか。
そんなことを考えていると、馬車はいつの間にかジャリジャリと、まるでガラスを踏むような変わった音を響かせつつ進んでいた。
「……これ、何の音?」
揺れの感触も変わっている。
馬車の窓にかかる薄いカーテンに手を掛け、外を覗き込んだ。
「う……わあ、これは」
思わず続く言葉を失ってしまった。
なにしろ、真っ白だったからだ。見渡す限り、眩しいほど白い。空だけが青く、その他は草一本生えていない、地面さえ透明の砂利に覆われた白い地平線。
「そういえば、リュシアンは意識がないまま連れてこられたんだったね」
エルマン様は、かいつまんでこの辺りの現状を説明した。
大洪水と暴風により、それこそ大気の魔素ごと、すべてが洗い流された大地。
大神殿周辺は、大精霊のツブテが存在していた影響を受け、百年という長い年月がかかったとはいえ、今ではほとんど正常に戻っていた。
けれど、こうして一部取り残された場所があったのだという。
大地の生命が失われた土地、草木も生えず、エネルギーが枯渇したまま時が止まった場所である。
「……本当だ、魔素をまったく感じない」
「魔素がない状態は、この世界では基本的に不自由が多いんだけど、一つだけ利点があってね」
そのために、あえてこの地を放置しているらしい。
「あ、魔獣や、モンスターが発生しない、とか?」
「半分正解。それもあるけど、なにより魔石の廃棄に役立つんだ」
「廃棄?」
「魔石はあらゆる魔道具の原動力だが、もともとが魔物の一部で、魔素が枯渇して使えなくなっても、しばらくすると周りの魔素を吸収して再生しようとする」
それなら永遠に使えるじゃないか、と思ったけれど、そう簡単な話ではないらしい。
再生すると言っても、それは元の状態に戻るわけではなく、使い物にならないばかりか、あるいは悪影響を及ぼすこともあるのだという。
「魔石って、無機物じゃないんだね」
「あっちの世界では、魔素があまり大気に存在してないせいか、ほとんど問題になったことはないけどね」
ごくたまに起こる魔獣の大発生や、暴走事件の原因は、もしかしたらそんなところにあったのかもしれない。
「もともと魔素が少ない場所に廃棄してはいたが、それでも定期的に魔物の大発生や、レア種の異常発生なんかがあったんだけど、偶然にも発生したこの魔素がない地域に魔界が目を付け、うまく廃棄場所として整えたらしい」
「あ、なるほど」
まさに産業廃棄物! 無意識に口に出しそうになって、慌てて口を噤んだ。
この土地は、魔界の学園からそれほど離れていない地域だ。しかも、教皇と懇意の魔王にしてみれば、この土地の権利を購入、または借入でもして、廃棄場所として運用しているに違いない。
魔王様どんだけ商売上手か! やっかいな廃棄魔石を安全安価で処理します、という広告看板が目に浮かんだ。
ところどころに点在する、美しい水晶のような廃棄魔石がうずたかく積まれた山。敷き詰められた砂利状の魔石は、影響力を少しでも小さくするために砕かれたものだった。
「属性魔石には色があるけど、ここのはみんな透明なんだね」
「ああ、魔素が枯渇した時点で、無色透明になるんだ。わずかに色が残っている物も、ここへ廃棄されてしばらくすると魔素が空になり、透明になる」
竜種の魔石など、半永久ともいえる魔素を蓄えている例外はあるが、ここに捨てられているのは一般的な魔物の魔石だった。
「空の魔石、か」
そう無意識に呟いた時、ほんの僅か心の片隅に何かが引っかかった。
けれど、やがて流れていく景色に次第に色が戻ると、意識はすぐにこれから向かう魔界、氷の城へと向かったのだった。
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