朝の光
「……まあ、起きていらして大丈夫なのですか?」
メリッサがノックとともに寝室に入ってくると、居間の明るさが一緒に入ってきた。とうに陽は昇っているらしく、居間の窓から差し込む温かい陽光が、扉の隙間からではあったが目に眩しかった。
「大丈夫、今日はすごく調子がいいから……天気がいいみたいだな」
「ええ、とても気持ちのいい朝ですよ。申し訳ありません、眩しかったですか?」
配膳用のカートを押していたエレを慌てて寝室へ入れて、メリッサは扉を閉めた。
この部屋には窓がないので、すぐに魔力ランプの光のみの薄暗い空間に戻る。
「あ、よかったのに。昨日までは目に煩く感じたけど、今日はあの眩しさが気持ちよく感じるよ」
「まあ、それは……でも、なりませんよ。ベッドを出るのはお医者様の許可が出てからです。後程お呼びしますので、それまでは我慢してくださいね。今朝のところは、このままこちらで食事をお取りください」
そういって、メリッサは朝食の準備を始めた。
最近はほとんど食べてなかったので、もっぱらパン粥とかいう文字通りパンをミルクで柔らかく煮た軽い食事だった。
温かいパン粥と、リンゴのようなシャリシャリした果物のすり下ろしたもの、胃腸の働きをよくするとかいうめちゃくちゃ苦いハーブティ。これが今日の朝食のメニューのようだ。
昨日まではまったくのどを通らなかったのだが、今日は瞬時にぺろりだった。空腹は、何よりの調味料だというのは本当のようだ。もっとも、苦いお茶には毎回辟易するが。
もっと食べたかったが、空腹だったところに大量に食べるのはよくないと、当然ながら止められた。
空になった食器を片付けながら、エレはチラチラとペシュを見ていた。
実のところ、ここ最近の不調のせいと、先行きがわからない不安、自分の存在があやふやなこの状態に、俺はいささか気が立っていた。
自分も驚くほどの自制心で周りに当たることはなかったが、そのかわりにペシュに伝播してしまったようで、食事をいらないと断っても寝室に入ってこようとするメリッサやエレを威嚇していたようなのだ。
その時は、俺に止めるだけの気力がなかったので、エレはすっかりペシュが苦手になってしまったようだ。まあ、メリッサはぜんぜん堪えてないみたいだけど。
「起きていらっしゃるなら、今日は御髪を整えましょうね」
エレが後片付けをしてカートを押して寝室から下がると、メリッサが別に持っていた手提げの四角い箱から櫛とブラシを取り出した。
「それくらいは自分で……」
そういって手を伸ばすと、メリッサは微笑んだまま首を振った。
俺は、仕方がなく手をひっこめて大人しく座りなおした。すると「失礼します」と一言声をかけられて、彼女が持つブラシが俺の髪を梳かし始めた。
そういえば、ここに来た当初、なんだかわからない香油をつけられそうになって、必死にそれだけはなんとかやめてもらったのを思い出した。
サカサカと軽やかな音が耳元をかすめる。
俺の感覚では、有り得ないほどサラサラでつややかな髪が、ひと房、肩から滑り落ちた。もともとこんなに長かったのか、鎖骨にかかりそうなほど伸びた髪をぼんやりと見詰めていた。
「さすがに長いよな。ちょっと邪魔だし、これって切っても……」
「なりません!」
ほとんど独り言だった俺は、間髪入れず被せてきた彼女に驚いて振り向いてしまった。
「も、申し訳ありません。私には詳しくわかりかねますが、司祭様のおっしゃるには髪には神力が宿るとのことで、めったなことではハサミは入れないのだそうですよ」
「……し、神力?」
またおかしなことを言い出したな。
そういえば、ここへ来てすぐの頃は儀式がどうとか、しきたりがどうとかやたらと説明された気がする。あの頃は今より混乱していて、ほとんど右から左だったが、その後すぐに身体を壊してうやむやになってたからなあ。
今は体調がよくなり、ちゃんと食事も摂ったたことで、腹に力が入っていろいろ考えられるようになった。
例の《《あの人》》は、詳しいことは会ってから話すと言っていたけど……。
長く伸びた髪を丁寧にくしけずられるくすぐったさを堪えながら、俺は小さな手のひらを眺めた。
力強く、グッと握る。
あれほど力の入らなかった手が、今では嘘のように一本芯が通ったようにしっかりしている。
身体を巡る、秘められた不思議な力。いや、正確には忘れていただけで、もともと持っていたらしいのだが。
まだ、あまりピンとはこないものの、今こうして元気になったのは、間違いなくその力の影響だ。もっとも体調不良の大半の原因もまた、その力のせいだとも言っていたけれど。
ペシュを通して話しかけてきた、あの人物。
失った記憶の中にいるはずの、たぶんとても俺を……正確には俺と言っていいかわからないが、元の俺を大切に思ってくれているだろう人物がくれた、その助言のお陰である。
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