エルフ族3
それは、いわゆる生き神信仰である。
神の子とされたハイエルフは、幼年期から少年期の約五十年、神殿から出ることを許されなかった。俗世に触れると神の子の資格を失うと信じられていたのだ。
もちろん遺伝のいたずらであって、神の加護云々は関係ないので、実際にハイエルフの特性は何をしても失われることなどない。
エルフ族の根底に、人間の世を選び、森を捨てた自らに罪悪感のようなものがあったのかもしれない。こうした彼らの深い信仰心は、その裏返しだったのだろう。
その頃のエルフは、どんなに神や精霊にに寄り添いたくとも、既にそれらを視ることができなくなっていた。そのため、以前の自分たちの特性を持つハイエルフを、視える神として担ぎ上げたのだろう。
「とはいえ、ハイエルフも成長が遅いだけで、やがて青年期を迎え大人になります。そうなると、神の子としてのお勤めは終了です。そのまま神に仕える者もいれば、神殿を出る者もいます」
「ずっと閉じ込められている訳じゃないんですね」
少しだけホッとしてリュシアンが答えると、ジーンは複雑そうな顔で頷いた。
「もちろんです。お勤め期間は、ハイエルフの寿命からすれば、ほんの少しの時間です。けれど、どの種族でも成長期の教育や生活環境が重要なのは変わりません。その期間を神として過ごした彼らは、少なからず心を病んだものも多かったと言います」
「……な、なんで?」
多少の不自由はあれど、神として大切にされているのだろうと思っていたリュシアンは驚いた。前世で見たような大名行列のように、行事の時に仮初の姿で人前に出て、神の振りをするようなイメージだったのだ。
けれど、彼らは神であることを始終求められていたのだ。
寝るときも、飲食でさえ極限に制限され、口を開くことも出来ず、また片時も一人にはなれず、常に大人たちの監視を受けていた。
思わず身を乗り出すリュシアンに、けれど、ジーンはあえて詳しくは説明しなかった。
「神の子として認定されると、まず親元から離されます」
「……」
先ほどの答えではないとわかってはいたが、リュシアンは何も言わなかった。
選ばれた子供たちの生活は思った以上に過酷だった。毎日の朝のお勤めから始まり、深夜まで行事に、神事にと引きずり回される。しかも歩くことさえ自らの足を使うことを許されなかった。移動は全て大人たちの手によって行われ、自分では何もさせて貰えなかった。幼い子供が、何年も、何十年もほとんど自らの足で歩かない。地面に足を付けたことがない。これがどのようなことになるか容易に想像がつくだろう。
お勤めを終えた神の子の疾患のもう一つが歩行困難である。
こういった弊害はあれど、基本的には神の子を輩出することは一族にとっては誉とされ、両親には手厚い保証が与えられ、場合によっては爵位を賜ることもあったらしい。
「どちらにしてもエルフの国はもうないですし、過去の話ですよ」
リュシアンの表情がだんだん曇るのを見て、ジーンは話を手早く引き上げた。他にもいろいろな逸話もあったりするが、史実や物語としては興味深く面白いかもしれないが、自分がそうなっていたかもしれないと感情移入して聞くのは、決して気分のいいものではない。
そんな風に気を遣って話題を変えようとしたジーンに、一つだけリュシアンが真剣な顔で呟いた。
「五十年…、…」
「……え? …なんですって」
ぼそりと「背が伸びないなんて」と聞こえた。そういう問題ではないとジーンは思ったが、リュシアンにとってはそれも重要だったのだろう。あらゆる能力値にボーナスが付く成長期が長い、という話だったはずだが、どうやら論点がずれてしまったようだ。
「五十年というのは、飽くまで青年期初期までの成長期という意味です。貴方も、いずれ幼年期を終えれば徐々に少年期に移行して、数年もすれば身長は伸びてきますよ」
「そうなんですね、よかった……というか、考えてみたら、僕がそのハイエルフだという確証もありませんよね」
リュシアンは「すっかりその気になっちゃいました」と、ちょっと恥ずかし気に笑った。思わず頭をかいたものだから、頭上のチョビが足を滑らせ半分ずり落ちそうになっている。どうやら、熟睡していたらしい。
「そういえば、従魔が増えていますね」
ジーンは、リュシアンが自分の仮説を暗に曖昧に処理したのを、特に正そうとはしなかった。首元、髪の影に隠れた黒いコウモリを覗き込むようにして、すぐに話題を変えた。
「はい、まだ仲間になったばかりですが……」
リュシアンもそれに乗ってペシュを紹介しようとして、ふと階下からの騒ぎに気が付いた。何やらザワザワと慌ただしい感じが伝わって来たのである。
ペシュもなんだか急に落ち着かない感じでパタパタと飛びたち、リュシアンの頭の上を飛び始めた。
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