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  〃  悪魔の証明(本論)

 日曜日――、

 四方堂円はバスから降りると駅前のバスターミナルに立った。待ち合わせ場所である広場は少し離れたところにあるが、時計塔はここからでも見える。

 時計の針は11時5分前を指していた。

「まだ11時前か。我ながら30分前行動の体育会系体質が恨めしいわ」

 思わず呆れてしまう。

 それから改めて自分の姿を見た。ブラックジーンズに、部分的にレースを使った白のブラウス――なんとも色気に欠けるスタイルだ。

「もうちょっと女の子らしい格好のほうがよかったかしらね」

 とは言え、その色気に欠けるファッションも、長い脚とプロポーションのよさで十分にカバーしている。むしろ飾りがない分だけ、そちらが強調されているようにも見えた。円自身は気づいていないようだが。

 

 

 

-+-+- 挿話 「悪魔の証明」(本論) -+-+-

 

 

 

 とりあえず時計塔を目指す。

 待ち合わせの時間にはどう見てもまだ早い。しかし、その時計塔の下にはすでに一夜の姿があった。

 ただし――、

「あっちゃ~。さっそくか」

 一夜のそばに高校生らしき女の子が3人いた。きっとここにきて待っている間に声をかけられたのだろう。彼の容姿なら無理からぬことだ。しかし、当の一夜は困った様子も嬉しそうな様子もなく、ただただ鬱陶しそうだった。

 円がそこに辿り着く頃には、一夜が女の子たちを追い払って決着が着いていた。

「勿体ないなぁ。みんなかわいいのに」

「先約があるからな」

 面白くなさそうに一夜が応える。

「アタシとの約束がなかったら一緒に遊んだって? ないない。遠矢っちの性格じゃあり得ないわ」

「確か今日の目的は他人の性格分析じゃなかったと思たけどな」

「はいはい。アタシが悪ぅございました」

 これ以上からかって機嫌を損ねられたら元も子もないので、素直に謝ってこの話題は切り上げた。

 しかし、逆ナンパに遭った一夜は災難だったが、早く来てくれたおかげで暇を持て余さずにすんだ。そう思って円が何気なく時計塔を見上げると、丁度11時だった。

「あー……アンタ、やっぱ性格悪いわ」

「なんか言うたか?」

「んにゃ、何も」

 そう言って流しつつ、円は一夜を眺める。ブルーのジーンズに白のワークシャツと、円同様飾り気がない。唯一のおしゃれと言えば、レンズに薄いブルーの色がついた眼鏡をかけていることくらいか。それでも十分に映えるのが一夜という少年である。

「なんか、ペアルックみたいになっちゃったわね」

「ま、らしくてええんちゃうか」

 円が少し照れながら感想をもらすも、一夜のほうはさして気にした様子はなかった。

「なるほどね。それじゃ、とりあえずふらふら歩きますか」

 その提案に異議がなかったのか、一夜は駅の賑やかなほうへ歩き出した。円も後を追う。

「よっ、と」

 そうして横に並ぶと、腕と腕とを絡めた。

「……」

「嫌そうな顔するんじゃないわよ。傷つくわね。だいたいこういうところを見せつけるのが今日の目的でしょうが。我慢しなさいよ」

「協力者の俺が我慢を強いられるんか」

「ついで言うと、アタシ、一度こういうのやってみたかったのよね。アタシの背じゃこんなことして釣り合う男が少ないでしょ?」

「……」

「……」

「……そういうことやったら我慢するわ」

 一夜は不承々々、了解した。

「で、これからどこにいく?」

「市立図書館」

「却下」

 間髪入れず、円は即座に突っぱねた。

「アンタねぇ、ふたりで黙々と本を読むデートがどこにあるのよ」

「じゃあ先パイが決めてくれたらええよ。俺はどこでもええから」

 一夜はあまり話を長引かせず、さっさと決定権を譲り渡した。

 円はしばらく考え――、

「とりあえず歩きながら考えるわ」

 とだけ言った。

 

 

 

「お、すごい。また振り返った」

 円はついに声を上げた。

 一夜と歩きはじめてから何か違和感を感じて首を傾げていたのだが、程なくその正体が判った。すれ違う少女の多くが一夜を見るのだ。

「わりかし近くにいたから実感なかったんだけど、遠矢っちってば噂通りいい男だったのね」

「そんなもん自分で決めることやないから、俺に言われても知らんけどな」

 普段から面白くなさそうに話すのがデフォルトの一夜だが、今はそれに輪をかけて面白くなさそうだ。この手の話題はタブーなのかもしれない。

「アンタ、背は高いわ、妙に落ち着いてるわで年下には見えないのよね」

 しかし、相手が一夜だからか、円はあえてタブーに触れたくなる。

「ええこと教えたるわ。実は俺、誕生日が2月やから、細かいこと言うたら那智より年下やねん」

「あっはっはっは――」

 瞬間、堰を切ったように円が笑い出した

「これくらいで笑えるとは、幸せなやつ……」

「笑わずにいられますかっての。そうかそうか。アンタ、なっちより年下か。こりゃいいわ」

 いい感じにツボにはまったのか、円は腹を抱えて立ち止まってしまった。一夜は笑い続ける円を冷ややかに見つめる。

 と。

「ちょっと待った」

 不意に円の笑いがぴたりと止まった。

「てことは、アンタ、まだ15歳?」

「そういうことになるな」

「……」

 押し黙ってしまう円。

「なに考えとんねん」

「あー、うん、ちょっとね……」

 一夜の問いにも言葉を濁す。

「……そうか。だったら行くで」

「ちょっとぉ、女を置いていくんじゃないわよ」

 情け容赦なく背中を向ける一夜。その後を円も慌てて追うと、再び腕を絡めた。

「……む」

 絡み合った腕を見て一夜が唸る。

「なに? 嫌なわけ?」

「と言うか、落ち着かん……じゃなくて、歩きにくい」

「そか。じゃあ、こうするか」

 そう言うと円は一度腕を外し、今度は手をつないだ。

「……まあ、この方が気は楽やな」

 一夜は前を向いたまま言った。

 

 

 

 最初にふたりが入ったのはアミューズメントスペースだった。

 所謂ゲームセンター。

 フロアに流れるBGMや筐体から出る音楽が音の洪水となって耳を打ち、ふたりの話し声も自然と大きくなってしまう。

「こういうところ、なっちと一緒にきたりしないの?」

「……あんまり。でも、一時期ダダレボにハマって那智と一緒に通い詰めたことはあるな」

「ああ、あれね」

 と、ダンスゲームを見る。

 しかし、あまり興味をそそられなかったのか、すぐに別のゲームを探しはじめた。

「お。あれやろ、あれ」

 そう言って目を輝かせて近づいていったのはバスケットボールのフリースローのようなゲームだった。

「つい先日まで本もののバスケやってたのに、何でここまできてそんなもんやる必要があるねん」

「いいでしょ。こういうの見たら燃えるのよ」

 言いつつ、さっそく百円硬貨を投入する。

 最初、本ものとは高さも距離も違うゴールに次々とボールを放るというコンセプトのゲームに戸惑っていた円だったが、次第に感覚を掴んで調子を延ばしていった。

「ま、こんなものか」

 やり終えた後の円は意外に満足げだった。

「おっし。次、遠矢っちね」

「俺もか?」

「とーぜん。……はいはい。アタシが奢ってあげるから、とっととやる」

 そう言って勝手に硬貨を投入し、準備が整ってしまった。

 そうして仕方なくやった一夜だったが、結果はあまりよろしくなく、得点は円の半分にも満たなかった。

「……」

 これには一夜も面白くないらしく、目に見えて不機嫌な顔をしていた。

「ま、まあ、アタシと遠矢っちじゃ経験の差もあるし。だいたい遊びなんだから、あまり気に――」

「……次、あれ行こか」

 なだめようとした円を無視して一夜が示したのは、少し古めのパンチングゲームだった。3発殴った合計のパンチ力が目標値をオーバーしたらステージクリアというシンプルなゲームである。

 一夜はそれに近づくとコインを放り込む。

「ふっ!」

 表示されるアメコミ風のストーリィをさっさとスキップして、起き上がった赤いミットを力任せに殴りつける。その姿はどことなくやり場のない怒りをぶつけているようにも見えた。

「ちっ……。ここまでか」

 第4ステージの怪獣を倒せずに終わったが、それなりに満足している様子だった。手につけていたグローブを外す。

 そして――、

「では、四方堂先パイ、どうぞ」

 そう言って手でゲームの筐体を指し示し、場所を空けた。

「アタシもやるの!?」

「……やれ」

 なぜか命令形だった。

 今度は一夜がコインを入れて、問答無用で舞台を整えた。渋々円はグローブをつける。

「こんなの女がやるもんじゃないでしょーが。……あー、なになに? 3発殴ってこいつをノックアウトすればいいわけ?」

 結果――、

 第1ステージの人質を取った暴漢は倒したものの、トレーラーを壊す第2ステージの目標値に届かず終了した。

「だから、女がやるもんじゃないってーの。あー、いった……」

 先ほどと同じことを言いながら右手をブラブラさせる円。

 その横で一夜が微かに鼻で笑う。

「アンタ、けっこう大人げないわね……」

「俺、那智より年下やしな」

「……」

 嘯く一夜を見て、円は黙って肩をすくめた。

 

 

 

 昼食を挟んでレーシングゲームやダンスゲーム、果てはガンシューティングなど、さんざん体感ゲームをやった後、一夜と円は喫茶店に移動した。

「たまには遠矢っちのことも話してよ」

 そこで唐突に円が訊いた。

「いきなりやな」

「遠矢っちの家って、やっぱりお金持ちなの? 別荘なんか持ってるしさ」

 かまわず円は、手はじめにとばかりに質問を投げかけた。すごいよねー、などと言いながら、ケーキセットのタルトをつつく。

「まあ、金持ちなんちゃうか。一家の主は愛人を3人も作って、しかも、それをちゃんと養ってるくらいやしな」

「そりゃあ確かにお金がないとできんわ。しっかし、まあ……」

 円は感心しつつも開いた口がふさがらない様子だった。

「まだある。愛人のひとりが事故で亡くなった後は、そのひとり息子を引き取って育ててるしな」

 それを聞いて円の手が止まる。

「それって……」

「……俺」

 一夜は事もなげに言った。

「当時、小学5年だった少年は、由緒ある旧家で実業家でもあった父親に引き取られ、愛人の子だの何だのと蔑まれる境遇から一転して誰もが羨む家庭の子になりました。……どっかで聞いたことのあるような話やろ?」

 そう言うと珍しく一夜は笑った。しかし、それはどこか自嘲気味な笑みでもあった。

 さらに一夜は淡々と語る。

 引き取られた先では父親にも祖父にも、そして、正妻の子である3人の姉にもかわいがられた。しかし、面白くないのは正妻である。おかげで日々の生活の中で最も顔を合わせる機会の多い彼女からはきつく当たられ、家の外では今まであった蔑みに妬みとやっかみが加わるようになった。

 義母の希望で一夜には広い敷地の一角にバス・トイレ付きの、まるでワンルームマンションの一室のような離れが与えられた。本館にはあまり踏み入るなと暗に言っているのだ。以来、幼い頃より人嫌いだった少年は、さらに孤独を好み、人を寄せつけない性格となったのだった。

「そんな俺が高校に入って……正確には入試のときやけど、出逢ったのが那智やった。……正直、おどろいたわ」

「なんで?」

「あいつ、俺と似たような境遇やのに、俺みたいにヒネくれたところがひとつもなかった」

「ああ、なるほどね」

 円が苦笑しながら納得する。

 彼の少年は自分を取り巻く環境について、笑いながらこう言った。「確かに嫌なやつはいるけど、それと同じかそれ以上にいい人もいるから」と――。

 その言葉に一夜はショックを受けた。

 彼のように生きてこられるなら、では、世の中に背を向け、拗ねたように生きてきた自分は何だったのだろう。自分にも優しい声をかけてくれた人がいたのではなかったか――。

「……あいつは、俺がなろうとしてなれなかったものだった」

 千秋那智は、自分が"なるべき姿"を正しく見据え、正しくそうなった。それに比べて自分はどうだ。自分もそうなるべきではなかったのか。

 一夜は焦がれるように言う。

「だからせめて俺は、俺が共感し、惹かれたあいつを、自分以上に大事にしようと思てる……」

 そうすることに何か意味を求めているわけではない。

 例えば、そうすることで"なれなかったもの"のなれの果てである自分が救われるとか、今まで自分が撥ねつけてきた優しい言葉に報いることができるとか、そんな虫のいいことは考えていない。

 極々単純に――ただ大事にしたいだけ。

「アタシは、本当に遠矢っちがヒネくれてるとは思ってないよ」

 重くなりそうな空気を打ち破って、円が口を開く。

「根っこのほうでは案外素直なやつだからね、遠矢っちは」

「そんなキャラやないわ」

 それをさらりと流して、一夜はコーヒーを飲んだ。

「……む。せっかくそう言ってあげてんのに、かわいくないやつ」

 むっとする円。

「何を根拠にそんなおもろいこと思たんか、おしえて欲しいもんやな」

 一夜も同じくむっとして言い返した。

 すると、円はぼそっとひと言――、

「……別荘での夜」

「ッ!?」

 途端、一夜が飲みかけのコーヒーでむせた。

 慌ててポケットからハンカチを取り出し、それで口を押さえて咳き込む。

「……それ絶対に人前で言うなよ。いらん詮索される」

「黙っててほしかったら、そのミルフィーユちょーだい」

 自分の持っているフォークで、まだひと口も食べていない一夜のミルフィーユを指し示す。

「……好きなだけ喰え」

 一夜はケーキの皿を円の方に少し寄せた。

「食べさせて」

「それくらい自分で喰え」

「……言っていいの?」

「……」

 ちっ、と微かに舌打ちしてから、一夜はミルフィーユを横に倒し、フォークを刺し込んだ。そうして切ったそれを円の口の高さまで運ぶ。

「アー……」

 円も口を寄せる。

「……でかい口」

「うるさいわね」

 一度一夜を睨みつけてから、改めて喰らいついた。

「うん、やっぱここのはどれも美味しいわ」

「そらよかったな」

 美味しいものを口にして満足げな顔の円と白け顔の一夜。その表情は非常に対照的だった。

 

 

 

「ひとつ聞いてええか?」

 すっかり暗くなった夜の帰り道、ふたり並んで歩きながら一夜は円に尋ねた。

「今日、例のストーカおったんか?」

「んー? いたんじゃない?」

 どうでもよさそうに、そして、楽しそうに円は返した。

「明日以降、姿が見えなくなったら、諦めたってことだろうけど」

「……なるほど。理屈としては成り立つな」

 そんなことだろうと思った。

 なので、それ以上は何も聞かなかった。

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