第12話 異種格闘技戦勃発?
少し前の話になるけど――それは9月の下旬。
校内のあちこちで学園祭の準備をしている光景が見られ、少しずつ本番が近づいていることを実感しはじめた頃の話。
突然、司先輩が言った。
言い出した。
「明日、那智くんちにお昼を作りにいくわ」
「はい?」
校内でばったり会って、並んで歩いていた僕は思わず足を止めそうになった。
「あら。都合悪い?」
「っていうわけでもないんですが……」
やや遅れた距離を早足で取り戻しながら返す。
「僕、ひとり暮らしですよ?」
「わかってるわ。だから作りにいくのよ」
「……」
わかっていない気がする。
まあ、僕がちょっと意識しすぎなだけかもしれないけど。夏休み、先輩が泊まりにきたときも、そんなことはまったくなかったわけだし。……きわどい冗談はあったけど。
明日は土曜日、作ってもらえるなら僕の手間が省けて助かるのは確かだ。
「もしかしてカレーですか……?」
僕は恐る恐る訊いた。
あのよくわからないカレー。不味いわけではないけど、何となく黙り込んでしまうあの味は、ちょっとした恐怖だ。
「それも考えたの」
「……」
考えちゃったか。
「自画自賛じゃないけど、最近、また腕を上げたから、那智くんに確かめてもらおうかなって」
「……」
どのベクトルに腕を上げたのかが気になるところ。
「でも、学校が終わって、それから作るわけでしょ? あまり時間はかけられないと思うの」
「そ、そうですよね」
「だから、もうちょっと簡単なもの。何が出てくるかは明日のお楽しみ。ね?」
司先輩は心底楽しそうに言った。
そして、僕は心底ほっとしていた。少なくともカレーでないことだけは確定したわけだ。
と、そこでわかれ道に差し掛かった。先輩と僕は行き先が違うので、ここからはそれぞれ別の道だ。
「じゃあね、那智くん。明日を楽しみにしてて」
「はい。期待してます」
そうして司先輩は渡り廊下を歩いていった。
-+-+- 第12話 「異種格闘技戦勃発?」 -+-+-
翌日――、
「予定がちょっとだけ変更になりました」
と、告げたのは僕。
学校の帰り、電車に揺られながらの会話だった。
「どうかしたの? 何か用事でもできた?」
「ってわけではないです。今日、クラスで隣の席の子が休んでまして、その子のところに配られたプリントを持っていってあげようかと」
ただそれだけのこと。
「なので、帰る途中でその子の家に寄ります」
予定変更というほどの変更でもない。
「ええ、いいわ。それくらいなら。でも、大変ね。先生に頼まれたの?」
「いえ、僕が勝手にやるだけです」
「あ、そうなんだ」
「まあ、家も近くて、それなりに仲がいいので。それにたいした労力じゃないですからね。持っていってあげたら相手も助かるかな……って、何ですか?」
僕がしゃべっている途中から、司先輩がくすくす笑い出したのだ。
「ううん。そういう親切、那智くんらしいと思って」
「そうですか?」
よくわからないけど。
「うん、そう。わたしには真似できないわ」
「そんなことないですよ。こういうのって瞬発力だと思うんです」
「瞬発力?」
「例えば、ですね。電車で座っているときにお年寄りが乗ってきたとします。そのとき、席を譲った方がいいかなって考えますよね?」
「ええ、そうね」
先輩が相づちを打つ。
「でも、同時にいろんなことを考えてしまいません? 自分より先に誰かが立つかな、とか。お年寄り扱いしたら悪いかな、とか」
「そうね。考えてしまうわ」
先輩の口調には心当たりがあるような素振りが窺えた。
「でも、考えたって何もならないんだから、兎に角まずは動く。それでそれが裏目に出ても、そのときはそのときです」
「それが瞬発力?」
「そういうことです。僕の経験だと7割くらいで親切は伝わるかなと……って、何でまた笑うんですか?」
「本当に那智くんらしいわ。ええ、そう。とってもいい子」
「むぅ……」
そんな子どもを褒めるような言い方はやめて欲しい。
電車を降りて、駅を出たそこで見つけたのは紗弥加姉だった。
暇そうに立っている。まあ、それはいい。でも、性懲りもなくまたタバコをくわえてやがる。
「すみません。ちょっと行ってきます」
司先輩に断ってから、僕は紗弥加姉に向かって駆け出した。
「紗弥加姉!」
ライタで火をつける直前、僕はそれを奪い取った。
「なんだ、お前か」
「お前か、じゃないっ。タバコはやめろって何度も言ってるだろっ」
「そんなの俺の勝手」
そして、改めてもう一本取り出す。
「言ってる傍から吸おうとするんじゃないっ」
今度は箱ごと奪取。
こういうのを見てると、自分は将来絶対吸わないぞって思ってしまうな。
「で、お前、何やってんの、こんなところで」
紗弥加姉はようやく諦めたようで、話題を変えてきた。
「その"こんなところ"は僕が毎日使ってる駅なんだけどな。その質問にそのまま答えるなら、今、学校の帰り。因みに、これから司先輩が家でお昼を作ってくれることになってる」
こんなこと話せる相手が限られているので、ここぞとばかりに嬉しがってしゃべってしまう。
「ああ、なるほどね」
紗弥加姉の目の焦点が僕の後方に合わさった。そこには司先輩がいるはずだ。
「それはまた仲のいいことで」
面白くなさそうに言う。
どうも司先輩と紗弥加姉は相性が悪いらしい。仲よくしてくれたらいいとは思うが、なんか無理っぽいので僕も今では半ば諦めている。
「まぁ、お前んち今は誰もいないし、やりたい放題だよな」
「ば……っ。何の話だよっ」
「さぁな。何の話だろうな。……んじゃ、俺は今からバイトがあるんで、行くわ」
と、紗弥加姉が手をひらひらさせたところで、丁度、司先輩が追いついてきた。
ふたりの目が合う。
それぞれ好戦的な笑みを浮かべて、互いの顔を見ている。胃が痛くなるような光景だ。
が、結局、会話はなしだった。
紗弥加姉が去っていく。
「どうしたの、那智くん。顔が赤いわ」
「い、いや、何でもないです」
ちくしょう。紗弥加姉め。また変なことを意識してしまったじゃないか。早く忘れよう。
僕は歩き出した。
ここからしばらくはいつもの帰り道。途中から違う道へと折れる。
そのクラスメイトの家へは、実は一度も行ったことはない。そういう機会がなかったからだ。知っていたのはおおよその座標だけ。でも、以前、町内をチャリンコで走り回っていたときにたまたま見つけ、「ここだったのか」と感心した覚えがある。
司先輩と他愛もない話をしながら、頭の中では記憶を引っ張り出しつつ、目的地へと歩く。
「あ、見て、那智くん。猫」
不意に先輩が大きな声を上げた。
見れば確かに塀の上に三毛ニャンコ。散歩でもしていたのか、歩いていたその足を止めてこちらを見ている。
「首輪がついているわ。飼い猫ね」
「ですね……」
つーか、どこかで見たことがあるな、こいつ。どこだっただろうか、と首をひねる。すると猫も僕と同じように、反対方向へ首を傾けた。
「……」
「……」
何を考えているのかよくわからない猫の目。
「あ、お前、V12じゃないか?」
ピンときた。僕の予想が正しければ、確かに僕はこいつを見たことがある。今の姿ではないけれど。
「ぶ、ぶい……?」
「こいつの名前です。V12」
「め、珍しい名前ね……」
僕もそう思う。まあ、名付け親が名付け親だしな。
「久しぶりだな、V12。僕を覚えてるか?」
塀の上に向かって手を伸ばし、掌を差し出す。勿論、地獄突きではない。
「……」
「……」
「……」
が、反応なし。
相変わらず無表情な目でこっちを見ているだけなので、別猫か他猫の空似かと思いはじめた頃、いきなりそいつは塀からにゅるんと飛び降りた。
そして、今度は僕の体を駆け上り、器用にも僕の頭の上にがぼっと被さった。……重い。
「む。やっぱりお前、V12だな?」
「……」
「……」
く、くそ。やりにくい。V12なのか、そうじゃないのか。V12だとしても単に僕のことを忘れているだけなのか、さっぱりわからん。
「……」
この無口さ。この無表情さ。このなに考えてるのかわからなさ。飼い主である誰かさんを連想して、別方面からV12だと確信しそうだ。飼い主に似るっていうけど、本当なのかもな。
とりあえず連れていくとするか。落ちないように片手で押さえながら歩き出す。
「那智くん、その猫と知り合い?」
「ええ、まあ。僕、こいつを拾った人間のひとりです」
尤も、こいつがV12ならの話だけど。
「わかってるか? 最初、僕がお前を飼うつもりだったんだぞ?」
言いながら柔らかい体をぽむぽむと叩く。
去年、中3の夏の終わりのことだ。現飼い主と僕はこいつを見つけた。さっきも言った通り、最初は僕が飼うつもりで家へつれて帰った。が、父さんにちゃんと責任を持って飼えるかと問われたとき、僕は丁度クラブが秋の大会前で忙しくなっていたこともあって、それに自信を持って答えることができなかった。
かくして、この猫は今の家へと引き取られることになった。
「それにしても大きくなったな」
見つけたときは掌に乗るサイズだったのにな。
「中学と言えば――」
「うん?」
「前から聞きたかったのだけど、那智くん、女の子とつき合ってたことある?」
司先輩のその問いに僕は、ぐふっ、と喉を詰まらせそうになった。意外と嫌なタイミングで聞いてくるな。
「……あると思います?」
「質問に質問で返さない」
先輩にぴしゃりと言われた僕はしばし考え――少し言葉を選んで、答えた。
「……あった、と言っていいでしょうね」
「そ、そう……」
司先輩は短くそう言ったきりで、僕も黙り込んだ。
別に気まずくなってしまったわけではない。ただ、当時のことを思い出しただけだ。
本当なところ、あれをつき合っていたと言ってしまっていいのか怪しい。単に僕がそう思いたいだけなのかもしれない。そう思ったほうが多少は思い出が美化されるからだ。
当時の彼女と僕がどうなったかというと――どうにもならなかった。どこにも着地せず、何の結末も迎えなかった。そういう意味では、何もなかったとこにしてしまえば楽なのかもしれない。
ただ思うことは、僕がもっと強くあれたらまた違った結末があったのかもしれない、ということだ。
「那智くん、ずいぶん懐かれてるのね」
話題を変えるようにして、司先輩がどう言う。僕がかぶっている猫……じゃなくて、僕の頭に覆いかぶさっている猫のことだ。
「そうですかね?」
こいつが何を考えているか、ぜんぜんわかりませんけどね。僕をバスかタクシーくらいに思ってるのかもしれないし。
「もしかして、女の子?」
「もしかしなくてもメスです」
「そ、そう……」
先輩は深刻な様子で何やら考え込む。
「三毛猫のオスは染色体異常が起きないと発生しないらしいですから」
それでも生まれるんだから遺伝子の神秘だ。
「ねぇ。今いくつ?」
「生まれて1年ってとこでしょうから、人間で言うと17歳くらいですね」
「わ、若いわね……」
「そりゃそうでしょう」
1歳だし。
「なんかこの猫、わたしの顔に向かって尻尾を振ってくるんですけど。バカにしてるのかしら?」
「本当ですか? ダメだぞ。そんな悪戯したら」
ぽむぽむ、とまた叩く。
「那智くんに言われたらすぐにやめる辺り、妙に腹が立つわね」
「な゛ー」
初めて鳴いた。
「ちょっとあなたっ。いつまで那智くんの上に乗ってる気っ!? 下りて自分で歩きなさい!」
そして、なぜか先輩がキレた。
猫に本気で腹を立てる司先輩のメンタリティっていったい……
目の前に目的地が見えたけど、頭の上の三毛猫はまだ下りる気はないようだった。




