再び馬車にて
「その耳飾りが例の精霊ってことらしいが、暴走したりしないか」
数日後、再び僕らは馬車での移動をしていた。心配そうにそう質問するのは、同乗しているエルマン様だ。
「大丈夫です。いわゆる封印状態のようなものだから」
耳元で揺れるそれを、そっと指でつついて僕は笑った。
力の源である大瀑布を離れるために、精霊は、その膨大な影響力と能力のほとんどを放棄した。それと同時に、親であるミドリの眷属でなくなり、今では下級の精霊程度の存在だった。
あの日、アヴァ様たちをはじめ、ほとんどの神官たちは大神殿へと戻ったが、僕らは旅の準備もそこそこに、またもや大神殿を後にすることになった。
今回は小型の馬車二台、騎馬護衛が四名という小隊である。
――それは、雫の精霊からの要求だった。
いうまでもなく、先日の、滝の洞窟での雫の精霊との対話……彼は、思ったより早く、そしてあっけなく僕の呼びかけに答えたのである。
『ようやく来たか、遅いぞ!』
まるで少年のような声であり、すこし拗ねたような物言いだった。
轟々ととどろく滝の端、少しだけ張り出した岩場の下に祈りの台座がある。人の手が入ったとはいえ、ほとんど自然にできたと思われる、巨大な岩壁に囲まれた祠のような場所だ。
これだけ大瀑布に近い場所にも関わらず、そこから臨む、滝壺から近いはずの水面は、奥に見える白く踊る荒々しい水飛沫とは無縁とも思えるほど静かだった。
そんな青い水面がぷくりと頭をもたげ、台座の上に飛び跳ねて移動すると、まるで水あめのように伸びあがり立ち上がったのだ。
件の精霊の登場は、どこかコミカルで長年教皇を苦しめてきた諸悪の根源、という印象からはかけ離れていた。
人型の水あめお化けは、腹立たしそうに腕を組む仕草をした。
『ふん、あれほど、何度も何度も呼びかけたのに、あの女、やはり耳が遠くなっていたようだな』
その人型が動くたびに、びしゃびしゃと派手に水飛沫が飛んでくるものだから、こぶし大の大きな水の塊を何度も浴びた。ミドリが付けてくれた精霊の加護が無ければ、間違いなく水浸しだっただろう。
『して、お前はなんだ? 同じエルフのようだから、あの女のシモベか』
しもべって……まあ、確かに教皇は神殿の最高責任者だし、彼女の使いであることは間違いないけれど。この様子を見るに、あまり教会や人間社会について知らないようだな。
というか、興味がないだけかな。
生まれてすぐに持て余すほどの力を得て、出会った人物が、これまた浮世離れした姫神子一人、しかも、すぐに共鳴暴走に巻き込まれて、契約者と引き離されて、訳も分からず放置されたわけだしね。
「僕は、そうだね、いわゆる教皇様の使者だよ」
『シシャ? ああ、もうなんでもいいや。とにかくあの女をここへ寄越せ。いい加減、シンシの居場所を教えるがいい。一体、いつまで待たせるつもりなんだ』
水あめおばけはイライラと激しく地団駄を踏んだ。
うっ、やめて、めっちゃ飛沫とかいろいろ飛んでくるから。濡れる被害はないが、彼の力が強いせいで、ビシビシと削れた小さな石が飛んできて迷惑極まりない。
そもそも彼は状況を正しく理解していない。なぜ、一人放置されたのか。そしてシンシと引き離され、会えなくなったのか。
暴走したときは意識はなかっただろうし、気が付いたら側にいたはずのシンシの姿がなく、ぽつんと取り残されていたのだ。教皇様のことは、シンシから聞いている情報のみの知識だろうけれど、度々祠を訪れる神殿関係者がシンシと同じように祈りを捧げる姿から、同じ集合体であり、その頂点の人物であることは想像がついただろう。
なるほど、精霊にしてみれば百年という長い歳月も、待ちくたびれたで済んじゃうんだな。
それでしつこく教皇に捻波を送り続けていたわけか。
「あのね、そもそもそれが原因なんだからね。君の……えと、名前とかあるのかな、ともかくその呼びかけが教皇様のお身体に障って寝込んじゃったんだから」
神殿側は精霊の怒りや呪いの類だと思い、ひたすら祈りを捧げることに終始していた。なにしろ災害の復興に数十年かかり、その間に神子制度が廃止された。そのせいで精霊や女神を身近に感じることが出来なくなり、その影響からか神官でも精霊を視ることも、その声を聞くことも少なくなった。
シンシの悲劇を繰り返さないための神子制度廃止は、そんな思わぬ弊害を起こしたのである。
ため息をつく僕を、腕を組んだ人型は大きく首を傾げた。表情がないからわからないけど、たぶんきょとんと呆けた顔をしているに違いない。
そんなこんなで教皇が意図的に無視していたわけではないこと。また、彼女が寝込んだことで、いろいろ不都合が起こり困っているので、呼びかけをやめてほしい旨を、かみ砕いて説明した。
もともと悪意があったわけじゃなったのか、精霊は二つ返事で了承した。そして、彼はちょっと自慢げに名乗ったのである。
『それから、名ならあるぞ。シンシが考えてくれた名はツブテ。なんでも、動くたびに飛沫が飛んでくるからって言ってたぞ』
それには激しく同意して、僕は思わず頷いた。
初めてシンシという人物と、同じ感覚を共有できた気がした。
そうしてツブテは、すべての事情を聞くとしばらくの間沈黙して、シンシに会いたい、とだけ言った。
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