リンとゾラ
「そこにいるよね、ゾラ。異界に姿を消しても、ボクには通用しないよ」
大神殿が見える森の中、背の高い針葉樹の細い先端に、白く美しい獣がいた。もちろん、そんなところに獣が立てるはずもなく、それは普通の獣ではなかった。
まもなく、その隣の樹木の枝の一つに人影が現れる。
「……ご無礼をお許しください、リン様」
それはこの半年の間姿を消したままのゾラだった。チョビがこの森を通ったときも、彼は気が付いていたが何もしなかった。
いや、できなかった。
「お前のことだから、こっそりあの子の側に戻っているかとも思ったけど、まだこんなところにいたんだね」
ゾラはうつ向いたまま顔を上げない。
「責めているわけではないよ。あれほどの精霊使いがいては、影響を受けても仕方がないからね」
悪戯妖精や精霊が面白半分に攫って異界へと連れ込み、その際、きわめて高密度な魔力を浴びることで人間の枠から外れてしまったものを、人々は悪意や恐れを持って精霊憑きと呼んだ。
綺麗なものが好きな妖精や精霊が興味を持つのは、見目の良い、美しい容姿の幼子ということから、精霊憑きは美男美女が多いとされる。
そして、彼らの多くは精霊に影響を受けやすかった。よく言えば、その親和性から、自分より微弱な精霊を操ったり、その身に宿したりできるが、ひとたび自分より格上の存在に遭遇すれば、その身は竦み、下手をすると意識さえ支配されかねないのだ。
あの時、精霊使いが使役していた精霊は驚くほど格が高かった。
「恥じ入ることはないよ……一部の上位精霊は、いわば神格に近いからね。まあ、とは言っても、あの精霊は、格の割にはどこか人臭かったけど」
上位精霊の格が高ければ高いほど、感情のようなものが欠落していることが多い。損得なく人々に大きな慈悲を与えていたと思ったら、ある日突然、ひとかけらの温情もなく彼らに災いを与える。
それらは世界全体のバランスのためだったり、疲弊した大地を攪拌させるためだったり、そこには個としての思惑や感情は皆無なのだ。
「……それはともかく、どのみちあの場に誰がいても、状況はたいして変わらなかったと思うよ」
仮にリュシアンが、相手の、そして身内の生死を顧みない人物だったなら、あるいは今回の誘拐劇は成功しなかったかもしれない。
人質にされている子供や、そのために行動する母親を、何の躊躇もなく排除できたのなら、それは可能だったということだ。膨大な魔力満ちる土地で、魔力お化けのリュシアンがその気になれば、いやそれよりも、世界の半分をも吹っ飛ばせるかもしれないチョビだっていたのだから。
「まっ、それが出来たら、リュシアンじゃないけどね」
ゾラが、ピクリと肩を動かす。
「あの子は自分を過小評価して、周りを優先しちゃうところがあるからねえ。でもまあ、狙いは自分一人で、生け捕りにするつもりだと気が付いてたみたいだし、今となってみれば、暴走したチョビが小物司教の二人もろとも、精霊使いを殺しちゃわなくて助かったんだけど」
精霊使いを殺せば、少なくともあの精霊は自分の存在が消滅しようとも、こちらの味方にはならなかっただろう。どちらが悪いとかいう問題ではないのだ。今はともかく、精霊やそれに属する存在を敵に回すのは得策ではないということである。
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