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本当に本当のエピローグ 「ふたりの未来時計」

 12月24日、

 千秋那智はニートである。……自分で言ってて改造人間並みの悲哀を感じてしまう上に、クリスマスとぜんぜん関係ないが。

 二月に日本に帰ってきて、はや十ヶ月。いちおー自己弁護をすれば、その間なにもしていなかったわけではない。司先輩が趣味と実益を兼ねてチョークアート制作の依頼を受けているから、それの手伝いをしたり。その関係で知り合ったカフェで時々バイトをさせてもらったり。そこの店長夫妻が猫がほしいと言うから、居内さんから一匹もらってきたり。……最後のは仕事でも何でもないけど。

 この二年間イギリスを拠点にしてヨーロッパを飛び回っていたが、これでも現地の学校には在籍していて、そこを卒業したことにはなっているらしい――後になって、そう蒼司から連絡があった。つまり大学入試を受ける要件は満たしていることになる。なら、とりあえず大学かな、などと考えて、思い出したように勉強をしてみたりもしている。

 どうにもすべてが中途半端だ。

 いいかげん自分の行く末を決めなくては。これでは前に進めない。司先輩を二年もほったらかしにしただけではなく、まだ待たせるのかと。

「那智くん、浮かない顔してる」

 隣を歩いていた司先輩が顔を覗き込んでくる。

 本日の司先輩は、上はカーディガンに切り替えコートにストール、下はロングスカート、足元は意外とゴツめのブーティと、全体に淡いピンク系統でまとめたふわふわな真冬の装い。今日もきれいです、司先輩。

 只今、僕らはクリスマスデートの真っ最中。

 司先輩とクリスマスムード一色の駅前の繁華街をぶらぶら歩き、気まぐれにテキトーな店に入ってみたりして――その最中さなかに僕は先のようなことを考えていたのだった。

「あんまりぼんやりしてると、いかがわしいところに連れ込むんだから」

「どこにっ!?」

「やっぱり今日はそういうところは混んでるのかしら?」

 遠くを見つつ、そんなことをおっしゃる司先輩。いかがわしい施設が集まっているのはそっち方面でぃすかー?

(何やらものすごい肉食アピールをされている気がする……)

 僕が半歩距離をあけようとしたとき、再び司先輩がこちらを見た。

「いろいろ考えてしまうこともあるかもしれないけど、楽しむときは楽しまないと損よ。年末年始はイベントが目白押しなんだから」

「そうですね」

 楽しいときにわざわざ棚上げしている問題について考えてしまうのは、誰にでもあることだと思う。不安というものは往々にしてそういうときにこそよぎるものだから。でも、それが建設的でないのも確かだ。

 頭はしっかり切り替えないとな。

 年末年始のイベントと言えば、今日のクリスマスに大晦日からは二年参り、かな。……ん? それくらいのような? 教会のクリスマス会は先週の日曜に終わったしな。まぁ、それだけあれば十分と言えば十分なんだけど。クリスマスの余韻を残したまま大晦日と元旦に突入して、正月気分が抜けたときにはもう冬休みが終わりかけていた、なんてことを何回繰り返したか。

「間にひとつ忘れてるわ」

 と、司先輩。

「三十日は那智くんの誕生日よ」

「ああ、忘れてた」

 何せ司先輩のいる誕生日はこれがはじめて。ぜんぜんつながらなくて、完全に失念していた。

「那智くんが生まれた日。那智くんを産んでくれたお母様に感謝しないと」

「……」

 弾むような口調の司先輩とは対照的に、僕は思わず黙り込んでしまう。

「あ……」

 すぐに司先輩も僕の沈黙の意味を察したようだ。小さな発音がその口からもれた。

 そう。僕の血縁上の母親は僕を産み――間もなく捨てたのだ。

 僕の実父、宇佐美蒼司は若かりしころ、とある女性と駆け落ちした。結局、半年ほどで見つかり、家に連れ戻されたのだが、そのときにはその女性のお腹の中には僕がいたのだ。彼女はお金目当てで僕を産み、狙い通りにまとまったお金を受け取ると、後は用なしとばかりに僕を教会に置き去りにしたのだった。

 思いがけず空気が重いものに変わる。何処いずこからともなく流れてくるクリスマスソングもどこか空々しく、まるで僕たちを避けて通り抜けていくようだった。

 言葉を失くしたまま少しばかり歩いたところで、司先輩が口を開いた。

「那智くんは、本当のお母様に会いたいとは思わないの?」

 遠慮がちに、でも、少しだけ踏み込んだことを聞いてきた。たぶん、僕と一緒にいる上でいつかは聞いておこうと思っていたのだろう。司先輩は期待しているに違いない。実父の蒼司と会えたのだから、母親とも会えるのではないか、と。

「そうですね……」

 曖昧に答えながら僕は、僕とは関係ないある出来事を思い出していた――。

 

 

 

 あれは僕らがロンドンにいたときのことだ。

 蒼司がイギリスに渡ったのはヨーロッパに展開したグループ関連会社の陣頭指揮を執るためで、そこに僕や奈っちゃんをつれてきたのは僕らの見聞を広めさせるのと、主に僕の修行のためだった。

 あいつは、僕をそばに置いて経験値を稼がせ、ゆくゆくはそれなりのポストを与えるつもりだったらしい。それはこの十六年間僕という血を分けた子どもがいて、しかも、捨てられていたなんてことを露ほども知らなかった罪滅ぼしだったのだろう。正直いい迷惑だ。僕には僕の世界があったのだから。だけど、時を同じくして僕は司先輩のそばに居づらくなってしまった。案外蒼司はそんな僕の心情を素早く察して、日本から遠く離れたヨーロッパにまで引っ張っていったのではないだろうかと思ったがたぶん気のせいだろう。

 それはある夜、拠点にしていたロンドン郊外のメゾネット型マンションにかかってきた、一本の電話からはじまった。

 けたたましく鳴る電話の音を聞きながら、僕はだだっ広いリビングを見渡す。奈っちゃんは……部屋か。内階段を見上げても、彼女が自室から出てくる気配はない。蒼司のやつは夕方に一度帰ってきて、またふらっと出ていっていたな。ちょくちょく日本人の集まるバーやパブに足を運んでいるらしいし、今も行き先はそのあたりか。……つまりこの電話には僕が出るしかないということだ。嫌だなぁ。高確率で外人なんだから。

「は、Hello.」

 深呼吸ひとつしてから、コードレスの受話器を取る。

「蒼司、じゃないわね。あんた誰? ま、いっか。蒼司いる?」

「……」

 意外や意外、日本人だった。

 女性。声からして大人なのだが、その口調は常識ある大人のそれとは思えなかった。指にマニキュアを塗りながら電話をしている絵が浮かんでくるような、とても億劫そうな声だった。大人の電話ではない。

 とは言え、日本人でほっとした。

「あ、蒼司でしたら――」

 出かけていますと言おうとした矢先、玄関ドアが開く音がした。

「ああ、たった今帰ってきました。お待ちください」

 僕は受話器を耳から離すと、それをリビングに這入ってきた蒼司に見せて示す。

「蒼司、電話」

「俺にか?」

 そうしてバトンタッチ。僕はコーヒーでも飲もうとキッチンへと足を向けた。蒼司のも入れてやるべきだろうか。

「hello. This is Soji.」

 蒼司の流暢な英語を背中で聞く。……あ、しまった。相手が日本人だって言うのを忘れていた。

 しかし、直後、その声のトーンが変わった。

「おい、なんで家に電話してきた。ケータイの番号も書いてあっただろうがよ」

 驚いた。珍しいな。外ではあくまで好青年の顔を崩さない蒼司が、こんなふうにしゃべるなんて。僕の前では悪ガキみたいな話し方をするが、今はそれも飛び越えて完全に怒り口調だ。

 びっくりして振り向けば、蒼司もこっちを見ていた。

 僕に向けて手首を振って上下させ、あっち行けのボディランゲージ。……あえて近づいてみる。

「違う。手招きじゃねぇよ。あっち行ってろ。お前は部屋に入ってろ」

 ま、わかってたけどね。

 僕は肩をすくめてみせると、コーヒーのマグカップを持って、言われた通り部屋に引っ込むことにする。僕の部屋は奈っちゃんのように二階ではなく、一階。リビングからつながっている。僕が部屋に入るまで蒼司はずっとこちらを見ていた。僕の姿があるうちは話を再開するつもりはないようだ。子どもには聞かせたくない話なのだろうか。どうにも怪しいな。

 しかし、様子を窺おうにも部屋に入ってしまえば、リビングの広さと相まってさっぱり話の内容はわからない。辛うじて話しているかどうかが判別できる程度。そして、その話し声もすぐに聞こえなくなった。もう電話は終わったようだ。僕を遠ざける意味があったのだろうか。

「おーい、那智」

 ドアの向こうから蒼司の声。

 すぐに出ていってはドアにひっついて耳をそばだてていたことがバレるので、みっつ数えてから出ていく。

「悪い。もう一度出てくる」

「また? それはいいけど、今の誰だよ?」

「ああ、この前寄ったバーに名刺を置いてきたら、暇な店の女がかけてきたんだよ」

 先の電話のときはすごい剣幕だったが、今の蒼司はもういつも通りだった。

「日本に奥さん残してきてるんだろ。あんま変なことするなよ」

「ばーか。営業ってやつだ。お前が気にするこっちゃねーよ。それに俺はこれでも家族思いなんだよ。……じゃあ、行ってくる。すぐに戻るよ」

 そうして蒼司はまた出ていった。

「……家族思いなのは知ってるけどさ」

 そうじゃなきゃ僕を奈っちゃんと同じように扱ったりはできないだろう。たとえそこに贖罪の気持ちがあるにせよ、誰にでもできることではない。

 蒼司のいなくなったリビングでふとテーブルを見ると、そこにはあいつの携帯電話が置いてあった。電話しながらそこに置いて、そのまま忘れて出かけてしまったのだろう。まぁ、すぐに帰ってくると言っていたし、これ持って追いかける必要もないか。

「……」

 しかし、僕はしばし考え、

「いや、持っていってやるか」

 正直、さっきの蒼司の様子が気になる。しかも、営業の電話? 僕はよく知らないけど、仮にその手のお店からだとして、あんな態度でかけてくるとは思えない。せっかくこうして大義名分ができたのだし、追いかけてみることにするか。それにケータイにかけろと言っておいて、自分がそれを持ち歩かなくてどうする。またかかってきたら困るだろ。家デンなら兎も角、僕は人のケータイには出られないぞ。

「奈津ー。奈っちゃんやー」

 呼んでしばらく待っていると、彼女が部屋から出てきた。二階の廊下から身を乗り出すようにして見下ろしてくる。トレードマークのツインテールが重力に従って垂れ下がっていた。

「はいはーい。何ですか、お兄様」

「蒼司のやつ、一度帰ってきてまた出かけたんだけど、ケータイを忘れていってね。ちょっと追いかけてくるよ。少し留守番お願い」

 尤も、追いつくかどうか怪しいけど。

「わかりました。お任せあれっ」

 僕は奈っちゃんの返事を聞くと、部屋で上着を羽織ってから夜のロンドンに繰り出した。

 マンションを出て、左右を見てみる。まばらな人通りの中、蒼司の背中は見当たらなかった。次に地下の駐車場を覗いてみたが、こっちで買った車はそこに残っていた。徒歩で出かけたようだ。

 再び表通りに出る。

 さて、困ったぞ、と。相手は歩いて出かけたとは言え、どうやら行き先もわからないまま追いかけるには、致命的に出遅れてしまったようだ。

「仕方ない。散歩といくか」

 早々に頓挫。半分諦める。蒼司の様子が気になりはしても、どうしても後をつけたかったわけではないし、いい趣味ではないことも理解しているのである。

 そんなわけで夜の散歩に切り替える。蒼司が見つかればうれしいな、くらいの気持ち。

 だが、

 偶然か、或いは、神様のお導きか。後になって振り返るに、ただ単に神様とやらがよけいなことをしてくれただけのように思うが――ぶらぶらと近くの自然公園まできたところで蒼司の姿を見つけたのだった。

「そ――」

 その名を呼ぼうとして――言葉を飲み込む。

 蒼司はひとりではなかった。

 公園の街灯の下、女の人と向かい合っている。さっきの電話の人だろうか。歳は蒼司と同じか、もしかしたら少し上くらいかもしれない。明かりに照らされたその顔は美人だけど、ちょっと化粧が派手だ。

(あのやろう。何が家族思いだよ……)

 こんな時間に女の人と会うなんて、普通の仲じゃないだろ――と思ったが、しかし、ふたりの間に漂う空気は、ここからでもわかるほど穏やかならざるものだった。僕はすぐさま近くの木の陰に身を隠した。樹の幹に背を押しつけ、耳を澄ます。

「会いたかったわ、蒼司」

 その声は澄んだ夜の空気の中でよく聞こえた。

「俺はもう会うつもりはなかったよ。去年の春にもそう言ったよな」

 熱っぽい、だけど、どこか芝居じみた女性の声とは対照的に、蒼司のほうは冷ややかだった。

「まぁ、お前がミュージシャン崩れの男と一緒にこっちにきてると知って、あちこち名刺を配って餌をまくような真似をした俺も性格が悪いんだろうけどよ」

 自嘲まじりの蒼司。

「俺に何か言うことはないか?」

「な、なによ……?」

 不意に切り出されたその問いに、女性の声には戸惑いの色が混じる。

「そうか、ないか。なら、俺から言ってやるよ。……お前が捨てたあいつは俺が見つけ出した」

「っ!?」

 瞬間、僕の心臓が大きく鳴った。

 待て、蒼司。お前なんの話をしてるんだよ……?

 心臓がまるで、思いっきり叩いても音の出ない大太鼓のようだった。音はないのに振動だけでうるさい。胸が苦しくて、呼吸が浅くなる。

「今回、俺はふたつ決めていた。ひとつは俺が近くにいると知っても、会いにこなければそれでよし。お前はもう過去のことは忘れたのだろうと思って、俺もお前のことは忘れるつもりだった」

 一拍。

「もうひとつは、仮に会いにきたとしても、お前の口からあいつの話が出ればそれでよし、だ」

 深いため息。

 そして、それをきっかけに蒼司の口調は嘲笑うようなものに変わった。

「男と一緒にこっちに渡ってきたはいいけどさっぱり振るわなくて、おおかた金の無心か、最悪もう一度強請るつもりだったんだろうけど……お前、やらかしちまったな」

「……」

「本当に救えねぇよ。お前は電話であいつと――」

 と、そこでかぶりを振るような間があって、

「いや、もういいか」

「な、何よ、そんなこと言ってていいの。舐めんじゃないわよ。蒼司、日本じゃ有名な青年実業家なんでしょ? アタシとのことぜんぶマスコミに――」

「やってみろよ」

 蒼司は女性の言葉を遮る。

「お前こそ舐めるなよ。親父から逃げるだけしかできなかった昔の俺とは違うんだよ。鬱陶しくて仕方なかった親父を力尽くで引きずり下ろして、俺は宇佐美のすべてを手に入れた。その力でお前とあいつを見つけたんだ。今ならお前ひとり消すのなんか簡単にできるんだよ」

「ひっ……」

「わかったんなら行けよ、バカ女。もう二度と俺の前に現れるな。いや、俺ならまだいい。だが、絶対にあいつとだけは会うな。それだけは俺が許さねぇ」

 それは決意のこもった脅しだった。

 誰のための決意? そんなの言うまでもない。蒼司、お前は僕に隠れてこんなことを……。

「わ、わかったわよ。……はっ、あんたなんかこっちから願い下げだわ」

 捨て台詞ひとつ。

 そうして夜の静寂の中、小走りに駆けるヒールの足音が響き、それは次第に遠ざかっていった。

 僕は木にもたれたまま、ずるずるとしゃがみ込んだ。頭を抱える。……ああ、くそ。最悪の場面に出くわした。こんなことなら興味本位で後をつけるんじゃなかった。今さら後悔しても遅いけどさ。

 今度は別の足音がこちらに近づいてくる。

 蒼司だ。

 どうする? このまま息を潜めてやりすごすか。運がよかったら見つからずにすむかもしれない。

「……」

 やめた。

 僕は覚悟を決めて立ち上がると、木の陰から明るい遊歩道へと踏み出し――蒼司の前に進み出た。

 蒼司が僕の姿を見て息を飲んだのがわかった。口から何かが落ちる。煙草だ。

「煙草、やめたんじゃなかったのかよ」

「るせぇな。吸いたいときだってあるんだよ。……って、そうじゃねぇよ。お前、なんでここにいる?」

 蒼司は、自分ではそんなつもりはないのだろうが、険しい顔で僕を睨み、詰問気味に問うてくる。正直、蒼司にこんな顔を向けられたのは初めてだった。それだけ僕に見られたくなかったのだろう。

「蒼司、ケータイ忘れていっただろ。持ってきてやったんだよ。……ほらよ」

 僕は持っていた端末を、テキトーな調子で投げてやった。蒼司は手の中におさまったケータイと僕の顔とを交互に見――、

「お前、いつからそこに?」

「いつからも何も、今ここにきたばかりだよ」

 こんな暗いところから出てきておいて、我ながら白々しいと思う。

「……そうか」

 だが、それでも蒼司は納得することにしたようだ。八つ当たりのように煙草の火を踏み消すと、ポケットに携帯端末を突っ込んで歩き出す。僕も隣に並んだ。

 少し歩を進めてから、

「……なあ、俺の息子」

「……んだよ」

「……」

「……」

 だけど、蒼司は話し出さない。

 僕も先を促す気は起きなかった。

 僕たちは互いに黙って遊歩道を歩き、そのまま自然公園を出て――夜のロンドン郊外の街路を行く。そこでようやく蒼司が次句を継いだ。

「お前、自分を産んだ母親に会いたいか?」

「……いや、ぜんぜん」

 僕はゆっくりと、でも、迷うことなくそう答えた。

「ぜんぜん?」

「だって、もうふたりいるからね。教会の先生の奥さんと、今の母さん。ふたりいたらもう十分だよ。これ以上はイラネ」

「そうか」

 蒼司はふっと笑う。

「父親なんて三人だもんな」

「あ? なに言ってんだよ。先生と父さん、ふたりだろ。何かよけいなもの勝手に加えんなよ。ふざけろ」

「お前ね……」

 やれやれ、とばかりに蒼司。

「千秋の家で育てられたわりには、どうしてこんなにも口が悪いんだろうな、おい」

「知ってるか。人間大なり小なり相手を見て話し方を変えるんだぞ」

 僕が蒼司と話すときに口が悪くなることくらい自覚しているのである。どこかの不良中年の血を引いているから、とは口が裂けても言いたくない。

「千秋の家に帰ったときはいい子にしてろよ。あの親父さん、怒ると恐いぞ。いいパンチもってるしな」

「はぁ!? お前なにやったんだよ!?」

「決まってるだろ。お前のことで九州まで挨拶にいったら、ブン殴られたんだよ」

「……」

 まぁ、そりゃそうだろうな。一度は子どもを捨てた親が今になって突然現れて、しかも、やっぱり返してくれとか。温厚な父さんでもフルスイングで殴るわ。

「……那智」

 蒼司が僕の名を呼ぶ。

「今日見たことは忘れろ。お前にゃ関係ないことだ」

「わかってるよ。つーか、何も見てないんだから、忘れるも何もないっての」

 そう。僕は今夜、何も見ていない。何かあったのかもしれないけど、それは僕とは関係のないことだ。

 それでいい。

 僕はそう心に決めた。

 

 

 

 司先輩と僕は通りかかった百貨店に入り、エントランスの吹き抜けに飾ってあったクリスマスツリーを見上げていた。僕たちのほかにも、いくつものカップルや家族連れが見ていて、ケータイのカメラで撮ったりもしている。何せ三階にまで届こうかという巨大ツリーなので見応えがある。確か飾られたときにはニュースでも取り上げられていたはずだ。

「蒼司にも同じことを聞かれたんですよね」

 僕はそのツリーを見上げたままで言う。

「でも、もういいんです。僕はいろんな人に育てられてここまできました。親なら人が羨むほどいますから」

 両親合わせて片手の指と同じ数だけいればもう十分だろう。胸を張って言える。僕は誰よりも幸せだ。

 親だけじゃない。

 引き取られた教会では姉ができて、

 短かった高校生活では親友と呼べるやつや、世話焼きの先輩。

 気がつけば妹がいて、

 そして、何より司先輩がいる。

 これ以上なにを望むというのか。

「そう言えば、那智くんとはこれが初めてのクリスマスね」

「そうですね」

 春に司先輩と出会い、クリスマス前には彼女のそばにいられなくなって、僕は逃げ出した。そのときはもう二度と会わないつもりだったけど、結局こうして隣に立っている。節操がないのか、それともそういう運命なのか。

「来年も一緒にいられるかしら?」

「そのつもりです」

「再来年は?」

「もちろん」

「じゃあ、その次は?」

「……」

 僕はツリーから視線を外し、体ごと先輩へと向き直った。

「司先輩」

 僕の声に彼女もまたこちらを向く。何ごとかと首を傾げている。

「先輩、その、僕と……」

 言いかけて――、

「……っ」

 ダメだ。

 むり。言えない。

「ごめんなさい。やっぱり今はやめときます」

「そう?」

 僕は再びクリスマスツリーへと視線を戻した。果たしてツリーを見上げているのか、己のふがいなさに天を仰いでいるのか。

 クリスマスイブにクリスマスツリーのそば。シチュエーションだけはいいんだけどなぁ。いかんせん僕が宙ぶらりんすぎる。これで言うにはあまりにも考えが浅いというものだ。浅いどころか、むしろ考えなし。……これはもう少し先の見通しが立ってからの話だな。

「那智くんが何を言おうとしたのかわからないけど、言うのなら早くしてね。わたし、いつまでも待てないから」

「……」

 おい、しっかりわかってないか?

「あんまり待たされると、わたし――」

 司先輩はそこで言葉を切った。

 待たせるとどうなるのだろう? 愛想を尽かされる? 僕は審判を待つような気持ちで、彼女の言葉の続きを待つ。

「こっちからプロポーズするんだから」

「え?」

 僕は思わず司先輩を見る――と、彼女も僕を見ていた。

 ばっちり目が合う。

 そして、

「だから、早くしてね? わたしの未来の旦那さま」

 そう言って向けられる司先輩のとびっきりの笑顔に、僕は勝手に赤くなる顔を慌てて逸らしたのだった。

 これはがんばらないとな、うん。

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