マスター
「…」
学校から家に帰ってきた水樹瑞穂は、生活に必要最低限のものしかない空間に、座り込んだ。
娯楽につながるものは、何もなかった。
テレビも雑誌も…インターネットも。
ワンルームマンションの中には、ベッドとクローゼット。それに、テーブルしかない。
目の前の黒いテーブルの表面を見つめていると、そこに映る自分が笑った。
「!」
その笑みに気付き、瑞穂は思わず立ち上がった。
(なぜ驚く?)
頭の底から、声がした。
瑞穂は慌てて、耳を塞いだ。無駄なこととわかっていても。
(なぜ、受け入れない。その気持ちは、お前自身のものだ。素直になれ!そうすれば、お前はお前自身が守りたいものを守れる。さあ〜願え!)
頭に響く声を否定する為に、瑞穂は目を瞑り叫んだ。
「いや!」
その次の瞬間、頭の中の声が消えた。
「いやよ」
瑞穂は、その場で崩れ落ちた。
「理事長…」
瑞穂を家まで送った後、さやかは理事長室に戻っていた。
机の向こうで、目を瞑る黒谷に、さやかは立ち尽くしながら訊いた。
「彼女をどうして、この学園に迎え入れたのですか?彼女があなたの仰るようような存在だとしましたら…どこかの施設で隔離した方が…」
「それは、いけません」
黒谷は目を開き、
「彼女を独りにしたら、闇が広がります。彼女には、人と接し…青春の素晴らしさを知ってほしい。さすれば…彼女が無になることはないはずです」
さやかをじっと見つめた後、再び目を瞑った。
「その無とは、何ですか?」
さやかは眉を寄せ、訊いた。
しばらく、黒谷は沈黙を守ってから、おもむろに再び口を開いた。
「彼女が昔いた…家が消えたのです。昂然と」
「?」
「記録は残っています。しかし、存在した証拠がない」
黒谷は立ち上がり、
「それも一ヶ所ではありません。原因は、わかりません。しかし、すべての消えた場所で彼女だけが残っていた。そして、彼女のもうひとつの人格が、彼女を発見した人物に告げた」
黒谷はさやかを見つめながら、息を飲んだ。
「この世界から、光が消える日は近いと…」
「もうひとつの人格?」
「ええ」
黒谷は頷き、
「彼女は、こう言ったわ。自分は宇宙の意志だと」
再び目を瞑った。
「宇宙の意志とは何ですか!」
さやかは思わず、2人を隔てている机を叩いた。
「それは…わからない。だけど、彼女が危険であることは理解できたわ。この国のある組織から、この学園に依頼が来た。もし、この世界で処理できないならば…異世界に落とせと」
「な、何を!」
「向こうの世界ならば、神がいるから」
黒谷は驚くさやかに、悲しげな笑みを見せた。
「真弓」
その頃、グラウンドの真ん中で赤い月を見上げていた九鬼の後ろに、理香子が姿を見せた。中島は離れた場所にいた。
「理香子…」
振り返った九鬼に、理香子は微笑むと、空を見上げた。
「月の光は、淡い。その世界を照らすほどではないわ。それでも、闇夜を照らしたい」
「理香子?」
訝しげに首を傾げた九鬼に、理香子は夜空からさらなる笑顔を九鬼に向けた。
「あなたには、苦労をかけているわね」
「そんなことはない」
九鬼に首を横に振ると、懐から黒い乙女ケースを取りだし、
「あなたのお陰で、あたしは戦ってこれた。あなたがくれた月の力で…」
理香子の目を見つめた。
「ありがとう」
理香子は少し目に涙を滲ませながら、ゆっくりと右手を九鬼の乙女ケースに伸ばした。
すると、ケースが淡く光り出した。
「これが、あなたに上げれる最後の力…。後は」
理香子は月を見上げた。
「月が照らす限り…あなたは戦える」
そして、呟くように言うと、九鬼に背を向けて歩き出した。
「理香子?」
「でも、あまり無理しないで」
そう言って去っていく理香子の背中を、九鬼はなぜか止めることができなかった。
理香子と合流した中島が、遠くから頭を下げた。
「…」
九鬼も頭を下げ、遠ざかっていく2人を無言で見送った。淡く光る乙女ケースを握り締めながら。
「無…宇宙の意志とは、何だ?」
これ以上教えてくれない理事長を残し、さやかは新聞部の部室に戻った。
ドアのノブを掴み、中に入った瞬間…部室の真ん中に置かれたソファーに腰をかけている人物と目が合った。
「お久しぶりですね。如月部長」
ソファーに座る黒服の男は真っ直ぐに、さやかを見つめていた。
「誰だ?お前は!」
身構えようとするさやかの全身が、金縛りにあったように動けなくなった。
「あなたの疑問に、僕は答えることができる。しかし、その前に…」
男は立ち上がった。
「あなたの心配を排除しましょう」
男の目が、妖しく光った。
「エトランゼ…いや、水樹瑞穂の家はどこですか?」
「!?」
驚くさやか。
数秒後、 男は部室から出ていた。
「すいません。さやか…。後で、説明しますので」
ドアを閉める寸前、男はソファーの上で倒れているさやかに頭を下げた。
新聞部部室を後にして、男は歩きながら、携帯を取り出した。
「私だ。今から、エトランゼを襲撃しろ!場所は」
説明しながら、男はグラウンドの真ん中にいる九鬼に気付いた。
(まだ…生きている生徒会長か)
フッと笑うと、男は歩く速度を速めた。
(しかし、その記憶も…私で終わる)
そして、携帯をしまうと、前を睨んだ。
(いや、終わらせて見せる)
「マスターから連絡が入った。エトランゼを今から、始末しろと」
携帯を閉じたカミューラの言葉に、アカツキとアフロディーテが頷いた。
「行くぞ」
アカツキが先導すると、3人は学園の裏にある広場から、飛び出した。
そして、一番近くある特別校舎に着地した瞬間、部室にいた舞が動きを察知した。
「例のミュータントをキャッチ!3人います!」
その言葉に、部室の壁にもたれていた高坂が直ぐ様動いた。
「フン!」
頭上を飛んでいく3人を見ずに、黒服の男は正門に向けて歩いていく。
「あれは!」
動きに気付いた九鬼が慌てて、走り出した。
「目標物発見!即座に排除します!」
カミューラは、学園近くの瑞穂が住むマンションを発見すると、空中でスピードを増し、攻撃体制に入った。
しかし、その次の瞬間、何かに弾かれるように、空中で跳ね返った。
「何?」
眉を寄せるアカツキに、アフロディーテが冷静に述べた。
「障壁があります」
「チッ」
アカツキは舌打ちすると、咄嗟に空中で肘を曲げて、防御の体勢に入った。
「勘が鋭いな」
いきなり空中にテレポートアウトしたアヤトの蹴りが、アカツキに向けて放たれた。
「き、貴様!」
アカツキは顔をしかめた。
「誰かに見られてはいけない!おりるぞ!」
アヤトは、手のひらをアフロディーテに向けた。
「退避します」
アフロディーテは、地上にテレポートした。
アヤトとアカツキは、そのまま下に落下し、着地した。
「き、貴様」
アカツキのそばに、アフロディーテとカミューラが集結した。
「お前達が、水樹の家を嗅ぎ付けることは予想できた」
アヤトは3人を確認すると、ゆっくりと構えた。
「やはり…あなたでしたか」
その時、後ろから声がした。
「予想外のミュータント。まさか…生きていたとは」
アヤトは、その声に目を見開き、思わず振り返った。
「マスター…」
カミューラとアフロディーテは膝まづき、アカツキは頭を下げた。
「人類の裏切り者が、まだ邪魔をするつもりですか?」
「違う!」
マスターと言われた男の言葉を、アヤトは否定した。
「ならば!」
マスターが何かを言おうとした時、駆け寄ってくる3人の足音が聞こえてきた。
「あなた達は!」
一番最初に、現場にたどり着いたのは、九鬼。
少し遅れて、高坂と緑が来た。
「!」
遅れてきた2人を見て、マスターは目を見開いた。
「お前達。作戦は、中止。」
アカツキ達にそう告げると、マスターはその場から消えた。
「は!」
3人も頷くと、テレポートした。
「…」
その動きを見て、自分も消えようとしたアヤトに、高坂が叫んだ。
「橘先生!」
「フッ」
アヤトは笑みを残して、消えた。
「彼らは…一体?」
消えた4人がいたところを、緑は見つめた。
閑静な住宅街の一角で、3人はしばし立ち尽くしていた。月下のもとで。