ベヒーモス(エルマン視点)
小さな手のひらに置かれた、デコボコした背中の亀のような生き物が、にょきっと首を伸ばした。
「こ、これは」
「チョビです。ペシュと同様、従魔ですよ」
確かにベヒーモスのようだが、ずいぶん小さい。ベヒーモスは重さや大きさを自在に変えられるので、これは自らこのような姿を取っているのだろう。
間違いない、ずいぶん前にリュシアンに託したものだ。危険だとは思ったが、あの時はそうするしかなかった。あの凶獣を、このような不安定な状態になってもコントロールできているとは。
こっちでスタンピードの調査をしていた時、大岩の隙間から転がり出てきたあのベヒーモスの幼生は、保護する前に何らかの力で異界に飛ばされた。今思えばリュシアンの繋ぐ能力が、スタンピードによる魔力過多の状態で、その場にいた私と無意識に引き合い、その現象に巻き込まれたのだろう。
結局のところ、無尽蔵に魔物を生み出していた大岩の正体はベヒーモスの死骸だったのだ。その生態はまだわからないことも多いが、あの幼生ベヒーモスは産まれたのではなく再生したのだと思われた。
自らの肉体を餌としてスタンピードを起こし、そのエネルギーで幼生として再構築されたのかもしれない。
「そろそろ禊のお時間です」
やがてメリッサとエレが時間を知らせにやってきた。エレは腕に折りたたまれた布を抱えている。
「もうそんな時間? 今日は寒いからやめる……ってわけにはいかないよね」
リュシアンは嫌そうにため息をついたが、それでもあきらめたように肩を竦めた。気の毒ではあるが、禊の儀までの期間は、毎日、身体を清めなくてはならない。
「神事までは我慢ですよ。お部屋をしっかりと暖めておきますから」
「うう、わかってるよ」
禊の場には、メイドであるメリッサたちは入れない。
唯一、側付きである神官である私だけが、お供することが特別に許される。ちなみに禊の場までは、いつものようにメリッサがリュシアンを抱えて運んだ。他人の目のつく場所では、やはり神子が地面に足をつくことは憚られたからだ。
「こちらは御髪を拭く布と、お着替えです」
「わかった。そちらも準備をしておいてくれ」
「かしこまりました」
エレから厚手の布と衣を受け取り、メリッサもリュシアンを下ろすと、その場から立ち去った。
館の裏手、離れた場所に小さな祠があり、その奥が禊の場である。その辺りは神子の関係者のみが入れる場所なので、リュシアンは自らの足で歩くことになる。
ペシュはメリッサたちとは帰らず、コウモリの姿へと戻った。チョビは頭、ペシュは肩へと、ちゃっかりいつもの定位置に乗っている。
かつての神子も精霊を伴うことがあったらしく、従魔は主人と一心同体だからと、そこはうまく丸め込んだようである。
ひたひたと、素足のリュシアンが勝手知ったるとばかりに歩いていく。その後ろ姿を見ながら、私も素足になってついていく。
エルフ族は、もともと男女の肉体的な体格差が少ない。
稀に例外はいるが、鍛えても発達しにくい筋肉。粗食を好むため、細身で華奢なものも多い。さらに子供となれば、なおさらである。もともと眉目秀麗な容姿が多い種族で、男女ともにたおやかな印象がある。
私の弟は、どうやら母親の血の影響が強かったようだ。
もっともディリィの話では、先祖返りであることの方がより影響しているのだと言っていたが。
リュシアンは、禊用の白い衣に着替えて冷たい泉へと入っていった。すうっと奥の方へ移動すると、この数か月ですっかり伸びた金色の髪が水面に扇のように広がった。
「あまり深いところに行ってはいけませんよ」
「わかってます。あ、チョビはかなづちだから水に入らないように見ていてくださいね」
かなづちだったのか……
チョビと名付けられたベヒーモスは、水辺の端で行ったり来たりと忙しなく動いていた。
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