おまけ
「さて、私たちも脱出しないとね」
長い銀髪を手で押さえつつ魔法陣を覗き込む長身の女性に、すらっとした馬のような四肢を持つ獣は、なにか言いたげな顔で見上げる。
「わ、わかってるわよ。今回の事は私が悪かったわ。だって、しょうがないじゃない、会いたかったんですもの…可愛いあの子に」
まるで人間のように、その獣が深い溜息をつく。そして口を開いた。
「怒ってないよ、ボクは。怒ってるのは、彼だよ」
「…やっぱり怒ってるかしら?」
こくりと頷く。
「彼だって、会いたいのを堪えてるんだ。こんなことになるかも、だからね」
「わかってるわよ、そんなにいじめないでよ」
女性の年の頃は二十代前半くらい。細身で色白、瞳は透き通るような碧。少しとがった耳を持ち、艶やかな銀髪を背に流している。身体に纏わる薄手の長衣には深いスリットが入っており、長くしなやかな足が時折見え隠れしていた。
そして、その傍らには不思議な姿をした獣。
二本の細長い角を持ち、シルエットは馬のような姿ではあるが、その背には一面びっしりと鱗で覆われている。たてがみは金色で、頭はまるで竜種のようだった。
「キミの懇願に負けたボクも悪いけどね。あの時、慌てて後を追って飛び込んだはいいけど、あの子が大暴れしてくれなかったら、今頃は魔物の餌だったよ」
「反省してるわよ、ほんとうよ!ああ…、でも彼になんて言い訳しようかしら」
「知らないよ、てか言い訳なんかせず素直にゲロッちゃったら」
「…あなた本当に神獣?最近、口が悪いわよ。というか貴方こそ、また勝手に界渡りしたわね」
――ぎくっ!
それまでどこか余裕顔だった獣は、にわかに慌てふためいた。なにか不都合なことを言われたらしい。
「ボ、ボクは視察に回ってるんだ。断じて遊びに行ってる訳じゃないよ」
「どうだか…、変な影響ばっかり受けてくるんだから」
女性はちょっと溜飲を下げたのか、ようやく帰る決意を固めたようだ。
「ところであの子たち、ちゃんと元の場所へ帰れたかしら?」
「大丈夫でしょ、無意識だけどあの子は最初から自分の力で渡ってたからね」
ここから脱出しただけでは元の場所には出られない。普通にこちらの地上に出てしまうのだ。けれど、リュシアンが「帰る」ために魔法陣に飛び込んだのなら、間違いなく「出発」したところへと戻っているだろう。
「確かにそうね、あれは貴方の力じゃなかった…」
「うん、ボクたちが通って来た歪みに影響されたとはいえ、あの人数を『渡らせた』んだから、やはりあの子はすごいよ。神獣のボクだって、一人がせいぜいというところなのに」
神獣の言葉に、思わず女性は苦笑する。その表情は、どこか複雑そうであった。
そして、ふと思い出したように。
「一緒に飛び込もうとしてた彼、誰だったのかしら?」
おそらく、ゾラの事である。あの時、狭間に吸い込まれたリュシアンを追って、自らもその中へ飛び込もうとしたのだ。けれど、これ以上不確定要素を侵入させたくなかった彼女たちは、咄嗟に体当たりで押し出すようにして、その勢いでリュシアンたちを追って飛び込んだのだ。
たぶんその直後、歪みは解消されゾラは巻き込まれなかっただろう。
「さあ、怒られに帰ろうか」
「……憂鬱だわ」
女性とその獣は、観念したように魔法陣へと次々に飛び込んだ。
にわかに静まり返った暗闇は、まるで最初から誰もいなかったように、ただほのかに光る魔法陣だけがぽっかりと浮かび上がっていた。
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