追憶からの目覚め
「ぎええええ!」
奇声を発し、寸前まで人だったものは…すべての常識を覆すかのように、そこに現れ…消えた。
消える前に、俺は見た。
そいつに殺され…いや、喰われそうだった俺の前に、凛とした姿で立つ…ブロンドの女神を。
彼女は、俺を背中で守りながら…化け物と対峙していた。
「起きろ!司!」
姫百合により、掛け布団を取られた神原司は…うつ伏せの姿で眠っていた姿を晒した。
「もう学校にいく時間だよ。早く起きてね」
姫百合は司が来てからの日課を済ますと、部屋から出ていった。
「ふわぁ〜」
数分後、欠伸をしながら、司はリビングに向かった。
(うつ伏せに寝ると、あの夢を見るな)
そんなことを考えていると、リビングの真ん中に置かれたテーブルの向こうから、女の声が聞こえてきた。
「おはよう、司。この家は、慣れたかい?」
新聞で顔が見えなかったが、声だけで司は察した。
「おはよう、おば…」
と言いかけた瞬間、新聞の向こうからの殺気を感じ、司は慌てて言い直した。
「お、お姉さん」
次の瞬間、新聞は折り畳まれ、笑顔の香坂綾女の顔が現れた。
「お姉さんなんて、無理しなくていいのよ」
綾女の言葉に、司は心の中で舌を出した。
大体、母親の姉にお姉さんはおかしい。いや、ある意味であってるのか。
しかし、それを口にすることは、平凡な日常生活のモラルを破ることになるのだ。
「早くお食べ。遅刻するわよ」
綾女の言葉に導かれて、司は彼女と向かい合うように椅子に座った。
「学校はどうだい?姫百合の話だと、少し変わった学校みたいだけど」
「大丈夫」
綾女の話を聞きながら、テーブルに手を合わすと、司は野菜主体の食卓に目をやった。
(やっぱり…パンか…。日本人は、ご飯だろ)
と少し文句を浮かべながらも、司はこんがり焼けたクロワッサンを手に取り、 千切ると口に運んだ。
噛み締めていると、涙が流れそうになった。
何だかんだ言って、ちゃんとした朝御飯が用意されているなんて、ここに来るまで一年以上なかったのだ。
「…」
そんな司を無言でしばし見つめた後、綾女は新聞をテーブルの上に置くと立ち上がった。
「ほんじゃあ〜あたしも出勤しますか。食べた後の食器は、洗わなくいいからね。水にだけつけておいてくれたら」
立ち上がった綾女は、背筋が伸び、一瞬で凛としたイメージを司に与えた。
そのまま出入口に向かう姿を、司は無意識に目で追ってしまった。
「あ!そうそう」
出入口の向こうに体が消える寸前、綾女は振り返った。
「あの学園。姫百合の話だと美人が多いらしいじゃない」
そう言うと、綾女は司を指差した。
「恋せよ!少年!」
「!」
その言葉に、司はクロワッサンを喉に詰まらせた。
「これはこれは〜」
綾女はニヤリと笑い、
「もうしちゃってるかな」
そのまま姿を消した。
「お、おばさん!」
「いってきます!」
玄関の扉を開ける音がした。
しかし、すぐには閉まらず…どすのきいた綾女の声が聞こえてきた。
「お姉さんでしょ?今度、言い間違えたら…」
言葉は最後まで告げられることなく、扉が音を立てて閉まった。
(こ、こえ…)
この家の女子は皆、綺麗であるが…ある種の凄みを隠し持っていた。
(女ってみんな…)
それまで考えて、司の頭に瑞穂の横顔が浮かんだ。
(違う!違う!)
首を振り、否定した。
そう言えば、司は…瑞穂を正面から見てはいなかった。
(みんながそうじゃない!綺麗な女が…みんな…!)
そう思考し始めた頭に、ブロンドの美女の姿が浮かんだ。
「化け物に…女神…」
司はクロワッサンを飲み込むと、右手の甲に目をやった。
そこに刻まれた傷痕が、司に夢じゃなかったことを告げていた。
「人に化けた化け物…。そして…」
司は制服のズボンのポケットから、年代物の携帯を取り出した。
(ブロンドの美女…)
一時期話題になっていたことがあったのだ。
人知られず…人ではないものと関わってしまった者を助ける者がいると……。
それはブロンドの美女。
(単なる…噂だと思っていた)
しかし、司は…化け物に襲われ、ブロンドの美女に助けられた。
薄れ行く意識の中で、司は化け物が口にした言葉を覚えていた。
(天空の女神)
その頃。
生徒達が向かっている学校で、まだ誰もたどり着いていない校内で独り、アヤトは廊下から空を見上げていた。
「おはようございます。橘先生」
アヤトの真後ろから声がした。
「!?」
まったく気配を感じなかった為、アヤトは慌てて振り返った。
後ろには、いなかった。
「お早いんですね」
「!」
右側を振り向くと、白衣を着た女が立っていた。切れ長の目と、微笑みをたたえた分厚い唇が、アヤトに向けられていた。
「あなたは…」
「保健室勤務の上野沙知絵です。前任の先生が、産休を取ったらしくって、しばらくここで働くことになりまして…」
沙知絵の言葉を聞きながら、アヤトは彼女の目を見つめた。
(ミュータントか?)
目に力を込めようとした瞬間、アヤトの視界が崩れ、身と心が混ざり…どろどろに溶けていくような感覚を味わった。
(うわああああっ!)
心の中で絶叫し、存在自体が闇に落ち、気が狂いそうになる寸前…クスッと笑う沙知絵の声で、アヤトの視界が元に戻った。
「橘先生。新任同士仲良くやりましょう」
崩れ落ちそうになるアヤトの後ろを、ゆっくりと通り過ぎる沙知絵。
「だけど…昨日のような屋上でのじゃれ合いは、困りますわ」
再びクスッと笑うと、沙知絵は廊下の向こうに消えた。
(クッ!)
アヤトは、片膝を廊下の床につけた。
(ミ、ミュータントじゃない!もっと邪悪で純粋な何かだ!)
アヤトは震え出す全身を止めることなく、廊下の壁に倒れ込んだ。
(あ、あのような存在は、データにない!神か…悪魔か!?)
そこまで考えて、アヤトは無理矢理…全身に力を込めた。
「あり得ない!そんな存在がいたら!」
そして、立ち上がった。
「奴らに蹂躙されることはなかった!」
直ぐ様、沙知絵の気配を探ったが…感知できなかった。
「ま、まさか!」
アヤトは周囲を見回した。
「あれも、瑞穂が呼んだのか?」
しかし直ぐ様、考えを否定した。
「いや、あり得ない!だとしたら、俺が知っているはずだ。俺の記憶…データにもない!」
そこまで思考して、アヤトははっとなった。
「ま、まさか!俺が来たことで…変わったのか?」
息を飲んだアヤトは、しばらくその場から動けなくなっていた。
「フフ…」
含み笑いを浮かべながら、廊下をただ歩く沙知絵の向こうから、生徒としては一番に登校した者が近付いて来ていた。
生徒会長…九鬼真弓であった。
「おはようございます」
沙知絵の姿を認め、九鬼は足を止めると会釈した。
「お久しぶりね…。XXXXXX」
最後の単語は、聞き取れなかった。
しかし、九鬼は反応した。
その言葉のイントネーションよりも、沙知絵が醸し出す雰囲気にであった。
「!」
九鬼は身を捩ると、本能から回し蹴りを繰り出していた。
しかし、沙知絵は九鬼の鋭い蹴りも、すべてを煙のようにすり抜け…いつのまにか後ろを歩いていた。
「ごきげんよう…生徒会長…うふふ」
そのまま去ろうとする沙知絵に、愕然としながら振り返る九鬼。
「ま、待って…」
小声になってしまっていた。
「相変わらずいい蹴りよ。だけどね」
沙知絵は、人差し指を立て唇に当てた。
「いい女には当たらないの。そのことは、内緒にしておいてね」
「な!」
絶句する九鬼を置き去りにして、沙知絵は廊下の先を曲がった。
「悪趣味だな。相変わらず」
そこには、学生を着たショートカットの女子生徒が腕を組んで立っていた。
「覗き見は、悪趣味じゃないのかしら?」
沙知絵は微笑みながら、女子生徒に目を向けた。
女子生徒は肩をすくめると、沙知絵と同じ方向に歩き出した。
「今の彼が、あなたの特別ね」
横を歩く沙知絵の言葉に、女子生徒は頷いた。
「現実的には、今はスペシャルじゃないわ」
女子生徒は、前を睨んだ。
「いいわね」
沙知絵は、女子生徒の瞳を見て、身を震わせた。
「あなたのその感情…。あたしは好きよ」
「フン!」
女子生徒はそっぽを向くと、歩く速度を上げ、沙知絵から離れていった。
「バイバイ」
呟くように言うと、沙知絵は別の方向に歩き出した。
そして、数時間後…授業が始まり、昼休みになった時、終わった授業の教材を片付けている瑞穂の前に、先程の女子生徒がやって来た。
「水樹さん。いっしょにご飯食べない?あっ!あたしは、葉山七海。あなたの後ろの席の者よ」
そう言って、七海は瑞穂に微笑みかけた。