姫神子シンシ
神子の勤めの一つ、国内外の教会などへの巡回。これは神子にとって、長い道のりであり、辛い行事だった。
神殿の外での食事は、原則禁止。神である女神同様、その御使いである神子も食事をしない、というのが建前だった。もちろん実際には、人目のないところでパン粥をほんの少量食べていたが、巡回が終わるころには一回り痩せてフラフラだったようだ。
また、神の獣である麒麟同様、その足は天空を歩くもので、地面にふれるものではないとされ、移動はすべて人の手を借りなければならなかった。
神子のあらゆる取り決めは、少しでも神に近づきたい、倣いたいという願いの現れなのだろう。
「やらされる方は、たまったもんじゃないけどね」
話の途中で、リンがそう感想を挟んだ。
大幅に緩和された後とはいえ、いろいろと体験させられた僕は、ため息とともに大きく頷いた。
あの日に見せられた、羊皮紙に書かれた正規の決め事を全部やれって言われてたら、間違いなくちゃぶ台ひっくり返してたね、きっと。
「各地への巡回で、一番初めに行くのは大瀑布のすぐ近く、その足元にある祠だ」
大瀑布のお膝元、霧雨のような飛沫が舞う場所に祀られた、大きな木製の祠だそうだ。もちろん手入れは必須で、数年に一度、神殿の敷地内で管理されている神木で、建て替えるとのことだ。
「正式名じゃないけど、女神の腰掛って呼ばれてるんだって」
なんでも四角い建物で、四本の高い足の上に建っているから、ということらしい。勝手に日本風の祠を想像したけど、ちょっと違う感じなのかもしれない。
神殿からは結構な距離があるが、下級神官が交代で清掃、管理、修理などを行っている。これは見習い神官たちの厳しい修業の一環として、今も変わらず続けられている。
「当時の姫神子、名は確かシンシだったかな。彼女が、件の雫の精霊に出会ったのは、年行事の巡回で立ち寄った、その祠ってわけさ」
リンは直接会ったことはないらしいけれど、ある程度の出来事や素性は、教皇様やお祖母様から聞いていたらしい。
シンシと精霊が出会ったのは、彼女が神子になってからかなり後半のことだったそうだ。
神子として選ばれることは、かつては名誉なことだった。
家族ともども大きな恩恵を得られ、お勤めが終わると、親族の誇りとして大切に迎えられた。
けれど、やがてハイエルフの特徴を持つ者は激減し、家族は普通のエルフであることも多かった。お勤めの長い期間に、一人、また一人と親族を失い、終える頃には両親も、親しい家族もすでにいない、ということも珍しくなかったという。
想像を絶する孤独感と喪失感に苛まれ、心を病んでやむを得ずお役を解かれた神子もいたらしい。
数年で神子が交代する事態に頭を悩ませていた神殿だったが、まるで救いのように現れたのが、シンシという完璧な姫神子だった。
彼女は人間とのハーフだったが、なぜかハイエルフの資質を持ちえた。
もともと彼女は、孤児として神殿に保護された子供だった。人間である母はもちろん、エルフの父親も早くに病で亡くしたためだ。
神殿にとっては、神の思し召し、まさに都合のいい「神子」だった。
行く当てのない彼女は、親切にしてくれる神殿の人々に感謝し、自分の意思で懸命に神子の勤めを果たした。
厳しい試練にも、辛い取り決めも、泣き言一つ言わずに耐えた。
「彼女にとっては、いつも身近にいた神殿の人たちが、家族そのものだったんだろうね」
神殿の思惑はともかく、彼女が幸せだったことは確かだ。けれど、その双方の均衡が崩れたのは、彼女が神殿に入って三十年を過ぎた頃だった。
彼女が母のように慕っていた世話係が、やがて老い、病に倒れて亡くなったのだ。
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