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 〃 (2) 別離

 月曜日――、

 学校では二学期の期末試験がはじまっていた。

 周りからはテストの話題の合間に、時折、司先輩の話題が聞こえてくる。長く学校を休んでいることは、当然、知れ渡っている。ただし、事実を知っているのはごく一部に限られている。

 たまに僕のところにも詳細を知っていないか聞いてくるやつがいるは、決まって僕は知らないと答えていた。

 ――そのひと言ひと言が僕を責めているようだった。

 当然のようにテストには集中できていない。たぶん、軒並み赤点の気がするし、それ以上にテストの結果なんてもうどうでもよかった。

 

 

 

-+-+- 第16話(2) 「別離」 -+-+-

 

 

 

「おーい、鍵、ここに置いとくから戸締り頼むわ」

 いつの間にか本日のテストが終了していた。ぼうっとしていて終礼が終わったことすら気がつかなかったらしい。

 なかなか帰らない僕に痺れを切らせて、日直が教卓に教室の鍵を置いて帰ってしまった。

「……」

 静かになった。

 いや、教室は今までだって静かで、単に僕がそれを感じてなかっただけなのに、それを認識した途端、今急に静かになったような錯覚を覚えた。

「で、お前はいつ帰るんや?」

「ッ!?」

 いきなり静寂を破った声に驚いた。

 斜め後方、僕の視界から外れる位置で、一夜が窓に持たれて文庫本を読んでいた。今も立ったまま本に目を落としている。

「一夜……」

 一夜も円先輩とともに詳細を知る人間だ。

 事故直後、パニックを起こした僕が円先輩に連絡して、一緒に駆けつけてきてくれたのだ。僕はあまり覚えていないけど。

「司先輩が……」

 僕は窓を背にした一夜に向き直ってこぼした。

「司先輩が僕を責めてないんだ。お前のせいだって責めてくれたら、僕だって楽なのに……」

「そら責めんわ」

 間髪入れず一夜は応えた。本も閉じて、僕を見返す。

「お前、片瀬先パイを甘く見てるやろ。あの先パイかて飛び込んだときにそれくらいの覚悟はできとったやろうに」

「でも……」

「五月、お前があの先パイを助けたとき、あなたを助けに入ったから不良にフクロにされましたって、お前は責めたか? あの先パイがそれと同じような身勝手な文句を言う人間やとでも?」

「違う。僕はただ……」

「自分よりも先に誰かのことを考えるってのはそういうことやろが。俺が先パイの立場でもお前を責めたりはせん」

「だったら、僕はどうすればいいんだよ……っ」

「知るか、アホ」

 素っ気なく言う。

「目は医者に任せとけ。その結果をどう受け止めてどう出るかは先パイが考えることや。後はお前にしかできんことをやるしかないやろ」

「く……っ」

 最後の最後で一夜は突き放した。

「それがわからないから聞いてるんだろっ。……もういいよっ」

 僕は鞄をひっ掴んで教室から飛び出した。出口で誰かと肩がぶつかったようだったが、止まりもしなかった。

 

 

 

 特に理由もなく屋上に出てみた。

 苛立ちに任せて金網に鞄を投げつけた後、そばに寄ってみた。いつもならグラウンドで運動部が部活をしているが、今は試験中で誰もいない。

「……なっちん」

 下を見下ろしていると、後ろから声をかけられた。僕をこんなふうに呼ぶのはひとりしかいない。

「居内さんか」

 振り返ると居内さんがスカートの裾と髪を押さえて立っていた。思い返せばさっき教室でぶつかったのは居内さんだったような気もする。

「飛び降りるの?」

「飛び降り? ……ああ、それもいいかもね」

 思わず自嘲気味に鼻で笑ってしまった。

 金網にもたれ、首だけで下を見てみる。三階建ての校舎。屋上からでも四階分の高さ。いまいち確実性が低いな。

「それで何か解決するの?」

「きっと、どうにもならないだろうね」

「……そう。だったら、意味がない」

 なるほど。非の打ち所のない理屈だ。

「仮に何か解決するとしても、そんなことをすれば片瀬先輩が悲しむと思う」

「そう、かな……」

 反問のつもりはなかったのだけど、居内さんはそれに頷いた。

「それに、私も悲しい」

 感情の乏しい口調で、それでいてきっぱりと言う。

「それだけじゃない。きっと他にもたくさんの人が悲しむ。私は千秋君ほど死んで悲しむ人の多い人間を知らない。だから、千秋君が死ぬことで何か解決するとしても、それはきっと間違った方法だわ」

「最善の解決って何だと思う?」

「具体例のないアバウトな質問」

「居内さんなら答えられるかと思って」

 僕の勝手な期待に、居内さんはしばし考え、

「結局、人ひとりがやれることってたかが知れてると思う。だから、その中でやれることをやるしかないわ」

 つまり、言葉は違えど言っていることは一夜と同じなわけか。辿り着く結論は同じ。……わかっていた。一夜は正しい。後で謝っておかないとな。

 僕しかできないこと。

 僕がやれること。

「きっとそれを全力で探すことも、最善の解決を得るのに必要なことなんだろうね」

 居内さんが肯く。

「ありがとう。僕はもう帰るよ。居内さんも気をつけて帰って」

 僕の言葉に再びいつものように頷いて応えた。

 

 

 

 家に帰って真っ先にパソコンを起ち上げた。

 起動させている間に着替えをすませてしまう。と言っても、このマシンは高校に合格したときに買ってもらったものだから、まだまだ動作は軽い。僕の着替えの方が遅かった。

 パソコンの前に座り、ネットで司先輩と同じ症例と手術例を調べてみた。調べたところでどうなるというものでもないのだろうけど。それでも何かをやらずにはいられなかった。

 結果、やはり難しい症例であることと、成功率の低い手術に望みを託すしかないことが再確認されただけだった。

 ただ、その中で、その難しい手術を幾度か成功させているドイツ人医師がいることを知った。

(こういう先生に診てもらえれば……)

 だが、現実的ではない。

 絶対に手の届かないものを眺めるように、僕はその医師――ヘルベルト・ノイマン先生の紹介ページを読む。

 と――、

「これって……」

 そのとき、僕はこの先生と関係のある日本企業の名の中に見覚えのある文字を見つけた、

 宇佐美。

 グループの関連企業だろうか、宇佐美の名を冠した企業がそこにはあった。そう言えば宇佐美グループは、ここ数年、医療や介護関係にも手を伸ばしているとあったな。

 時計を見る。まだ時間は午後二時前だった。

 こういうことは早い方がいい。

 僕は再び着替えると、外に飛び出した。

 

 

 

 乗り換えを含めて電車で二時間。僕は宇佐美の本社ビルにきていた。

「蒼司! 蒼司に会わせてくれ!」

 着くなり僕は受付けに頼み込む。

「な、なんですか、あなたはっ」

「蒼司だよ、ここの会長の宇佐美蒼司! あいつを出せって言ってるんだ!」

「出せって言われて出せるわけがないでしょう。警備員を呼びますよっ」

 って――、

 ああ、それもそうだな。いきなり飛び込んできてこれじゃ、刃物持ってると思われても仕方がないよな。しかし、このお姉さんもなかなか強気な人だ。

「すみません。少し慌ててました。僕は千秋那智と言います。蒼……じゃなくて、宇佐美会長に会わせて欲しいんです。取り次いでもらえないでしょうか? 僕の名前を出して、それでダメだったら日を改めますから」

 焦る気持ちと荒い息を抑えながら、僕はできるだけ落ち着いて頼んだ。

 受付けのお姉さんは少し怪訝そうな顔をしながらも、僕の名前を改めて聞いて、内線で蒼司に連絡をしてくれた。

 そして――、

「会長がお会いになられるそうです。どうぞ」

 お姉さんはにっこり営業スマイルを見せた。

 これまで生きてきた中で上がったこともないような階までエレベータで上がって、辿り着いた立派なドアの前。案内してくれたお姉さんがノックする。

「どうぞ」

 と、中からの返事。

 昨日のことが頭の中で重なる。今も多少の緊張があるが、あのときのほうが遥かに緊張した。

 中には蒼司と、蒼司よりもふた回りは年上であろう年配の男の人がいた。ソファで向かい合って何か話をしていたようだ。

「やあ、いらっしゃい。那智君」

 蒼司がこちらを向いて、にこやかに迎えた。……そう言えばこんなキャラだったな、最初は。

「申し訳ない。しばらく席を外して頂けますか?」

「わかりました。では、後ほど」

 男の人はソファから立ち上がると、一礼してから部屋の外へ出て行った。すれ違うとき「何だ、このガキは」みたいな目で僕を見やがった。……会長の隠し子だよ。

 改めて室内を見る。

 広い部屋。大きな窓。高そうな机とその他の調度品。……なるほど。これが会長様の執務室か。

「それで、今日はどうしましたか。那智君」

 ソファから立ち上がりながら蒼司が聞いてくる。

「……おい」

「はい?」

「話の前のまずその喋り方をやめろよ。調子が狂うだろ」

 僕がそう言うと、蒼司はふんと鼻で笑った。

 机の上にどっかと腰を下ろし、片足だけの胡坐を組む。

「今日は何の用だ、俺の息子」

 ようやくらしくなって、こっちも話しやすくなった。

 かつては穏やかな面を見て好ましいと思ったものだけど、あれが演技と知った今ではやりにくくてかなわない。

「ヘルベルト・ノイマンって医者を知ってるか?」

 さっそく話に入る。

「唐突だな、おい」

「あんたが僕の親だと名乗ったときよりはマシだよ。……で、知ってるのか知らないのか」

「悪いが知らないな」

 あっさりと蒼司は返してきた。

 ……くそっ。いきなり頓挫か。

「どうしたよ。わざわざここまできたんだ。それで引き下がれるような話じゃないんだろ。とりあえず話してみろよ」

「あ、ああ、そうだな」

 確かにそうだ。今はここにしかすがるところがないんだから。

(だけど、言えば蒼司はきっと……)

 一瞬の戸惑い。

 しかし、僕はすぐに意を決して口を開いた。

「えっと、ノイマン先生ってのは世界的に有名なドイツ人の眼科医なんだ。あんたンとこの関連企業にも縁があるらしい」

 そう話を切り出した。

 それから先輩の事故のことや、先輩と同じ症例の難しい手術を件のノイマン先生が何度か成功させていることなどを話した。

「つまり、お前の先輩の手術を、その先生に引き受けてもらえるよう頼めってことだな」

「ダメだろうか?」

 しかし、蒼司は難しい顔をするばかりだった。

「問題がいくつかある。まず、俺がそのノイマン先生とやらを知らないこと」

 そうだった。最初からそう言っていたんだった。

 やはりもともとむりな話だったか。

「が、それは何とかしてやる」

「本当か?」

「ああ」

 蒼司は不適に笑うが、今はそれが頼もしかった。

「伊達や酔狂で会長なんて肩書きを持ってるわけじゃないからな。……だが、もっと現実的な問題として、費用はどうする?」

「あ……」

「手術費だけでもべらぼーな額になるだろうよ。加えて、ドイツへの旅費、向こうでの入院費と家族の滞在費、その他諸々。合わせりゃちょっと有名程度の建築デザイナじゃ手の届かない桁になるぞ」

「……」

 蒼司は何も意地悪でこんなことを言っているわけじゃない。これがまぎれもない現実なんだ。

「いいぜ。それも肩代わりしてやる」

「ほ、本当か?」

「ああ。他でもないお前の頼みだからな。俺にそれができる力と立場があるんだ。やってやるさ。そうだな。手術も日本で受けられた方がいいだろう。できる限りそうしてもらえるよう頼んでみよう」

「……」

「よう。急に黙ったな」

 蒼司は悪ガキの笑みとともに僕を見た。

「……そりゃあ、ね」

「お前は頭がいい。次に俺が何を言うかもわかっている。いや、わかっているというなら、この話を俺に切り出したときからわかってたんだろうな。覚悟を決めた顔をしていた」

「……」

 わかってるさ。

 こいつはやっぱり、どこまでも僕の敵だ。

「じゃあ、遠慮なく言わせてもらおうか。……那智、俺のところへこい。それが条件だ。お前が首を縦に振りさえすれば、俺は宇佐美の名に誓って万事完璧にことを進めてやるよ」

 蒼司は柄悪く机の上に腰を下ろしたまま、僕を見据えて告げた。

 僕は考える。

 つき合いはまだ短いが誰よりも信頼できる親友は言った。自分にしかできないことをやれ、と。

 かつては誰よりも好きだった女の子は言った。やれることを全力でやることが最善の解決への道だ、と。

 そして、目の前の悪ガキのような男ですら言っていた。自分にそれができる力と立場があるからやるのだ、と。

 そうだな。

 なら、きっとこれが、僕が司先輩にしてあげられる最大限のことなのだろう。この程度で先輩の目がもと通りになるなら安いものだ。

「……いいよ。わかった。その代わり先輩のことを頼む」

「ああ。任せろ」

 僕の返事を受けて、蒼司はまた不敵に笑った。

 そして、さらに付け加えた。

「あ、そうそう。近々ヨーロッパのほうに行く。お前も連れて行くからそのつもりでいろよ」

「……好きにしろ」

 どうせ僕はもう……。

 

 

 

 それから二週間――

 話はフルスピードで進んだ。

 蒼司自らノイマン先生との交渉に赴き、日本では先生が出した条件――必要な検査データやスタッフなどが、出された端から揃えられていった。

 そして、街が目の前に迫ったクリスマスに浮かれている今日この日、司先輩の手術が行われる。

 しかし、僕は今、空港にいた。日本を発つ日と重なったのだ。

 蒼司は父さんと母さんに会いに行ったらしい。事前に知らされていたが、僕の同席は認められなかった。その席でどんな話は交わされ、何があったかは知らない。ただ、その後、父さんは僕にひと言「行ってきなさい」とだけ言った。

(この時間だと、今ごろは手術の準備かな?)

 ロビーのソファに身を沈め、考える。

 と――、

「お兄様!」

 元気な声が近寄ってくる。

 やがて、正装でありながらかわいらしさも兼ね備えたワンピースに、ツインテールが特徴的な女の子が、僕の横に立った。

「搭乗手続き、やってきましたよっ」

「ああ、そう」

 僕はテキトーな返事を返す。

 蒼司は仕事の関係でひと足先に行っていて、僕と奈っちゃんが後から発って、向こうで合流という手筈になっている。

「あ、あの……」

 奈っちゃんがおずおずと口を開いた。

「心配なら片瀬先輩のところに行ってもいいですよ。お父様には空港で逃げられたって言いますから」

「いや、いい。大丈夫だから」

 それにそのシナリオじゃ僕が悪ものじゃないかよ。

「心配してくれてありがとう。先輩には昨日電話したし、今日行けないこともちゃんと伝えてあるんだ」

 本当のことは言ってないけど。

「それに……」

 もともとこうなった全ての原因は僕にあるんだ。何をしたところで償い切れるものじゃない。もうそばにはいられないんだ。

「いや、いい」

「もう。そればっかり」

 奈っちゃんが頬を膨らませて怒る。

「じゃあ、行こうか」

 僕は立ち上がると奈っちゃんの手の搭乗券をひったくった。

 さあ、行こう。

 さよなら、先輩。僕は約束を破ります――。

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