月の女神
「赤毛か…」
学園外まで瞬間移動したアヤトは、その場で膝を地面につけた。
「あいつには戦闘の記憶があった…。完全に破壊されたと思っていたが…」
アヤトは、着ている黒の背広の内ポケットから手帳を取り出した。
「俺は、あの人達と絡んでいなかったからな…。創世の神に、異世界…赤星浩一。やはり、この世界をつくった神から探すか。神ならば…やつらに対処できるはずだ」
アヤトは立ち上がると、手帳のページを捲った。
「生徒会長…乙女シルバー。月の力を使う戦士」
そこまで確認してから、アヤトは空を見上げた。
そして、目を閉じると、瞼の裏に記憶が再生された。
(月影キック)
九鬼の鋭い蹴りを、同じ蹴りで迎え撃つアヤト。
(クッ!)
超能力を纏った光の蹴りを、ふっ飛ばす九鬼の鋭さに、アヤトは顔をしかめた。
(流石は…生徒会長)
後方に着地したアヤトに、九鬼は拳を突き出した。
(あなたの光と、あたしの光は違う!この光は、あたしの親友が、あなた達と戦う為に残してくれた力)
九鬼の全身が、淡く輝く。
(親友であった×××に誓う!あたしは、この世界を守る!)
月をバックに、構える九鬼。
「!」
アヤトは、目を開けた。
「思いだした。親友の名前!」
アヤトは再び、学園に向けてテレポートした。
「理香子だ!」
その頃、中央校舎の屋上から、学園を見下ろしていた相原理香子。そんな彼女の後ろで、その背中を見守っていた中島は何かに気付いたかのように、慌てて振り返った。
「先生?」
突然、その場に現れたアヤトを見て、中島は眉を寄せた。
「そうか…。思いだしたよ。学園一の美少女。そして、その彼氏」
アヤトは頷くと、足を進めた。
「生徒会長が月の戦士だとしたら…相原さん。君は」
「学園の空気がずっと、ざわめいているわ。その理由の一つは、あなたね」
理香子は、ゆっくりと振り返った。
モデルをも超えた完璧なスタイル。それに、どこかクールで気品ある雰囲気。
(女神!)
アヤトは、予想が当たったことに心の中でニヤリと笑った。
「あなたは、何者?この学園で何をしたいのかしら?」
己を射抜く鋭い視線を感じながら、アヤトは目を細めた。
(しかし…)
それから、ゆっくりと力を抜いた。
(輝きがない。いや、人としては申し分がない。だが…神としたら)
少し失望を覚え始めたアヤトと理香子の間に、中島が割って入った。
「あなたから、力を感じる」
アヤトを睨み、ぎゅっと拳を握り締めた中島の全身に、電気が走った。
その姿を見て、アヤトは中島に背を向けた。
そして、出入口に向けて歩き出した。
「喫茶店のマスターが言っていた。力をなくした意味がわかった。成る程…だから、あんたがいても」
そこから先は、口にしなかった。
(世界は滅んだんだな)
去っていくアヤトを追おうとする中島を、理香子が止めた。
「無理に、力を使っては駄目よ。あなたも…あたしも…もう普通の人間なのだから」
理香子の言葉に、中島は拳を解いた。
魔獣因子を持つ中島であるが、数ヶ月前に綾瀬太陽なる者に斬られ、完全に変幻はできなくなっていた。
元々力を使わずに、人間として生きることを望んでいた中島であった。
「だけど!」
再び拳を握った中島に対して、理香子は真剣な顔で頷いた。
「大丈夫。ここには、真弓がいるわ。月の光と闇の女神の力を持った戦士が」
九鬼の名を耳にして、中島は渋々頷いた。
「一応、今の先生のことは、あたしから真弓に伝えておくから」
そう言って、中島に微笑みかけた理香子。
二人の真下…中庭には、さやかに連れられた瑞穂が歩いていた。
それから、数十分後…とぼとぼと同じ道を、司が歩いていた。
「好きに…なるなって言われてもさ」
好きになったものは仕方がない。
ただ正門に向かって歩く司の前に、幸せがやってくるのはすぐであった。
「神原君」
正門の前に、瑞穂がいたのだ。
さやかに送られたはずであったが…。
「!」
驚き、声が出ない司に、瑞穂はニコッと微笑みかけた。
「家…近くなの。如月さんに送って貰ったけど、神原君にお礼を言ってなかったから」
瑞穂はそう言うと、頭を下げた。
「今日は、ありがとう」
「え!あっ!え、い、いや〜」
瑞穂から視線を外し、頭をかく司。
そんな司に微笑むと、瑞穂はゆっくりと体を外に向けた。
「じゃあ、またね」
手を振り、去っていく瑞穂の姿が見えなくなるまで、その場で立ち尽くしてしまった司の耳に、数秒後…車の急停止の音が飛び込んでいた。
「水樹さん!」
はっとして、慌てて走り出した司。
正門をくぐり抜け、瑞穂が向かった方に曲がった司の目に、子猫を抱き上げる彼女の姿が飛び込んできた。
「よ、よかった〜」
ほっと胸を撫で下ろす司。
彼は、気付いてはいなかった。
アスファルトの道路に、跡が残る程の急ブレーキだったのに…それを残した車の姿がないことに。
正門前から、近くの駅までは一本道で歩くと7分はかかった。そこを一瞬で、走り去ることは不可能に近かった。
「よかったね」
子猫を抱き締めてから、飛び出してきた司に気付き、
「ありがとう」
瑞穂は再び、頭を下げた。
「早くしないといけない」
アヤトは、屋上から階段を下りながら、拳を握り締めた。
「彼女が思う前に」
顔をしかめ、下唇も噛み締めた。
しかし、握り締めた拳からは汗が滲み、額から汗が流れた。
「彼女が、人間をいらないと思う前に!殺さないと」
アヤトは、数段残った階段を飛び下りた。
「この前は、好機だったのに!赤毛さえいなければ」
そして、走り出した。
「まだ彼女は気付いていないはずだ!己の力に!」
アヤトが、正門についた時には、瑞穂はいなくなっており、遠くで香坂家に向かって歩く司の後ろ姿だけが確認できた。
「!?」
しばし司の背中を見守ってしまったアヤトは、駅への道を振り返る寸前、道に残ったタイヤの跡を発見した。
「ま、まさか…」
絶句するアヤトの周りが、暗くなってきた。
空が少し曇っていた為に、夕陽を意識することなく、夜になったのであった。
「彼女が…」
アヤトは周囲に目を配りながら、少し身を震わせ…怯えてしまった。
「早すぎる…」
それから、顔をしかめると、呟くように言った。
「始まったのか」
「にゃあ」
道を隔てた正門前の草むらから、子猫の鳴き声が聞こえて来たが…アヤトの意識には触れなかった。