神獣
「ゾラ、だっけ? 安心して、ボクは本当に君のご主人様の敵じゃないよ。だから、落ち着いて」
さっきから僕の横でまんじりともせず、まるで棒でも呑みこんだように直立不動で立ち尽くしているゾラに、リンは労うように声を掛けた。
どうやらリンを攻撃しようとするゾラを、彼の中の精霊が拒絶して双方せめぎ合いになり、このようにフリーズ状態になってしまっているようだ。
「精霊獣は、基本的にボクには手出しできない。まあ、意思を持つ精霊は必ずしもそうとはいえないけど、世界の理を外れることができない自然の一部たる精霊獣は、神の使徒であるボクには危害を加えることはできなんだ」
「か、神の使徒!?」
「とはいっても、実は神様には会ったことないんだけど……ただ、ボクの種族の位置づけが、たまたまそうだったと言うべきかな。ボクは麒麟という種で、カテゴリーは神獣とされているんだ」
麒麟……もちろん知っている。前世では、いわゆる想像上の生き物とされていたものだ。この世界でも、もちろんポピュラーな存在ではなく、物語で見る程度の知識でしかない。
「生まれてこのかた仲間に会ったことないし、たぶん珍しいんだよボクって」
……自分で言ってるし。
ゾラがどこか挙動不審だったのも、そういうわけだったようだ。ゾラは、まだ多少なりとも疑わし気にリンを見ているが、とりあえず彼女の言葉を受けて己の中の精霊に抵抗するのをやめたようだ。
肩の力を抜いて、そのまま僕の後ろへと下がった。
「驚いた……私も初めて見たわ。さすがの英雄王も、麒麟は従えてなかったのよ。あの時代には、僅かだけれど存在していたらしいけれど」
「へえ、そうなんだ」
古代竜をはじめ、数多くの従魔がいた初代皇帝も、さすがに神の使徒を従魔にすることはなかったようだ。そもそも、従魔にできるのかどうかわからないしね。
「ところで、どうしてそんなに濡れてるんです?」
「……あははっ、今頃それ言う? ボクずっと濡れねずみだったのに、誰も聞いてくれないのかと思ったよ」
リンは一瞬、キョトンとして明るく笑った。確かにずっとポタポタと滴がたれていた。ただ、濡れそぼっているというより、朝露を纏った植物のように、水の玉が表面にくっついていただけだったのだ。まるで、本体は濡れていないかのように……。
「すみません、なんかそれどころじゃなくて、それに……」
「まあ、いいけどね。こんなのすぐに落ちちゃうしさ」
そう言うと、ブルブルッと頭を振った。水しぶきが、パラパラとこちらに飛ぶ。
「わっ、リンさん……ん? あれ、この水って」
「ごめんごめん、どうしたの?」
この水、すごく塩辛い。さっきの地底湖はそれほどでもなかったが、こちらは完全に塩水だ。というか、これって海水?
「……リンさんは、どこから来たんですか?」
身体についた水滴を払っていたリンは、呟くような僕の問いに、ごくあっけらかんと驚くような答えを口にした。
「どこって? そりゃムーアー諸島でしょ。だってここは、ムーアー諸島の海蝕洞からなるダンジョンの三階層なんだから」
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