雫の精霊と姫神子
もともと神子にかかる負担が大きいとされて廃止された神子制度。
これを指揮したのは、現教皇であるソフィアである。そして、神子廃止の本当の原因を知る数少ない人物の一人でもある。なにしろ百年も前のことだ。現場に居合わせた多くの者が、今はもういない。
長命種のエルフや妖魔族の血を継ぐ数人の上位神官や、枢機卿だけが、その事実を知っていた。
「共鳴暴走?」
リンの言葉に、僕はオウムのように繰り返した。聞いたことがない言葉だったからだ。エルマン様の方を見たが、肩を竦めて首を振っている。
「ソフィアから聞いただけで、ボクも実際に知ってるわけじゃないよ」
そういえば、リンの自我がはっきりしたのは、僕の母、シャーロットと出会ったのがきっかけって言ってた。それまでは何が起こっても、それこそ人為的なことでさえ、すべては自然現象の一つ、くらいの認識だったんだろうな。
「なんでも、契約者の片方が異能による暴走を起こすと、対の相手も暴走に引き込まれる現象だって」
「え、なに? とんでもないことが起こっちゃったの?」
リンがこくり、と頷いた。
雫の精霊はもとはと言えば、その辺に浮いている微精霊の一種だ。何も考えず、ただふわふわと心地いい場所に移動して、周辺にほんの少しの影響を及ぼす。
そんな一粒の雫の精霊が、たまたま巡回の始めに立ち寄った姫神子と出会ったのが、すべての始まりだった。
シンシは病身の世話係を置いて旅に出る寂しさに、祠に祈りを捧げつつ涙を落としていた。彼女の伏せた長いまつ毛に、偶然くっついた水滴が、のちの大精霊だった。
「彼女の傷心に雫は寄り添い、契約精霊になり、姫神子の膨大な魔力に影響される形で大いなる力を得たんだったね。それも、力の共鳴?」
それまで静かに聞いていたエルマン様が、リンに問いかけた。
マリーアン様から、少しだけ話は聞いているようだが、核心の部分はよくしらないようだ。もっとも、マリーアン様もすべてを知らないのかもしれない。
「うん、ほんの数年で自我を持ち、姫神子の話し相手になるために人の形を取った。優しい精霊に支えられて姫神子も懸命に心の平静を保とうとしたが、ある時、決定的に彼女を打ちのめす事態が起きた」
「母代わりだった女性の死、だね」
僕の呟きに頷いて、リンは続ける。
「ソフィアは今でも悔いているんだ。あの時もっと、彼女の心を慮っていれば、と」
とはいえ、教皇の立場で末端の使用人の管理まで出来るはずもない。実際にその通りだったらしく、問題のメイドが亡くなった時、幾人かの神官の指示で、姫神子が死に目に立ち会えなかったようなのだ。死の穢れに触れるのは縁起が悪く、神力が弱まるという、たいした根拠のない勝手な判断で。
「姫神子はその頃から笑わなくなったんだ。微笑みを見せることはあっても、本心から笑うことはなくなった。そして、そんな彼女がソフィアに一つだけ願いを言ったんだ」
――もう、専属の世話人を付けないで。
「……その頃には、雫の精霊はかなり成長していた。見るからに衰えていく姫神子の傍らで、ますます力を付けている様子だった。精霊を視る力がほとんどない一般人にまで、その影響を及ぼすほどに」
リンは、言葉を切ってちらっとミドリを見た。
案の定、これ以上ないほど不機嫌な顔をしている。これ以上、本当は契約者であるアヴァ親子に聞かせたくない話のだろう。なにしろ、呑気に眠りこけていた彼が叩き起こされた大事件が、この後に起こったからだ。
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