共鳴暴走
本人たちも気が付かないうちに、共鳴暴走は始まっていた。
心身を痛めながらも、シンシは神子の勤めを続けた。そして、まもなく身体はゆっくりと成長期を迎えることになる。そうなれば、お勤めは無事に終了だ。何十年も立派に役目を果たし、本来なら待ちに待った喜ばしい日のはずだった。
けれど、彼女の心は日を追うごとに沈んでいった。
なぜなら、シンシに迎えてくれる故郷はもうなかったからだ。シンシを直接知る親類縁者は一人もなく、たまに面会に訪れる親戚だと名乗る見知らぬ人々の関心は、いずれ持ち帰る名誉や、褒賞、金品のことばかり。
そして、そんな彼らは決まって帰路の途中、盗難にあったり、災害による事故に遭ったりと、散々な目にあうようになった。必ずしも、すべてが精霊の仕業というわけでないけれど、まったくの無関係ではないだろう。
「……こうして見えている綺麗な風景が、百年前には何もかもなくなったなんて」
小さな窓から見えるのは、どこまでも続く野花の平原と、小高い丘、奥には濃い新緑の木々が立ち並ぶ美しい林。
僕らは今、馬車に乗っていた。
あの日、話は朝方まで続いたため、舟をこいでいたダルシーは眠り込み、アヴァとともに自室へと戻った。ミドリがあまり聞いてほしくなさそうだったので、空気を読んだのかもしれない。
床に臥せったままの教皇様が心配ではあったが、僕はこれまでの話を聞いて、すぐにも大瀑布に居るという精霊に会いに行こうと思った。
神獣のお告げで大瀑布近くの祠への祈祷へ行く、とそれらしいことを言い訳に。
「大神殿も、本来ならもっと大瀑布に近かったそうだ」
「じゃあ、大神殿も共鳴暴走による消失に巻き込まれたの? 大瀑布だけじゃなく」
僕の付き添いは、今回もエルマン様だ。また、馬車に付く護衛のいずれもが、マリーアン様の配下である。もちろん、これには再び幾人の枢機卿の横やりが入って、僕以外の要人の付き人として、何人か同行させることで話は付いた。
精霊ミドリの契約者アヴァの乗る馬車の、護衛神官と、側使いの神官たちである。
リンのとりなしで姿を隠さなくなったミドリに、精霊をどうにか感知できる数人の枢機卿が、その存在を認めたことで、アヴァの神殿での重要度がさらに増し、この条件は簡単に認められた。
リンはというと、言いたいことだけ言うと、夜明け早々、さっさと空の彼方へと消えた。相変わらずの気まぐれさである。
あの日から、出発まで準備や根回しに一週間ほどかかった。
今回は何があるかわからないので、ダルシーは神殿にてお留守番である。
「今の大神殿は、百年前に新たに建て替えられたものなんだ」
エルマン様は、話を続けた。
「大瀑布から距離を置いたのは、もともと大量に降り注ぐ霧や水滴の影響で建物の耐久力や、内部への浸水が問題になっていたから。なにより、神子による頻繁な祠への礼拝もなくなったからね、それほど近くである必要がなくなったんだ」
「うん、あの定例参りは酷だったと思うよ。巡回前だけじゃなく、週に数回ほど礼拝の行事が入ってたからね」
例の、極悪で事細かな、神子のお勤め一覧に。
エルマン様の話を聞きながら、これまでの神子のブラックぶりを改めて振り返った。いくら近いからって、湿っぽく水しぶきが吹きすさぶような場所に、春夏秋冬どんな天候でも通い詰めていたなんて。
「今の大神殿がある近くまで何もなくなったって、リンが言ってたね」
「……ああ、そうだ。凄まじい水害だった、と。この辺りにあった山は、根こそぎ持っていかれたらしい」
一言で水害と呼んでいるが、当時を知る者たちからすれば、大瀑布の凄まじい水圧が、そのまま鈍器のような凶悪な勢いで地面を殴り、丘を削り、建物をはぎ取って行ったという。
まるで巨大な水の大蛇が身体をうねらせ、縦横無尽に大地を蹂躙したかのようだった、と伝えられている。
その被害は、もちろん大神殿も例外ではなかった。教皇や、神力を持つ枢機卿たちが、全力を持って、結界や空間魔法を駆使し、懸命に救助作業を行ったが、それでも多大な犠牲を出すことになった。
そうして、三日三晩荒れ狂った災害が収まったのち、大瀑布から数百キロを超える広範囲で、何十年もの間、植物一つ、どんな小さな生き物さえも育たなくなったという。
「……それで、姫神子シンシはどうなったの?」
リンが語って聞かせたのは、大災害の様子までだった。ここからは、かつて教皇様から話を聞いたマリーアン様からの情報である。
大神殿に於いて最後の姫神子の話は、これまで厳しく箝口令が敷かれていた。けれど、現在の神子、すなわち僕の祠への御参りに際し、教皇様の代理として、マリーアン様が情報開示を許可したのだろう。
ぶっちゃけ、それは表向きの理由で、要は雫の精霊に会いに行くとわかっていたからだろう。
「姫神子の身柄は、すぐに神官兵により捕らえられた」
「精霊は抵抗しなかったの?」
「さすがの雫の精霊も、共鳴暴走のせいで力のほどんとを使い果たしていたからね。それを阻止することはできなかったようだ。それ以来、誰も姿を見ていない」
それでも教皇様に影響を及ぼしてるってことは、消滅したわけじゃないってことだよね。現にペシュや、僕もあの辺りに強い力を感じるし、この百年で、消耗した力のほとんどは回復したってことか。
「あれ? そういえば、雫の精霊が契約精霊だって言ってたよね。じゃあ、捕らえられた姫神子様、まだご健在なんだ」
百年前に幼年期を終えているなら、今はもう青年期以降ってことかな。先祖返りのハイエルフは本来のハイエルフよりは短命だっていうから、もう衰退期に入っているかもだけど。
「生きている、と言っていいのか……教皇様も、苦肉の策だったと思う。あれだけの被害を出したのだから、罪に問わないわけにはいかないからね」
エルマン様は、僕から顔を反らして窓の外の風景に目を向けた。
「永久凍土にて、時の凍結が命じられた」
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