第7話 カフェ・オ・レ/ミルクティ
ある日の休み時間――
「アイバ・シンヤってのがいったいどこのどいつか、どうしても気になるんだよなぁ」
わざわざ僕と一夜の席まで来て、まるで深遠な悩みを打ち明けるかのようにトモダチが言いやがった。……何でよりによって僕に言うよ?
-+-+- 第7話 「カフェ・オ・レ/ミルクティ」 -+-+-
アイバ・シンヤというのは言うまでもなく、先の日曜日、片瀬先輩と一緒に歩いている
ところを目撃され、ついに発覚した“彼氏”の名前だ。
「そう?」
僕は興味のないふうを装って返事する。
この話題は危険だ。さらっと流すが吉。
「おうよ。しかも、実際には南二中にそんな名前のやつはいなかったってんだから謎だよな」
「どこがだよ。ただ単に偽名ってだけだろ」
「あ、そうか」
バカだ、こいつ。
「じゃあ、いったい何で偽名なんか使ったんだ?」
「そりゃあまり詮索されたくなかったからじゃない? 片瀬先輩は普段から何かと注目される人だし。現にお前みたいに相手が誰か知りたがってるのがいるわけだからさ」
「つまり、名前=アイバ・シンヤという情報はアテにならないわけか。だとしたら、切り崩すなら南二中の三年って部分からか……」
「いや、待て。それは短絡的だろ。名前が偽名ならそっちのパラメータも偽ものである可能性も考えたほうがよくないか?」
どうも与えられた情報を鵜呑みにしてしまうきらいのある友人に注意を促す。
「おお、そうだな。となると存在も疑わしくなってくるな」
「それはないだろ。実際に目撃談があるんだ。いると思って間違いない」
「なるほど。頭いいな」
「何を言う。より多くの可能性を考える。基本だよ」
って……あー、僕、何やってんだ? 一緒になって犯人捜しをしてどうするんだ。
演じた役が『片瀬先輩の彼氏』なんて現実離れした役割だから、自分が吐いた嘘だったことも忘れて、いつの間にか本当にいるような気になっていた。
自分のバカさ加減に呆れていると、
「……アホ」
横で一夜が、それを見透かしたように小さくつぶやいた。
一夜は手元の文庫本に視線を落としたまま顔を上げた様子はない。本を読みながらこっちの会話を聞いた上で、僕の心の動きを読んだのだろう。
相変わらずのマルチタスクぶりだ。
「とは言え、詮索されたくないから片瀬先輩は嘘を言ったわけで、僕たちとしてもこれ以上無粋なことはしない方がいんじゃないか。な、一夜もそう思うだろ?」
「……いや、俺も興味があるな」
「うあ゛……」
助ける気なしか。
つーか、そう言うならせめて興味ある振りしろよ。
「目撃者は中三という嘘を吐かれて実際にそう信じてる。ということは、一緒におった男は、そう信じるに足る容姿、体格やったと見てええやろな」
ちょっと待て、本当に協力してるじゃないか。いや、一夜はすべて知ってるんだから、この場合はヒントか。こいつ、僕を本気で追いつめる気なんじゃなかろうな。
「なるほど。中三と言って通用する体格のやつってことか」
トモダチは立ったまま腕を組んで真剣に考えはじめる。
と、僕と目が合った。
「……」
「……な、なに?」
けっこうマズくないだろうか? 一昨日の昼休み、僕が学食で片瀬先輩と一緒にいたことはクラス中が知ってるわけだし。連想は容易だ。
「わかった」
奴がニヤリと笑う。
「中三はミスリードだ。あの片瀬先輩が年下とつき合うはずがない。だから、見た目が中三でも本当は年上で、医大生とかに違いない!」
よし、こいつはバカだ(確定)。
そこで丁度休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「ほら、もうくだらないこと言ってないで席に着けよ」
しっしっ、とバカを追い返す。
それを見送ってから僕は顔を一夜に近づけ、小声で言った。
「一夜は僕に何か恨みでもあるわけ?」
「……別に」
しれっと言いやがった。
「でもさ、話をしていてひとつ疑問に思ったことがあるんだ」
「……」
「偽名を使ったり、学歴を詐称するよりも関係そのものを偽造してしまった方が手っ取り早い気がしないか? 例えば従弟とでも言ってしまえばいい」
「知らん」
うわお。
すっごい投げやりに言われた。なんか一夜って片瀬先輩関係になると機嫌が悪くなる気がするな。
昼休み――、
弁当を食べ終えた後、一夜とのジャンケンに負けたので、僕が何か飲み物を買いに学食までパシることになった。
「むう、一夜め。ちょっと前までは八割がた初手はグーだったのに……」
口では文句を言いながらも潔く学食へと向かう。
辿り着いた学食は混雑のピークを過ぎて空席が目立ちはじめていた。尤も、空いていようが混んでいようが、自販機に用がある僕には関係のないことだけど。
隅の自販機コーナーへ行って、チョリンチョリンと硬貨を放り込み、
「一夜は下の段の左から二番目のやつ、と……」
まずは一夜に頼まれたものを購入。
継いで自分のを買うべく次弾装填――、
「あら、千秋くん」
したところで呼びかけられた。
驚きと緊張で身体がわずかに跳ねた。声の主は片瀬先輩だ。
「千秋くんも買いにきたの?」
「あ、はい」
身体を硬くしたままぎこちない動きでそちらを見ると、片瀬先輩はもう僕の横に並んでいて、自販機のパネルに目をやっていた。
顔が予想以上に近くにあって、僕は驚く。
「あっ、すみません。すぐ退きます」
って、驚いている場合じゃなかった。僕がお金を入れたところで止まっているから、先輩が買うに買えない。
それと、この距離は少し危険だ。見続けているだけで頭のCPUが熱を持ちそうだ。
僕は顔を背けるようにして自販機に視線を戻した。
「わたしのお薦めは、これかな」
「うん?」
選んでいる横から口を挟んで、先輩が指し示したのは微糖のコーヒーだった。
「え~っと……」
「あ、そうか。千秋くんはコーヒーはダメだったわね。じゃあ、こっちのカフェ・オレなら飲みやすいと思うわ」
「じゃ、じゃあ、そうします」
薦められたカフェ・オレのボタンを押す。
もうすでにかなり頭の回転数が落ちているらしい。別に他にも選択肢がありそうなものなのに、いつの間にかコーヒー以外見えなくなっていて、言われるままにそれを選んでいた。
続いて先輩が硬貨を入れる。
「それじゃ、千秋くんのお薦めは?」
「へ? 僕の、ですか?」
聞き返しながら反射的にいつも飲んでいるような炭酸飲料を指そうとしたが、寸前で思いとどまった。片瀬先輩に薦めるようなものじゃない気がする。
「えっと、これ……ですね」
不自然な軌道変更を経て僕が指さしたのはミルクティだった。
「紅茶か。ええ、それもいいわね。今日はこれにするわ」
飲みものひとつにそれは大袈裟だろうと思うほど大袈裟に頷いて、先輩はそのボタンを押した。膝頭をそろえるようにして膝を軽く曲げ、出てきたミルクティを取り上げる。
「じゃあね」
先輩はそう言って微笑むと、顔の横でミルクティの缶を振った。
「え? あ、はい……。それじゃ……」
先輩が口にした別れの挨拶に、僕は不意をつかれたように気分で曖昧な返事を返した。
僕は当然のようにこのままその辺の席に場所を移して、先輩と話ができるものだと思っていた。そんな勝手な想像をしていたものだからこの展開は予想外だった。
見ると先輩が向かう先には友達らしき上級生の女子生徒が数人いた。
「これが普通だよな……」
ちょっと虚しくなった。
まあ、先輩と話せたことでよしとしよう――と思ったけど、振り返ってみればろくな会話をしていないことに気づいた。
まだ僕は先輩との不意の遭遇に対処しきれないらしい。
なんだかいろいろと自分が情けなくなるだけの結果だったな。
放課後――、
今週は掃除当番。場所は特別教室が集まる校舎の一階にある視聴覚室。
本来ならここに割り当てられた当番はふたりなのだけど、本日、相方は残念ながらお休み。おかげで僕ひとりでやる羽目になっている。人員補充くらいしてくれ、先生。
元からいい加減なのが更にいい加減に、というか、いい加減からやる気なしにシフトして、テキトーに時間が過ぎたらとっとと帰ってしまうつもりでいた。
とりあえず、窓を開け放ち、体裁だけ整える。
窓の外は裏庭で、花壇があるがあまり手入れされている様子はない。雑草に混じって逞しい草花が少しあるだけだ。
それを背にして僕は窓枠に腰をかけた。
「ちょっと浮かれて空回りしてるのかな、僕」
昼休みのことを思い出す。
要するに僕は少しばかり片瀬先輩とお近づきになれただけで、特別仲よくなったわけじゃないんだ。この前の日曜、ふたりで遊びに行ったのだって、あの日体育館裏で助けられたお礼だっただけのことだろう。
「なんか、バカみたいだな……」
ため息を吐く。
と――、
「だ~れだっ」
いきなり視界が真っ暗になった。
状況なんか考えるまでもなく明白だ。背後の裏庭、窓の外から近寄ってきた誰かさんに、目を手で覆われただけのこと。
そして、その誰かさんというのが声で片瀬先輩だとすぐわかっただけのこと。
だからこそ僕は驚く。
「うわっ、たっ、た……っ」
「えっ? きゃっ、ちょっと……ダメ……っ」
驚きすぎた僕はバランスを崩して後ろ、つまり窓の外に倒れてしまった。片瀬先輩は何とか僕を支えようと頑張ったようだが、やっぱり無理だったらしい。
「ぐぎゃ……」
惨めな鳴き声を上げて背中から落下する。いちおう、顎は引いて、後頭部を打ちつけるのだけは避けた。
が。
「ッ~~~!?」
とうぶん無理はするなと言われてる肋骨が死ぬほど痛い。
「だ、大丈夫!?」
十歩ほど離れたところで片瀬先輩が心配そうに声をかけてくる。距離を開けているのは位置関係がマズいからだろう。
「あ、あば、あばらっ。あばらばらばら……」
「え、バラバラなの!?」
いえ、単なる意味不明なうめき声です。多分、河原ワラワラの親戚あたりかと。
痛みが治まるのを待ってから、肋骨を庇いながら立ち上がる。
「あ~、ひどい目に遭った」
「ご、ごめんなさい。まさかこんなことになるなんて思わなくて」
まあ、確かに自分でもこんなに慌てるとは思わなかったけど。
「で、こんなところで何やってるんですか、先輩」
よいしょ、と窓を乗り越えて再び視聴覚室の中に戻る。
別にどっちにいてもいいんだけど、さすがに上靴で土の上に立つのは抵抗がある。
「ちょっとクラスの花壇に用があってここにきたら、那智くんの姿が見えたの」
「だからって驚かす必要はないじゃないですか」
「それは……サービス、かな?」
「サービス?」
「だって、昼に会ったときの那智くん、何だか寂しそうだったから」
「べ、別に寂しくは……」
あったかも……
「へぇ、あそぅ。寂しくなかったんだぁ」
い、いえ、ないとも言ってないんですけどね。
先輩の顔に悪戯っぽい笑みが増したことに嫌な予感を覚える。
「わたしはてっきりまた『先輩がかまってくれない~』って拗ねてるのかと思ったわ」
「ッ!?」
次の瞬間、僕は音速で窓を閉めて、黒い遮光カーテンも閉めた。
が、さらに一瞬後には亜光速で窓が開いて、カーテンが凄い勢いでスライドしていた。
「こらっ」
「いや、だって……」
目の前でそんなこと言われたら、そりゃあ誰だって隠れたくなる。
先輩の顔が見れず、そわそわと視線を廻らせていると、先輩が両手で僕の顔を挟んだ。
そのまま引き寄せられ、コツン、とお互いの額が触れる。
ただでさえ上がっていた僕の顔の熱が、これ以上ないくらいまで熱くなる。
「わたしがそばにいると、きっと那智くんに迷惑がかかるわ。だから……ね?」
先輩は小さい子に言い聞かせるように言った。
「……はい」
「いい子ね。また今度ゆっくりお話しましょ」
そうして優しく微笑む。
と、そのとき――
「うおーい。頑張ってるか、千秋ー。手伝いにきたぞー」
クラスメイトが大声を張り上げながら入ってきた。
僕は慌てて振り返り、先輩は窓の下に身を沈める。
ようやく補充兵が到着したらしい。今となっては余計なだけだが。
「あ、ああ、助かるよ」
勿論、内心では舌打ちしてるけど。
ふと窓の外を見ると、もう片瀬先輩の姿はなかった。
意外に素早いな。
さ、とっとと掃除して帰るか。