氷穴ダンジョン
「ほんと、ノルはもふり甲斐がある姿に進化したわね」
両手の手のひらに乗せた丸い毛玉を、ニーナはたまらず頬ずりしている。続いて、アリスとカエデも代わる代わるもふもふなでなでと触り倒している。
「従魔フードオタクが育てただけあって、この毛並みと言ったら、もうっ、艶っつや!」
「おまえら、いい加減にしろっ! 返せ!」
しばらく我慢していたダリルだったが、あまりにこねくり回される従魔を、彼女たちの魔の手から救い出した。どちらかというとのんびり屋のノルは、彼女たちに触られてもお構いなしだったのだが、ダリルがむんずと掴むと、抗うようにジタバタと身を捩って、そのまま肩まで登って行った。撫でられるのは好きだが、乱暴に扱われるのは嫌なのだろう。それでも主人の肩の上は落ち着くのか、そのまままるまって顔を埋めて定位置に収まった。
従魔になった当初は身体が小さかったノルだが、今は肩に乗るといささか窮屈そうである。
「小さい猫くらいはあるわね。あのノルがこんなに大きくなるなんて、びっくりよ」
ノルはつい先日、三回目の進化をした。こちらでの活動の最中、愚直にこつこつとレベル上げをしたダリルの功績である。
手先が器用なダリルは、学校では機械、工作、魔道器具など様々な活動をしていたが、その他に料理、薬学なども熱心に研究していた。ひとえにノルの身体強化、爪、毛並み、健康を維持するためのフードづくりに生かすためである。
「私たちはあまりクエスト活動はしてなかったから、レベル的にはかなり置いて行かれたわね」
この世界でのレベルは、必ずしも個人の強さとイコールではないが、それでも冒険者としての経験値やランクに差が出てくるのだ。一方、ニーナとアリスはもっぱらベアトリーチェの研究の手伝いを優先していた。個人的に興味があったのと、もともとリュシアンが熱心に取り組んでいた課題だったからだ。
また、魔法が得意で、もともとこちらの住人だったカエデ、戦闘技術を磨きたかったエドガーなどは、ダリルに同行することが多く、冒険者として活躍していた。
「そうそう、それで話ってなに?」
今は長期休暇中で授業はなく、学校に来ているのは、研究活動をメインとしているニーナ達や、塔への入所が決まっているベアトリーチェのような学生のみである。ダリルたちは数日前から冒険者としてギルドへ赴いていたはずだった。
「あのね、数日後、ついに魔王城への陸路が開くのよ」
カエデがちょっと興奮気味に身を乗り出した。一瞬きょとんとしたニーナ達だったが、一呼吸遅れて「そういえば」と、頷いた。
「確か、海面が下がって陸路で魔王のいる城に行けるっていう、あの話?」
「うん、毎年ってわけじゃないんだけど、今年はどうやら完全につながるってことで、冒険者ギルドはその話題で持ちきりなのよ」
観光客を引き込む行事になるっていう話は聞いたような気がするが、それでなぜ冒険者が? とアリスが首を傾げたところで、カエデが続けて口を開いた。
「もちろん、お城の一部開放で観光客も多いんだけど、それとは別で永久凍土の底、海底ダンジョンも数年ぶりに解放されることになったのよ」
数年に一度しか開かないダンジョンは、珍しい魔物、鉱物、お宝はもちろん、海水の引き次第によっては、これまで侵入できなかった未踏破地域も制覇できるかもしれないと、冒険者たちにとってはかなり美味しい話なのだそうだ。
補足として、この魔王城ダンジョンは、上部に伸びる塔のような氷の山、上層部分も本来はあるらしい。
らしい、というのは、詳しいことはギルドも把握してないからだ。なにしろ、永久凍土の異常な侵食のせいで、百年ほど前から、事実上、封鎖状態だというのだ。
「飛行スキルがあれば、ワンチャン登れるかもだけど、種族が限定されて人数も集まらないし、パーティに偏りが出るみたいで攻略が難しいんだって。実際、数年前にチャレンジした記録があるみたいだけど、数階登ったところでリタイアしたんだって」
なんとなく視線がベアトリーチェに集中するが、彼女が何か言う前にニーナが首を振った。
「限定的な条件だもの、確かに人数を集められないわよね」
仮にベアトリーチェが飛べたとしても、人を抱えて飛ぶのは困難だし、そもそも彼女の腕力で運ぶのは難しいだろう。
「ま、コイツもいけなくはないが……」
その話題を締めくくろうとしたとき、ふいにダリルがノルを見てポツリと呟く。
「え、そうなの?」
一見、ずんぐりむっくりもふもふボディのノル。
見た目に似合わず、とても機敏で、身体も柔らかく、小さな穴もすり抜ける。
そもそもノルは、レア種である。
元来ラット系は、スライム同様、数が多い獣系の矮小な魔獣だ。その集団の中で稀に生まれるレアな個体。かなり希少種とされているが、その理由は生まれる個体数というより、恐ろしく低い生存率だった。
ノルを従魔とした時も、他の仲間に押しつぶされそうになっているところをダリルが救ったように、レア種の幼生期は、極端に弱い個体なのだ。一般種より小さく、それでいて目立つ色。仲間外れや、攻撃対象になる確率が高いのでほとんどが生き残ることができない。
けれど、ひとたび成獣になれば、身体も大きくなり希少なスキルや魔法を覚えるので、かなり優秀な従魔になる素質があったのだ。
「最近気が付いたんだが、どうやら足場が無くても高いところまで移動できるようなんだ」
「えっ、飛行能力ってこと?」
「違う違う、あのスキルは有翼種でなければ基本的に会得できない」
「……あ、そうなんだ」
アリスが乗り出した身体をひっこめて「でも、なんでかな」と首を傾げる。
「たとえば飛べたとして、コントロールはどうするんだ? 降りるときは? 止まりたいときは?」
「そっか、浮かべるだけでは思いのままに飛べないってことなのね」
答える代わりに問いかけたダリルに、アリスに変わってニーナが頷く。
「そういうこった。それにスキルである以上、どうしても永続使用は難しい。そういう時に翼があれば滑空することもできるし、高度を維持することも、ある程度は出来るってこった」
なるほど、と一同が納得したところで「こいつのは」と、ノルを見て続けた。
「飛ぶんじゃなくて、跳ぶんだよ。瞬発的に空気を圧縮して蹴るって感じだな」
「じゃあ、麒麟のリンみたいに空を駆けるって感じ?」
「バカ言え、あれは神が許した特別な御業だ。そもそもスキルじゃねえし。ノルの場合はたぶん、魔法だな」
ドヤって語る神云々のくだりはダリルらしくなく、思わずニーナ達はポカンとしたが、どうやらカエデの受け売りだったようだ。大方、ノルがこの能力を発揮したときに今のアリスたちと同じ反応をして、彼女に窘められたのだろう。
何しろ、こちらの住人からすれば、空は神の領域で、そこを足で歩行できるのは神の使いたる麒麟や神子のみ、という教えなのだから。
「たぶん、空間魔法の一種じゃねえかと思う。前に鑑定してもらった頬袋とか言うのも、いろいろやってみた結果、マジックバッグのようなものだったし」
本来のマジックバッグと違うのは、緩やかにではあるが時間が経過することだ。なので、保存したものは劣化するし、食べ物も当然ながら時間とともに悪くなる。
その代わり画期的なのは、生き物でも収納できるだろうという点だ。
だろう、とイマイチ不確かなのは、きちんと鑑定をしていないからだった。複数回の進化を遂げたレア種のノルを鑑定するとなると、かなり高額なスキル書、魔法の巻物を使用する必要があるからだ。
もちろんリュシアンなら自前で可能だが、口にしても仕方がないため誰も指摘しなかった。
「ともかく今は、とりあえず行ける場所のことを相談しましょう。要は、その魔王城の地底だか、海底だかのダンジョンに行きたいのよね?」
「そうなの! 魔王城の海底ダンジョン。その属性から、氷穴ダンジョンって言われているわ」
ニーナが話を戻すと、カエデが嬉しそうに頷いた。
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