祈りの間
日が昇るよりわずか前、禊の白い衣を着て部屋を出た。
禊の儀にはメイドは傍に侍ることはできないので、僕を運ぶのはエルマン様の役目となる。周りにはこれから禊を済ませ神殿の奥、神子とその側付き神官しか入れない祈りの間へ向かうのを、一目見ようと神官たちが大勢集まっていた。
僕の存在は、枢機卿クラスでも一部の者しか知らない。
よもや神に仕える者が、無辜の子供を攫ってきたという事実は、いまのところ伏せられているのだ。公的には、教皇が相応しきものを選定し、選ばれたものとして丁重にお迎えした、ということになっている。
頭からすっぽりとかぶったベールが顔を完全に隠しているので、ここにいる者たちには男女どちらかさえわからなかったに違いない。
「それでは手順通り禊を終えたら、今日はそちらの扉から直接神殿へ行くとになります」
エルマン様が指さす場所には、見ずらい場所に人一人がやっと通れるくらいの扉があった。厳重に魔法の鍵がかかっているようだ。マリーアン様から授けられた、特別な魔道具の鍵がないと開かないらしい。
「じゃあ、行ってきます……」
冷たい水に入るのは、何度経験しても慣れない。
今日は、とくに正式な禊の儀なので、頭上から滔々と流れてくる清らかな水に身体を打たれなくてはならない。なにしろ冷たいので、まるで針のように肌を刺す。
本当に温泉だったらよかったのに!
なんとか行事を終え、慌てて水から出ると、エルマン様がすぐに大きな布で包み、生活魔法で身体を乾かしてくれた。正直、このエルマン様の魔法が無かったら、間違いなく風邪をひいてた。
本当に以前の神子には尊敬の念を覚えるよ。だって、めっちゃ大変だよ。冗談抜きで、お勤めが終わるころには心身ともにかなり疲弊していたに違いない。
この言い方はすごくソフトな表現で、本当にイロイロ問題があったのは、記録にもしっかり残されている。
「神子様……リュシアン? 大丈夫か」
目を瞑って黙ったままの僕に、エルマン様はいささか慌てたようだった。
「ごめんなさい、大丈夫です……着替えは、向こうでするんですね」
「はい、控えの間がありますので、そこでお衣装を整えます。お披露目の時は、時間によって更に何度か着替えることになります」
……お色直しがあるんだね。
みんな似たり寄ったりの衣装なんだけど、絹のような白い生地に施された透かし彫りの模様が違ったり、ベールの縁取りの色が変わったり、何が違うのかわからないけど、儀式の進行により何度か着替えるようだ。
魔法の鍵がかかった扉をくぐると、そこから大理石のような白い通路が続いている。しばらく歩くと、同じように魔法の扉があり、控えの間に到着した。
その向こうが、祈りの間である。
白いすべすべした石が敷き詰められた真っ白な空間。そこの中央で、神子は一日の間、女神に祈りを捧げるのだ。僕の場合は、食事の時間として二回ほど休憩が入ることになる。
禊用の薄い衣から、足のくるぶしまである白い長衣に着替える。肩からは金の縁取りに青のラインが入った短いマントが、また袖には銀糸の細かい刺繍が肩から袖口までデザインされている。
祈りの間には僕とエルマン様しかいないのに、この手の込みよう……。
その部屋の中央には、ゴムのように柔らかく、床の冷たさが響かないマットが敷いてある。ここに膝をついて、一日のあいだ祈りのポーズを続けることになる。
「私は控えの間におりますので、何かありましたらお声を掛けてください」
エルマン様がそう言って部屋を出ると、白く何もない空間に一人取り残された。
マットの上に膝をつき、僕は、少しだけ厳かな気持ちになって静かに手を合わせた。形だけとわかっていても、それでも女神信仰をおろそかにする気はない。
それに、信じたいとする気持ちもある。
前世でも、こんなに真剣に神に祈ったことなどないけれど。
「どうか、教皇様を……」
――そして、この神殿を取り巻くあらゆる悪意を断ち切れるようにと。
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