第5話 嘘本当/本当嘘
何でこんなことになったんだろうと、本気で思う。
四月に聖嶺学園高校に入学してから、僕には憧れている先輩がいた。片瀬司という名のその先輩は聖嶺一の美少女と噂で、実際に間近で見ると本当に人形のようにかわいらしい人だった。
だけど、所詮、憧れは憧れ。
先輩は触れることの叶わない高嶺の花で、
僕の高校生活には何の関係もない人だと思っていた。
なのに――、
-+-+- 第5話 「嘘本当/本当嘘」 -+-+-
その片瀬先輩が僕の横にいる。
何でこんなことになったんだろうと、何度も思う。
僕たちは、今、ファーストフードショップにきていた。昼食時で店内は混んでいて、二階の窓際に設置されたカウンタのような席に並んで座っている。目の前は全面ガラス張り。眼下には往来を行き来する人の姿がよく見える。
そこでハンバーガなどを頬張っていたりするわけだ。
「やっぱり那智くんは小さくても男の子よね。そんな大きなハンバーガ食べられるなんて」
面と向かって小さいって言っちゃいますか。
まあ、確かに身体は小さいが食欲はあるので、僕は店でいちばん大きなハンバーガを食べている。反対に片瀬先輩が頼んだのはいちばん小さなやつだ。
「ほら、那智くん、こぼしてる」
「んお?」
言われてやっと気づいた。本当だ。ズボンのとこにパンくずがこぼれてる。僕は慌ててそれを払い落とした。幸いソースなんかはこぼれてなくて、先輩に買ってもらった服が汚れるようなことはなかった。
だいたいこのハンバーガ、パンとビーフが二層になっていて、日本人向けのサイズのじゃないんだ。食べ方がどうしても豪快、且つ、乱雑になる。小さなハンバーガを小さな口で上品に食べている先輩と大違いだ。
やがて僕は巨大バーガーを食べ終わったが、先輩はまだ三分の一ほど残っていた。
「ポテト、食べる?」
ジュースをストローで吸っている僕に先輩が訊いてきた。先輩はバーガショップお決まりの三点セットを注文していたが、僕は巨大バーガとジュースだけだった。
「いいです。もうお腹いっぱいなんで」
「そう?」
納得していないような先輩の返事。
今の僕ってそんなにまだ食べ足りないような顔をしてるんだろうか――そんなことを考えてると目の前に、すっと先輩の手が伸びてきた。その指にはポテトが一本。
「ホントに? ホントにいらない? 食べちゃっていいのかな~? ほらほら~」
「……」
目の前でポテトが揺れ、それがゆっくりと口のほうに寄ってくる。
「……はむっ」
「きゃあ、釣れた釣れた~」
ポテトに食らいついた僕を見て大喜びする先輩。
(釣られてしまった……)
先輩って何でこんな子どもっぽいことが好きなんだろう? 先輩のことを聞いて回ったときにはそんな情報はなかったけどな。一夜が言うように三年生の人からも話を聞いておいたほうがよかったのかも。
「那智くんにあげるね。ぜんぶ食べていいよ」
「……いただきます」
先輩がポテトをトレイに置いてくれたので、僕はそれを遠慮なく貰うことにした。
「ごちそうさま。……さぁて、次はどこに行こうか? 那智くんはどこか行きたいところある?」
ようやく食べ終えた先輩が訊いてきた。
「いえ、僕のほうは特に。先輩は?」
「わたし? そうねぇ、候補としてはゲームセンタにカラオケ、あと、最近行ってなかったからボーリングとかも行きたいかな?」
指折り数えながら候補を並べていく。
「意外と普通なんですね」
「うん、普通よ」
先輩はさも当然のように言った。
「わたしのこと何だと思ってたの?」
「何って……」
なんだろう……?
先輩は僕の憧れで、
聖嶺一の美少女。
でも、
今、僕の隣にいて、
みんなが遊びに行くようなところに遊びに行こうとしてる。
(ああ、そうか……)
僕は片瀬先輩を『片瀬先輩』としか見てなかったんだ――。
聖嶺一の美少女、学園のアイドルと呼ばれる片瀬先輩を、僕は心の中で偶像化し、近寄りがたい存在だと思っていた。
だけど――
何てことはない。
実際は僕と同じ高校に通う先輩で、ふたつ年上の女の子。ファーストフードで昼食を取るし、ゲームセンタにも行く。普通の女子校生なんだ。
僕は何だか嬉しかった。
そのとき、ふと先輩が言った。
「やっと笑った」
「え?」
「今、那智くん、笑ってた」
どうやら僕は嬉しくて、顔から笑みがこぼれていたらしい。
「心配してたの。那智くん、わたしの前ではぜんぜん笑わないから」
そして、
いきなり、大人の顔で先輩は言う。
「近くで見る那智くんの笑顔、とても素敵よ」
「……」
あー、えっと……
先輩が特別な人じゃないとわかっても、真正面から見つめられてこんなことを言われるとどきどきするわけで。
(ホント、心臓に悪いなあ)
それから、僕らは遊び回った。
ゲームセンタにも行ったし、先輩がやりたいと言っていたボーリングにも行った。カラオケは時間の都合でまた今度ということになった。
……また今度?
「次はね、洋菓子のお店。那智くん、ケーキとかは大丈夫?」
歩きながら先輩が次なる目的地について語る。
「ぜんぜん大丈夫です。甘いものはけっこう好きですから」
「そう、よかった。男の子だからそういうのはダメかと思った。そこはわたしのオススメ。この辺りにくると必ず行ってるかもしれないわね」
自分で言っていて恥ずかしかったのか、先輩は照れたように笑った。
「ああ、それが目的だったんですね。今日の待ち合わせをここにしたのは」
ちょっと茶化すように言ってみた。
最初から変だと思っていたんだ。待ち合わせをするにしては、家から一時間以上というのは遠すぎる。もっと近くでもよかったはずなのに。
「え? あ、うん、そう。そうなのっ」
「……?」
見事な狼狽っぷりだ。何を慌ててるんだろう?
「先輩? ……わあ!?」
突然、僕がかぶっていたキャップが先輩の手で思いっきり下げられた。ツバが視界の半分を塞いでいる。
「何を――」
「上げちゃダメ」
僕の言葉を遮るように先輩が言い、僕は手を止めた。
いったい何事かと思ったそのとき――
「あっれー、司じゃない!?」
前方から女の子の声が聞こえた。目深に下げられたキャップを上げられないため、僕は顎を上げて前を覗き見た。
そこにいたのは、どこかで見たような覚えのある二人組の女の子だった。僕の記憶に間違いがなければ、確か片瀬先輩の友達だったはず。
「何やってるの、こんなところで」
「うん、ちょっとね」
曖昧な返事で誤魔化す先輩。
「ん? 後ろの子は?」
が、ひとりが目ざとく僕を見つけた。まあ、先輩の斜め後ろにいるだけで、隠れてるわけじゃないし。
「ふふん♪ わたしたち、どう見える?」
質問に対して質問で応えるのはいけないと思います。
「もしかして、彼氏……なわけないか。かなり年下っぽいもんね」
「あら、そうよ。今、つき合ってる子」
なぬっ!?
何をあっけらかんととんでもないことを言いますか。
「シンヤくんって名前でね。年下も年下、まだ中学三年なんだから」
だんだん意図がわからなくなってきた。おそらく嘘で逃げ切ろうとしているのだろう。辛うじてそれだけはわかる。
「うそぉ!?」
「とうとう司が!?」
口々に驚く二人組。この反応からして、片瀬先輩に特定の男がいないという情報は真実のようだ。
「ほら、シンヤくん、挨拶は?」
「あ、はい」
ここは話を合わせておくのがベストだろう。
「南第二中のアイバ・シンヤです。どうも」
かと言って、あまり喋るとボロが出そうだ。自然、口数も少なくなるし、キャップを上げて顔を見せることもできない。今の僕はさぞかし無愛想な奴だろう。
と――、
「あー、いたいた。人に買いにいかせておいて、なに勝手に移動してんのよ」
さらに別の人物の声が聞こえた。
声は女の子のものだけど、話し方がえらくサバサバしている。気になって顔を上げると、器用にソフトクリームを三本持った女の子が近づいてくるところだった。
(あ……)
こっちは二人組以上に見覚えがあった。この前、体育館で一夜に声をかけていた上級生だ。
そのとき、僕の横で微かに「くはぁ」という、ため息にも似たうめき声が聞こえてきた。片瀬先輩のものだ。
「じゃ、じゃあ、わたしたち、もう行くわ。……行きましょ、那……じゃなかった、シンヤくん」
そう言うと先輩は僕の手を掴んで、その場から逃げるように歩き出す。その様子は明らかに動揺していた。
「危険人物……ですか?」
「そう。危険人物」
件の洋菓子の店に入り、陽当たりのよい窓際のテーブルに通されるなり先輩が「彼女は危険人物よ」と言った。彼女というのは、先ほど、ソフトクリームを持って現れた人物のことらしい。
「四方堂円。奇しくも小学校五、六年から中学の三年間までずっと同じクラスだった親友よ。わたしが美術科、あの子が体育科で入学したから聖嶺に入ってからは、当然別のクラスだけどね」
体育科か。
言われてみればそんな感じだった。身体つきがスラッとしていて、しなやかな印象を受けた。
「親友なのに危険人物なんですか?」
「親友だから、よ」
わかるようなわからないような表現だ――そう思っていると、店員が注文したものを持ってきた。先輩がカプチーノとティラミス、僕はエスプレッソとモンブランだ。
まずは喉を潤そうとテーブルにあるスティックシュガーを手に取る。向かいでは先輩がこの店のことをいろいろ話していて、それを聞きながら砂糖を次々と放り込む。
「ねえ、那智くん?」
ふと先輩が僕の名を呼んだ。
「はい?」
「それで三本目なんだけど?」
僕はスティックシュガーの封を切ったところで手を止めた。
「ダメですか?」
「ううん、ダメじゃないけど……、ものすごいことにならない?」
「僕、これくらい入れないと飲めないんですよ。やっぱり高校生だからコーヒーくらい飲めないといけない気もするし」
「無理することないのに」
そう言って先輩は可笑しそうに笑った。
「……先輩はティラミス、好きなんですか?」
何だか形勢が不利になってきたので、僕は話題を変えることにした。
「ええ、好きよ。今どきって思うでしょ? 最初に食べたのがブームの真っ最中だったんだけど、今でも変わらずずっと好きね」
それで先輩はティラミスを注文したのか。僕のほうは、ただ単に店オリジナルのデコラティブで洒落たお菓子を見てもピンとこなかったから、オーソドックスなモンブランを頼んだだけなんだけど。
それから少しの間、僕たちは黙ってケーキを味わった。
片瀬先輩がカップを口に運ぶ動作はとても優雅で、僕はしばらく見とれていた。先輩が時折見せる大人の仕草が、どうしようもなく僕を魅了する。だけど、今の先輩は何か考えごとをしているようで、僕の無遠慮な視線には気がついていない様子だった。
前触れもなく――、
「ホントはね、違うの」
先輩が口を開いた。
「え?」
「会う場所をこんなところにした理由。さっきはこのお店にきたかったからって言ったけど、あれは嘘。本当は那智くんと会ってるところを誰にも見られたくなかったからなの」
「………」
そう言えば、以前に僕を学校で無視したときも同じ理由からだったな。普段から何かと注目される人だから、妙な噂が立つとさらにやりにくくなるんだろうな。
「それなのに、まさか友達と会っちゃうなんて、ホント、ツイてないわ」
本当のことを白状して気が楽になったのだろうか、先輩は力の抜けた様子で、口をへの字に曲げて言った。
「だからあんな嘘を?」
僕は先輩が友達相手にしれっと吐いたさっきの嘘を思い出していた。
「うん」
「にしては、豪快な嘘でしたね」
「隠しごとをするときはね、嘘にホントのことを混ぜて、いちばん隠したいことを埋もれさせるのが巧いやり方なのよ」
と、無邪気な悪戯っ子の笑顔で、先輩は笑った。
そのまま僕を見つめてくるが、そんな先輩の表情に何度も痛い目に遭わされている僕は、その視線から逃れるように顔を逸らした。ていうか、どんな表情だろうと先輩の視線に耐えられるほど、僕は図太くできていない。
ガラスの壁一枚隔てた表の通りへ目を向ける。
「先輩? どうやら今日はいよいよツイてないみたいです」
「なあに? どういうこと?」
先輩が聞き返してくる。
「僕の友人がいました」
我が友人、遠矢一夜がいたのだ。
表通りをひとり歩いている。今の一夜は、薄い水色のレンズをつけたプライベート用の眼鏡をかけていて、相変わらずの知的美少年ぶりにクールさ三割増だ。
幸いにして僕たちに気づいた様子はなく、通り過ぎようとしている。
「あれって遠矢くん?」
先輩も僕と同じ方向に目を向けている。
「知ってるんですか、一夜のこと」
「あら、有名よ。三年生の間では一番人気だもの」
「一番人気? 何です、それ?」
今度は僕が聞き返す番だった。先輩のほうを見ると、先輩はまだ一夜を目で追っていた。
「言葉のままよ。新入生の人気ランキング・ナンバー1」
「そんなのあるんですか!?」
ちょっと呆れたが、同時にわからないでもない話だと思った。僕らの間で言っている『聖嶺一の美少女』だって、それと同じようなものだ。結局、どこも似たり寄ったりの話題で盛り上がってるってことなのだろう。そして、あの一夜が一番人気だというのも十分に納得できた。
僕は純粋な興味で訊いてみる。
「ちなみに二番って誰なんですか?」
ぴたり――と先輩の動きが止まった。
「……さあ? 知らないわ。わたし、そういうの興味ないから」
一気に氷点下まで冷めた口調で先輩は言う。そして、もうこれ以上喋らないという意思表示のように、カップを口に運んでその口を閉じた。
気まずい沈黙。
外に目を向けると、一夜の姿がもう小さくなってしまっていた。最後まで僕たちには気づかなかったようだ。僕としてはちょっと寂しい。せっかくこんなところで見かけたのだから、声くらいかけたかったのだけど。
丁度、一夜の背中が人混みに消えたところで、先輩が口を開いた。
「三年の何人かが交際を申し込んで断られたらしいわ」
「え? ……ああ、一夜のことですか」
一瞬何のことかわからなくて反応が遅れた、
「へえ、そうなんですか。ぜんぜん知りませんでした」
所謂ひとつの撃墜ってやつ?
何だよ、あいつ、自分は縁がないみたいな顔して、僕の知らないところでそんなことしてたのか。
「那智くんは?」
「何がです?」
「女の子からの告白。あるんでしょ?」
「う~ん。残念ながら」
「ええっ!?」
先輩はえらく盛大に驚いた。そりゃあもう、こっちがびっくりするくらいに。
「そんなに驚くことですか?」
「変ねぇ……」
何が変なんだか。
先輩は指で顎をつまんだまま、テーブルの上のカップに視線を落として考え込んでしまった。いったい僕には何がなんだか。
仕方ないので、僕は本当のことを言うことにした。
「正直、中学の頃は何度かありましたよ、そういうの」
「あ、やっぱり? そうだと思った」
「でも、高校に入ってからは一度も。まあ、そんなものないにこしたことないんですけどね」
「どうして?」
「好きでもない人から打ち明けられても、ね。しかも、たいてい僕の知らない人だったりするし。結局は断る以外ないわけでしょ。それで相手に辛そうな顔されたらもう最悪。何だか悪いことした気になっちゃいます」
僕がそう言うと、先輩は「那智くんらしいわ」とくすくす笑った。
「じゃあさ、告白してきた子がかわいくて一目惚れってパターンは?」
興味津々といった様子で、先輩はさらに質問を投げかけてくる。
「ないですね。そう言う先輩は?」
「わたし? そうねえ、ある……、かな? 相手は噂でだけ聞いていた男の子で、実際に会ったらすごく格好よかったの」
最初に惹かれたのは容姿なわけか。
「それから気になってその子のことを見てたら、いろんなことがわかってきた。笑顔がかわいいとか、何かに打ち込んでるときの一生懸命な顔が素敵だとか、ね。もっともっと彼のことを知りたいと思った。ちょっと変則的だけど、これも一目惚れかな」
まあ、カテゴリ的には同じフォルダに振り分けてもよさそうだ。
「それで? 結果はどうなったんですか?」
「さあ? ないしょ」
「うわ、なにそれ。せめて先輩が好きになった相手だけでも。どんな人だったんですか? 同じ学年? それとも、上級生? それっていつ頃の話なんですか?」
「知らな~い」
そう言って先輩は微笑む。素っ惚ける気満々だ。
「気になる?」
「なります」
「ふうん。でも、教えてあげませ~ん」
「むう……」
ずるいよな。そこまで聞いたら気になって当然じゃないか。
「あれ? もしかして怒った?」
「……別に。これくらいで怒るほど狭量じゃないつもりです」
「ほら、ティラミスあげるから機嫌なおして」
先輩はティラミスの最後のひと口をフォークに乗せて僕に差し出してきた。つーか、それやめれ。
「美味しいよぉ?」
「……はむっ」
僕、ダメすぎ……。
「今から帰ったら丁度いいかな」
店を出るともう陽が傾きはじめていた。なにせここから我が家まで一時間以上もかかる。たぶん、家に着く頃には真っ暗になっていることだろう。
「今日は楽しかったわ。いろんな那智くんが見れたし。……那智くんは?」
「僕もです」
僕も遠くから見てるだけではわからない先輩を見ることができた。
「そう。それはよかった。……だからね、もう遊んでもらえないからって拗ねたらダメよ?」
「だっ、誰が拗ねたんですか、誰がっ!?」
そういう子ども扱いは心外なので激しく抗議させてもらおう。
「おや~?」
だけど、先輩はにっこり笑って僕の顔を覗き込んでくる。この笑いは僕の苦手なあの笑いだ。……ものすごく嫌な予感がする。
「『かまってくれない先輩が――』」
「おっしゃる通りです。拗ねてました。僕が悪かったです」
本当にやな人だな。
「正直でよろしい。……いい? 今日のことは秘密よ?」
「そうですね。そのほうがいいと思います」
先輩には先輩の事情がある。
だから、秘密。
……変な関係だな。
でも、ちょっと面白いかもしれない。




