イデアールの夢
私が生まれて初めて感じたことは、狭い、でした。たくさんの人たちに囲まれ、多くの期待の眼差しを浴びながら、私は生まれました。時は2035年。ロシア語の飛び交う雪原のとある研究施設でのことでした。スラリとした身体に白い肌。そして風を切り、空を駆ける翼を持つ私。あとから聞かされたことですが、私のボディは従来の、いえ、失礼でしたね、先輩方のボディを改良して生み出された次世代型だったようです。この身体で私は先輩方のように、宇宙へと羽ばたいていくのです。日本語で『理想』と訳される私、イデアールはロシアの宇宙開発の研究施設で、最先端ロケットとして産声をあげたのでした。
私を生み出してくれたのは一人の若き宇宙物理学者でした。名前はユーリ。白衣の似合うハンサムですが、周りからはロケットと話す変人だと言われています。でも、私はそうは思いません。なんせ私はロケットなんですから。話し相手がいるのは非常に嬉しいことです。実際問題、意思疎通はできませんけどね?彼が私にこれまでの宇宙開発の歴史や、私自身のことを教えてくれたのです。私のボディのことも彼から聞きました。ちょっと誇らしげに、彼は話してくれました。それに私は頷くでもなく、ただ耳を傾ける。狭い格納庫の中ですが、とても有意義で幸せな時間です。そして、彼は最後に、こう、締めくくるのでした。
「僕は宇宙に恋している。瞬く星や、渦巻く銀河の先を見てみたいと、そう思っている。でも、僕は学者であって宇宙飛行士じゃない。だから、君に見てきてほしい。宇宙の全てを。僕と、世界中の人の夢を乗せて」
私は、宇宙に夢を馳せる彼が好きでした。そして、私もまた、彼と同じように、宇宙に恋していました。彼とは一心同体のような、そんな気がしてなりませんでした。彼が見ることのできない星の瞬きを、銀河の渦巻きを、宇宙の全てを、私は観測し、彼に情報として届ける。それが私の役目だと、そう信じていました。
それでは、彼が教えてくれた先人ならぬ先ロケットの話でもしましょうか。私の先輩の一人であり、ユーリ自身が宇宙に憧れるきっかけになった、ロシアの誇る当時最も安全と言われたロケット、『ソユーズ・ファミリー』から。先輩方は後から紹介するスプートニクおじさんの後釜にあたる、ボストークおばさんの更に後継、派生機として1966年に運用開始したそうです。当然ながら当時はまだ私もユーリもうまれていませんが、その利便性や安全性、コストの面から2030年の引退の時まで宇宙開発や観光事業に大きな貢献をしました。派生系を含めると二千回もの実績を積み、世界中にソユーズ・ファミリーの名前を轟かせました。
ただ少し残念なのは、ロケットのイメージがずっとアメリカ製のシャトルオービターであること。宇宙へ行きたいと願う子供たちの大半は、大きな赤い推進エンジンと、その脇の小さなエンジンが印象的なスペースシャトルが大好きで堪らないのです。私もユーリもソユーズが打ち上がる瞬間の、発射台が花開く感じがとてもかっこいいと思うのですが……。ユーリと私の憧れはどうも一般常識とはズレているようです。シャトルオービターと違って派手さに欠けるのがいけないのでしょうか。どちらにせよ、ソユーズは着々と実績を積む、言わば縁の下の力持ちのようなポジションなのだと思います。引退機とも会ったことがあると言っていたユーリは、その時のことをこう語ってくれました。
「僕だって全てのロケットの声が聞こえるわけじゃないけれど、その時だけはソユーズの声が聞こえた気がする。一九六六年から先祖代々受け継ぎ、改良を加えながら進化してきたソユーズ最後の機体は、達成感と満足感に満ちていた。大気圏を超え、傷だらけになりながら帰投した機体は、ただ一言『今までありがとう』と、そう言っているように見えたんだ。本来それは人間側が言うべき言葉なんだろうけど、引退機はむしろ自分たちソユーズを作り出し、絶対の信頼を寄せ、宇宙へと送り出してくれたことへの感謝を言いたかったんだと思う。その時、僕はソユーズを超える新型ロケットを作らなければと思って、イデアールを作ったんだ。スペースシャトルがいけ好かないわけでもないんだけど、僕は実直にミッションを重ねていくソユーズの意志を継いだ機体を作りたかった」
スペースシャトルが夢とドラマを運ぶのなら、ソユーズは好奇心と挑戦する心を運ぶもの。アメリカとロシアという二つの国の宇宙開発競争の終着点は、全く異なるタイプのロケットになって身を結んだんだと、そうユーリは言っていました。そしていざ私を作るとなった時、自分の国のロケットだからソユーズ型を選んだということでは無いようです。純粋にソユーズの生き様に彼が心惹かれたからだと、そう思いました。そして私は並々ならぬ期待に少しプレッシャーを感じてしまうのでした。
もう一つ、先程も登場した『スプートニクおじさん』の話もしておきたいと思います。人類の宇宙進出の第一歩、先駆けとなったロシアのロケット、それがスプートニクです。ロシア製ロケットが現在のような形になったのも、すべてこのスプートニクロケットが原型であるから。そして、このスプートニクロケット及び後継のボストークロケットが、大陸間弾道ミサイルの流れからきているのも有名な話です。
1957年、まだロシアとアメリカが冷戦真っ只中だった時代のことでした。宇宙へ正確な軌道でロケットを打ち上げることはそのまま高精度のミサイルを撃てることと同義であり、人工衛星を持つことはそのまま偵察機なしに敵地を掌握できることに違いありませんでした。そういった風潮の中でスプートニクは生まれました。平和主義者のユーリは、ロケットの原型と運用目的が当初は戦争から来ていたと知ったときには、思わず肩を落としていたみたいです。
でも、結果的にスプートニクは軍事利用されることはありませんでした。人類の大いなる好奇心と探究心でもって宇宙へと飛び出し、疲弊したソ連の新しいシンボルとして多大なる成果を残しました。スプートニクおじさんという愛称もユーリが勝手につけたのですが、これが私もなかなか気に入っています。現存する機体を見に行ったユーリの話ですが、なんでも寡黙で堅物で真面目なおじいさんらしく、ユーリでも何を考えているかわからなかったみたいです。それでも有名な宇宙犬ヴェルカとストレルカを抱えてやっとの思いで帰還した優しさと、救えなかった数々の生き物たちへの自責の念は伝わってきたと言っていました。生ける英霊として、ユーリはスプートニクを尊敬の眼差しで見ていました。
「無限遠へと続く、星瞬く螺旋回廊の彼方に、夢というミッションをおびて羽ばたく。それがロケットなんだ」
私に最初にスプートニクおじさんの話をしてくれたとき、そう語ってくれました。
ここまでが、私のユーリとの他愛ないやり取りの話。やり取りといっても、双方向ではなくユーリが一方的に話しているだけですけどね。でも、私にとっても楽しい時間でしたし、お互い時間を共有するのは悪い気はしませんでした。こんな時間がずっと続けば……なんて思いも少しはありました。けれど、宇宙へ行くことが私の使命。自分の生まれた意味を全うするまでは、わがままなんて言っていられません。でももし、全ての任を終えて帰投した時には、ユーリはずっとそばにいてくれるだろうか。願わくは、儚く散っていった過去の先輩たちのように、空中爆発やデブリ衝突は避けたいものです。無事に、なんの問題もなく役目を終え、ユーリの功績のひとつとして名を連ねる。それだけでも構わないと、心の端で思うのでした。
そして時は流れ、2036年2月初週のこと。私が生まれてから約1年が過ぎました。依然として役割の与えられないことに一抹の不安が募り始める頃、ユーリが難しい顔で格納庫にやってきました。
「はぁ……」
白いため息を漏らすユーリ。いつもならなんでも私に話をする彼が、何も語らずにただため息をつくのは珍しいことです。灰色の冷たい床に座り込み、かじかんだ手を温めながら、私をジッと見つめる。私はロケットなので、その瞳に宿る感情がなんなのかわかりません。私にできることは、ただ佇むだけでした。しばらくして、ふたりだけの静寂をかき乱すように、他の科学者とその助手らしき人たちがなだれこんできました。
「フリードマン博士、やはりここにいらっしゃいましたか」
ユーリよりももうひとつ若い白衣の男性が、安心したように声をかけます。フリードマンというのは、ユーリの姓名のこと。察するにどうやら大事な会議を抜け出してきたようです。
「お主は自分の立場がわかっておらんようじゃのう。折角、今後のロシアの行く末を決める一端を任されたというのに」
続けてヒゲを蓄えた白衣のご老人がユーリを諭します。
「僕はロシアの行く末など決める器ではありませんし、興味もありません。ただ、宇宙に夢を馳せる若者でしかないんです。ましてや2036年問題や次世代情報化社会の覇権争いなんて、そんなの完全に僕の興味の範囲外です。よそでやってもらえませんか」
ユーリの言っていることのほとんどは聞き慣れない言葉でした。そして何より、彼の口調が私と話す時とだいぶ違って、かなり怒っているようでした。それでも、連れ戻しにきた学者たちは怯みません。
「分裂したアメリカを放置するわけにはいかんのだよ。我々の科学技術でもって徹底的に潰さなければ、いずれまた我々を追い抜かして世界を引っ張る大国へと成長してしまう」
別の中年の学者がなだめるように声をかけます。が、ユーリの意思は変わらないようでした。
「それは好都合ではないのですか?科学は常に競争意識を持ちながら発展してきました。かつての宇宙開発競争のように我々ロシアの新たなるライバルとして歩んでいくことはないのですか?」
「昔のアメリカならば可能であったかもしれない。しかし、内戦に突入した今の彼らには軍事利用しか頭にないやつばかりだ。それが今の社会にどれだけ悪影響を及ぼしているか、きみが知らないはずもあるまい。あのままでは純粋な科学的探究心など生まれない」
ユーリは閉口するしかありませんでした。しかし、ここで折れるわけにもいかないと思ったのでしょう。おもむろに口を開きました。
「あなた方がやっていることも同じです。純粋な科学なんかじゃない。政治や外交や流行に飲み込まれた思考では、それこそ正常な競争意識など働かないでしょう」
「我々もそれぐらいのことはわかっている。しかし、無菌室でしか正確な実験結果が得られないのと同じように、今、学会に蔓延る政治的関与やプロパガンダを排除して実験を行う必要があると言っているのだ」
「アメリカは雑菌だとでも言うのですか!?」
遂にユーリが声を荒げました。
「もののたとえだよフリードマン博士。そう怒るでない。それに、あなたの言っていることに間違いがあるとも言っていない。我々も思惑に縛られた科学しかなせないことに憤りを感じている。ただ、だからこそ、もう一度純粋な科学に打ち込むために実験場を整えているのだ」
苦虫を噛み潰したかのように、ユーリは顔を歪めました。そして、
「あなた方がそうやって自分たちを正当化している限り、僕はあなた方と分かり合うつもりはありません」
とだけ言い残して格納庫から足早に立ち去っていきました。
それから、ユーリは格納庫にぱったりと来なくなってしまいました。その代わりに、ユーリを諭していた白衣の人たちと作業服を着た人たちが周りをウロウロするようになりました。どうやら、私の任務が決まったようです。続々と荷物が私に積まれ、準備を整えていきます。ユーリならば、私の任務がどんなものなのか教えてくれるのでしょうが、そのような変わり者は、今はいません。与えられたものを与えられた場所に、与えられた軌道で飛んでいく、ただのハコとしか思ってないのです。実際その認識は正しいのですが、今までユーリという存在がいただけにちょっぴり寂しさを覚えながら、私は打ち上げの日を待つこととなりました。
そして、運命の日。長いあいだ狭いと思っていた格納庫から解き放たれ、大空へと飛び立つ日が来たのです。相変わらずユーリは姿を見せてはくれません。でも、彼との約束は覚えています。
『君に見てきてほしい。宇宙の全てを。僕と、世界中の人の夢を乗せて』
その約束を果たす時が来たんだと、心底喜びました。きっと、ユーリもどこかで見守っていてくれている。そう信じながら、私は格納庫の扉を開けました。
そこには、見渡す限り雪混じりのタイガと雪原が広がっていました。快晴の天気に雪解けが光る、とても綺麗な景色でした。初めて見る太陽、初めて見る雪、初めて見る自然。そして、初めて見る私の目的地、青く澄んだ空。ほんの少し冷たい、爽やかな風を全身で浴びながら、私は除雪された道を通って発射台まで向かいます。小鳥のさえずりを邪魔しないようにゆっくり静かに運んでほしいのですが、それはさすがにわがままでしょうか。少しでも地球に帰ってきたいという思いが強ければ、帰って来れると思うんです、私。だから、この素晴らしい景色をユーリと見ることを目標に、今、目に焼き付けようと思います。
しばらくして、私は発射台に着きました。スペースシャトルの時は大勢の観客が打ち上げを見に来るとユーリが言っていたのですが、どうやら私には観客はいないようです。ソユーズ型の性でしょうか。すっかりメジャーになったという宇宙観光事業のせいで、私の打ち上げはあまり注目されていないようです。私は構わないのですが、ユーリの功績が評価されていないのではと思うと、少し悔しい感じもします。でも、そんなことを思っている時間はもうありません。身体を固定し、空へと飛び立つ最終確認と心の準備を行います。
ふと、研究所の方から一台の車が走ってくるのが見えました。もう私の周り一帯はエンジンの爆風に備えて退去命令が出ているはずです。カウントダウンも始まってしまいました。誰も気づいていないのでしょうか。彼のことを。
私は、その車の乗り手が誰だか、もう想像がついていました。こんなことをするのは、この世界において彼だけ。ああ、ちゃんと見に来てくれたんですね。
『ユーリ』
私は彼に初めて呼びかけました。届かないと分かっていても、この言葉を伝えたくて。
『いってきます』
爆風の中でもギリギリ近づけるラインで車から降りたユーリは、私の出発を見届けてくれています。ラスト十カウントが始まり、私の翼であるエンジンが火を吹きます。煙が渦を巻き、衝撃と轟音が大地を揺らします。爆風に煽られながらユーリが何か叫んでいるように見えましたが、私にはもう聞こえません。大地を蹴り上げ、宇宙へと高く高く舞い上がる。そしてもう一度、強く願うように。
『いってきます、ユーリ。あなたの夢を乗せて』
その時、ユーリの顔に涙が光ったように見えたのは、悲しい顔をしていたように見えたのは、私にはわかりませんでした。