声
――さらに数日後。
俺は、相変わらず寝室に籠っていた。こんなに広い部屋なのに、俺の居場所はもっぱらベッドが一つあるだけの穴ぐらのような一か所に限定されている。
もっとも、実際には閉じ込められているというより、俺の都合で出ることができなかったというべきだろう。
食事もここまで運んでくるので、初めこそ行儀が悪いから居間へ移動すると抗議したものの、食欲さえあまりないのでどうでもいい気がしてきた。
ここのところ、なぜか体調が安定しない。自慢ではないが、俺は病気一つしたことがない健康体だった。もっともそれは以前の俺のことなのだが。
当時、頑丈な身体には何度も救われたものだ。連日の徹夜、休日無視の連続出勤にも耐えてくれた。まあ、それも年齢とともに失われつつあり、中年の憂いを感じたりもしたものだが……。
いや、まあそれは置いといて。
それにしても、この体の弱さはどうしたものか。見るからに華奢で小さい身体だが、これって何歳くらいなんだろうか? 小学一年、二年か……よくいって三年生くらいかな。その年齢なら、もっと元気でも良さそうなものだけど。
現に、たくさんの友達と屋外で飛び回って遊んでいたという記憶がある。けれど同時に、ここと同じような大きなベッドに沈み込んで、つまらないと日々不平を鳴らす姿も、さも体験したかのように生々しく交錯する。
うわあ、ダメだ。頭がぐるぐるしてきた。
時々、こうして記憶が混じることがある。正直なところ、どちらの記憶も自分のものとしては遠く、別人のもののようで現実味がない。
もしかして、すべては俺の生み出した妄想なのかもしれない、とさえ考えてしまう始末だ。
あー……、また熱が上がってきた気がする。
「……ペシュ、悪いけどそこの水取って、起きるから手を貸して」
この身体は確かに弱々しいが、それだけではなく、何かこう……体の中に流れる得体の知れないものが、コントロールを失って迷走している気がする。
ペシュがサイドテーブルにある水差しを手に持って、もう片方の腕で俺の肩の下から持ち上げるように体を支えてくれた。情けないことに、熱が出ると体が思うように動かない。ここのところ連日この通りなので、例の枢機卿とやらもどこか当てが外れたような顔をしていた。
そのことで待遇が変わるかもという不安もあったが、ちょっとだけざまぁ見ろと思ったことは内緒だ。今後の命運を握っている重要人物かもしれないが、彼の思い通りになるのは俺の本意ではない気がするからだ。
「……ん? あれ、ペシュ、水を」
俺がちょっと考え事をしている間に、ペシュの手は完全に止まっていた。
口元へ運ばれるはずの水差しを持ったまま、ピタリと固まっている。水が飲みたかった俺は、催促するようにペシュの顔を見た。
けれど、彼女の視線はどこか宙を見ていた。
こちらを向いてはいるが、通り抜けて別の何かを見ているようだったのだ。そして時折、人の声ではないような高い音で、チチッと小さく鳴いた。
「どうした? ペシュ」
そういえば、もともとの姿はコウモリだって言ってたっけ……って、その辺の説明が、いまだによくわからないんだけど。
「チ、チチ……ぇる? ……あれ、届いてるか」
すると、ペシュの唇が小さく息を吐いたあと、いきなり知らない男の人の声が飛び出した。
最初はどこから聞こえるかわからなくて、思わずあたりを見回した。けれど、この寝室には俺とペシュの二人しかいない。
「え、ペシュなのか? 一体、どこから声出して……」
ペシュは、もともとあまり喋らない。とはいえ、初めに名乗って以来、ほんのわずかだが受け答えをするようになっていた。
その声は、鈴を鳴らしたような可愛らしい少女の声だったはずだ。
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