神獣降り立つ
「そういえば、聞いたか? 昨日、神子様の住まいに……」
「ああ、あれか! 私は見なかったが、見習いが見たと言っていた」
エルマンが廊下を歩いていると、そんな声があちこちから聞こえてきた。
昨日夜遅く、神子の館に輝く鱗を持つ神獣が降り立ったのだ。
古代エルフのソティナルドゥが、神格を得たとされる場面を切り取った絵画。その傍に描かれることが多い伝説の神獣。
不思議な色合いの鱗を纏い、その足で空を駆けることを神に許された唯一の獣。描かれた姿そのままそっくりの鱗を持つ獣が、夜空にきらきらと輝きながら降りてきたというのだ。
それこそ大神殿は大騒ぎだった。
普通ならば、野次馬が大挙となって神子の館へつめかけるところだが、そこは仮にも厳かなる大神殿。神の障りを畏れて、静かに、けれど大いに噂話に花を咲かせるに留まったのである。
マリーアンの居室に朝の挨拶に行ったエルマンは、思った以上に神殿中に噂が広がっていることに驚いた。
むしろ、リンはわざと派手に姿を現したとみるべきだろう。
マリーアン曰く。
「教皇様が病に臥せられて長いからな。みな好き勝手に派閥争いに勤しんでいたが、昨日のことで一気に冷や水を浴びたような状態になっておるぞ」
普段は凛々しくも慎ましいマリーアンだったが、その時ばかりは痛快そうに笑った。
「高位神官でさえ精霊を視なくなって久しく、神殿内でさえ女神に対する信仰心が形骸化してますからね」
「ああ、そうだ。先日の神子様復活の儀式も、体のいい信者集めに過ぎないと考えていた俗物どもだからな。さぞ肝を冷やしたことだろうよ」
笑顔に皮肉を交えて、マリーアンは「ふん」と顎をあげた。
「ぜひとも神獣様に今すぐご挨拶申し上げたいが、このような状態で、微妙な立場の私が神子様のお住まいに行くのは何かと外野がやかましくてな。神獣様のご意向など、聞いてきてくれると助かるよ」
位が上がってかえって窮屈になったと苦笑しつつ、マリーアンはエルマンを送り出した。
神事以降、エルマンは神子の身の回りのことなど、常に付き従ってお世話をする役割を続けている。実のところ、この役どころをあらゆる派閥が取り合い、エルマンが続けることをに異議を唱える者も少なくなかった。
言うまでもなく、神子を権力争いの渦中に巻き込もうとする勢力である。神子は飽くまで象徴的な存在ではあるが、ひとたび権力者が理を歪めれば、あっけなく取り込まれてしまうこともあるだろう。
だからこそ教皇には、相応しい人格が求められるのである。
どちらにしても、今のところは教皇直属のマリーアンが推薦の神官であるということと、神子様が望んでいるということで、エルマンの続投が許されていた。
リュシアンにしてみれば、こんなところに長居をするつもりもないし、権力を得たいわけでもない。ただ、病床にある教皇が抱える問題をなんとか解決、もしくは糸口だけでも見つけることができれば、と思っている。そして、最終的にこの神子という役割を、なんとかスムーズに後任に任せたい一心である。
候補はもちろんあの親子だ。これまで滞在する中で何度か話もしたが、神殿で暮らすことに否定的ではなかった。
彼女たちもまた、人とは違う異質な能力により大勢に馴染めず、はみだした存在だった。
神子に課せられた規律も大幅に改善しつつある今、本人たちが了承するのなら交代も可能ではないかと考えている。能力的には母親が相応しいが、年齢的には娘が望ましいだろう。
そして、本来なら神子として相応しくないとされた、歳相応に成長する、そのことが長年の勤めによる弊害を激減させるに違いない。
まだまだ課題は山ほどあるが、そういったことも含めて、一刻も早く現行の教皇には元気になってもらう必要があった。
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