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10.青年の声、その意味

 モルブスはお忍びという名でフォシエの元を訪れることがあったが、妹の方はさすがなかった。

 フォシエは追い出さないが、心の奥には滓がたまっていく。

 明るい彼を見ていると腹が立つ、悲しくなる。その悲しみは、彼を恨むに恨めないというものから起こる気がしていた。彼は悪くない。悪いのはこの世界に来てしまった自分であり、本当のことを言いたくない自分である。


 いや、自分が悪いわけではない。

 すべて悪いのはこのような運命を作った神となる。

 いや、自分がそのような運命を引き付けてしまったことがいけない。

 それは神が作ったものであり、悪いのは神となる。


 モルブスと話しているとそのような答えのない質問が頭の中を駆け巡っている。彼と話していると考えると苛立ちが募るための現実逃避にも近い。

 何も解決しない問答。


 言えるならば来ないでくれと言いたい。しかし、言えないのは理性があるから。


 ――何を望む?

 ――何を願うの?

 ――追い出した追い出せばいいのに。


 王子と話している間、謎の声は大きくなるし頻繁に聞こえてくる。その時々声の様子は違う。老若男女問わない声音。

 それらはフォシエの王子への苛立ちに呼応しているようだ。だからこそ、フォシエは自分の心の声だと感じていた。


 この苛立ちさえ表に出さなければ、いたって平穏な日々なのだ。


 新しい舞台を立ち上げた後、いつも王子とともに来る青年がフォシエの前に現れた。お付きであるため、顔見知りではあるが、二人きりになり、話をすることはなかった。


「初めまして、ナーブルム・ティエンティと申します」


 明るい声音であるが、表情は他者を見下すような傲慢な雰囲気がどこか漂う。

 フォシエは最近他者に対して陰鬱とした気持ちで見てしまう自分に気づいているため、ナーブルムに対しても自分の思い込みだと考えていた。


「初めまして、というのも不思議ですがね。フルク・マックスと申します」


 フォシエはナーブルムに愛想笑いを見せる。それが何を意味するかフォシエは分からない。

 ナーブルムについてはジューニがどういう流れで王子付きになったのか簡単に話してくれている。有力貴族であったが、不正を働き没落した一族。

 ジューニは何も言わないが、不正といっても陥れられたことも念頭に話してたに違いないとフォシエは思っていた。彼が頑張って今の地位にいるのだろうと単純に頑張っている青年ととらえたのだった。


 ナーブルムはじっとフォシエを見つめる。上から下まで、表だけでなく体の芯まで見つめるような鋭さと深さがある。


「何か、そそうでもしましたか?」


 王子付きの青年がフォシエに声をかけるならば、そのあたりしか思いつかない。

 ナーブルムはいらだった表情になる。次には諦めとため息を漏らし、苦笑した。


「いえ、何も……むしろ、望んでいたものが手に入らず、しかし、あなたという、仕えるべき主を見出せるならば良いかと納得させていたところですよ」

「え? 何を?」


 ナーブルムは首を横に振った。


 フォシエは一歩後ろに下がる。ナーブルムが何を言っているかわからない。そもそも、彼の主は王子であるモルブスなのだから。

 そのため、聞いてはいけないものを彼の言葉から感じ取った。


「時間がないので手短に説明を……納得していただきたいと思うのですが? まずはこの世界にいる神について、あなたはどの程度ご存知か……と聞くのは愚問ですね」

 ナーブルムは小声で早口で話す。その言葉はなめらかで問題なくフォシエの耳に届く。

 フォシエは世界にある神話を使って舞台を作っていた。


「ならば、名があり信仰もされる神だけでなく、名もない無数に神がいると理解はされている。ただし、その神がこの世界に影響をどう与えているか、ということについてはどうでしょうか?」


「……影響?」

 フォシエとしては「何もないではないか」と言いたいところであるが、ナーブルムがどういう信仰を持っているかわからないため、下手に返せなかった。


「そうです。神は影響を与えることができる。私はそれを知っている! しかし、私には神の声を聞くことができたとしても、答えることができない」

 ナーブルムは悲し気な表情を作る。しかし、フォシエはその表情が何に対して悲しいものかという疑問を感じた。


「だから! こうして、あなたに神になってもらいたい!」

 ナーブルムは異様に明るい表情でフォシエを見る。

「何を!」

 恐怖を感じてフォシエは一歩、下がった。


「あなたは神になれる」

「それは異世界から来ている、ということからかね? それとも舞台において、ということだね?」

 フォシエは冷静に彼の言葉をとらえようとした。不安も押し寄せ誰か来てくれることを願った。


 ナーブルムはキョトンとなる。しかし、次の瞬間、大きな声で笑った。周囲からの目を気にしないものだ。

「何を言い出すかと思えば! そのようなことではない! あなたは、神の声を聞いているはずだ!」


 フォシエは心当たりがあり、すぐに反論できなかった。

 この世界に来てから時々脳裏に響くもの。最初はどこからか聞こえてくるもだと思っていたが、それは違いどこから聞こえるかわからないのだ。

 声がするのはどこからか探った結果、直接聞こえるという結論に至っている。


「あなたには神になってほしい! 私はそれを望む! そうなってくれるならば、私はあなたの忠実な執行者になり、あなたを祭る神官となる!」

 ナーブルムの声は大きい。すでに誰かに聞かれることを恐れていないのだろうか。

 フォシエはおびえた。

「待ってくれ。そのようなことを……勝手に決めないでくれ」

「勝手に? 私が決めるのではない! 神が決めるのだ! ただ、私はそれに従っている。神は不安定で、世界を知らない。人とあることですべてを知る! だから、あなたが神にすべてを教えるのだ」

 フォシエはナーブルムを恐れて見つめる。

 何を言っているのかわからないからだ。


「お願いだ! もう、これ以上耐えられない! 生きる為、復讐をするために、モルブスの側にいる。そばにいて守っているのが苦痛なのだ! どうしたらいいのだ! もう、嫌だ! この王家がある限り、我が一族は不遇しかない」


 ナーブルムはフォシエの前に跪いた。彼の一族の話につながったためフォシエは彼がすがる理由を感じた。


「だから、だから! 復讐の神よ! 狂気の神よ! 私の願いを、私とともに」


 必死な顔にフォシエは震える。彼の必死な思いは狂気じみている。それほどにまで追い詰められているのだと。

 しかし、フォシエは神ではない。いくらこの世界の人間ではないとはいえ、ただの人間であるのだ。


 ――ねえ、壊そうよ?

 ――本当は何を願うの?

 ――貴様の願いは何だ?

 ――破壊しろ! 破壊しつくせ!


 脳裏に響く声にフォシエは目を見開いた。


「うるさい!」

 思わず声が出る。ナーブルムのこともあり、すでに頭で考えることが難しくなっていた。この一言で我に返る。


 廊下を走ってくる複数の足音がする。それとともに、フォシエを気遣う声がしていた。

「どうかしたか!」

 モルブスと複数の警備兵だ。


 ナーブルムは血走った眼でモルブスたちとフォシエを見る。

 その目が語るのは「私を突き出すのか!」という恐怖。すべてが終わってしまうという怯え。


「ああ、すまない……ちょっと、何か思い出しかかってな……その時、彼が来て、思わず……口論してしまったのだ」

 フォシエは目を伏せて、首を横に振った。そのあと、しゃがむとナーブルムの手を取り立たせる。


 ナーブルムの目は安堵に満ちている。一方で、不満も感じられる。


「思い出した? それでなぜナーブルムを?」

「いや、彼が、私が頭を抱えうめいたいたのを具合が悪いと考えて必死に介抱しようとしてくれたんだ。それを思わず、払った上、思わず蹴りそうになった」


 フォシエはため息を漏らす。


「すまない、君の大切な護衛を」

「いや、別にかまわない。あなたが思い出すほうが重要だ」


 ナーブルムは唇を噛む。

 フォシエはモルブスに冷めた目を向けた。王家の傲慢がそこにある。貴族にある傲慢でもある。


「息子の名がゼネシスだったというのだけは思い出した」

 フォシエは口の中で息子の名を言った余韻を楽しむ。口にして名を告げたのはどれだけ昔だろうか。いや、一年も経っていないはずだ。


「さぞ、頭のいい子だっただろうな」

 モルブスは笑う。


「なぜ?」


「フルクは頭いいだろう? 記憶があって、もっと出会うのが早かったら、わたしの家庭教師になっていたかもしれないぞ」

「それは大げさだ」

 一瞬「ただの劇作家だ」と言いかかり、口をつぐんだ。


「公演開始まで日数はない。今日は帰ろう」

 モルブスは城に戻っていった。

 フォシエはすべて解決していない現在、どうしたら良いか思案した。


 ――答えはもう出ているだろう?

 ――出てるかなー? まだ、もうちょっと?


 男か女か、大人か子どもかわからない声は楽しそうであった。

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