〃 学園祭サイドストーリィズ 5-6
5.後宮紗弥加
聖嶺学園の学園祭にきた後宮紗弥加は、いきなり当てが外れて困っていた。
まず最初に千秋那智を捕まえようと思ったのだが、図らずも校門で真っ先に会った那智は、何やら知り合いを待っている様子だった。那智がいればいろいろとカムフラージュになると考えていたのに、すっかり予定が狂ってしまった。
ここで煙草を取り出したら、那智は飛んでくるだろうか……。
それは楽しい想像ではあるが、残念ながら彼はスーパーマンではない。飛んでくるのはこの学園の先生くらいなものだろう。
『かわいい弟の立場が悪くなるようなことはせんて』
そう言った手前、あまり迂闊なことはできない。もうひと箱持っている煙草は、絶対に見つからないようにバッグの奥深くに突っ込んでおいた。
弟――。
そう。千秋那智は紗弥加の弟である。例え血が繋がっていなくても姉弟なのである。那智に言わせると「兄も姉も弟妹もたくさんいる」ということになるらしいが、紗弥加にとって兄弟姉妹と呼べるのは那智ひとりだと思っていた。
尤も、紗弥加は那智に姉らしいことをしたことはなく、どちらかというと弟であるところの那智に素行を注意されてばかりではあるが。
「ま、いないやつを当てにしてもしゃーねー」
女の子らしさの欠片もない口調で紗弥加はつぶやいた。
気を取り直して、と言いたいところだが、実はこの学園に入ってからかれこれ二時間近くうろうろしているのである。
別に目的の場所がわからないわけではない。
入り口で招待券を見せたときに模擬店の配置図も載せられたプラグラムをもらっているので迷うことはない。むしろその逆で、行くのを躊躇っている節がある。
中庭の出店やグラウンドのソフトボール大会を見て、校舎に入ってからは古本市を覗いて、お化け屋敷の呼び込みを張り倒し、素面では着られないようなユニフォームの喫茶店も見つけた。
が、もうそろそろ飽きてきた。
(まぁ、俺が行くって言ったんだしな。……って、あれ? あいつがこいって言ったんだっけか?)
事ここに至る経緯の記憶が曖昧になっているらしい。紗弥加は頭を掻いた。
「ま、どーでもいいか」
そうして辿り着いたのは、入り口に『手作りケーキの店』と描かれた教室だった。装飾は他と一線を画していて、かなり凝っている。扉の横には大きな板に写真入りのメニューが貼られ、立て掛けられている。どれも食欲をそそるきれいな写真だ。
その中でひときわ目立つものがあった。
「ふうん。『10組スペシャル』、ねぇ……」
おそらくいちばんの目玉なのだろうが、捻りのない名前である。
「あ、すみません。今、それ出せないんです」
と、そこに案内係らしい女子生徒が声をかけてきた。紗弥加が『10組スペシャル』なるケーキに注目していたのに気づいたのだろう。
「はぁ?」
「す、すみません。それ作れる子がさっき逃げちゃって……。本当にごめんなさい!」
紗弥加が思わず大きな声を出したせいでその女子生徒は恐縮し、謝罪の言葉を連発した。ちょっと悪いことをしたなと思う。
しかし――、
(あんだと? 逃げただぁ!?)
紗弥加はもっと早くこなかった自分を棚に上げて、心の中で毒づいた。
かくして、非は全面的に向こうにあることになった。
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6.片瀬司
それは片瀬司がクラスの模擬店である『手作りケーキの店』にいたときに起こった。
「片瀬さん、どうしよう~」
司はいきなりクラスメイトの女の子に泣きつかれた。
「な、なに!? どうしたの!?」
「う、うん、あのね。さっき香椎君が逃げちゃったでしょ? だからスペシャルケーキは出せないって言ったら、お客さんが怒っちゃって……」
「そんなことわたしに言われても困るんだけどね。……で、どんな人? 怖そう?」
「うん。同い年くらいだと思うけど、ちょっと怖そう……」
そう言ってクラスメイトは、自分は見ないようにして指で入り口を指し示した。司はゆっくりとそちらの方を見た。
「あれは……」
扉を取り外した入り口の向こうに、ひと晩中繁華街で遊び回っていそうな感じの、赤毛のショートカットの少女が立っていた。何やらぶつぶつと独り言のように文句を言い、周りにピリピリとした空気を撒き散らしている。
「ああ、あれなら大丈夫。怖くないわ」
司はさらりとそう言った。
「ちょっと行ってくる」
「き、気をつけてね」
「大丈夫よ。まかせて」
司はクラスメイトの心配の声を背中で聞きながら、赤毛の少女に近づいた。
「あら、後宮さん。こんなところで会うなんて奇遇ね」
その少女は後宮紗弥加だった。
司は紗弥加に幾分かの敵意を込めて声をかけた。
「……げ。片瀬。何でお前がここにいるんだよ?」
紗弥加は心底驚いたように反応した。
「失礼ね。ここは美術科。わたしのクラスです」
「くそ。マジかよ……」
今度は消え入りそうな声で紗弥加はつぶやいた。そのまま誰に対してなのか、またぶつぶつと文句を呪文のように唱える。
「でも、意外だわ。あなたがケーキが食べられないくらいで怒って暴れるなんて」
「おい、ちょっと待て。いつ、誰が暴れたよ?」
もちろん司の悪意ある誇張だ。
「煙草やお酒なら兎も角――」
「黙れよ。迂闊なこと言って那智の立場が悪くなったらどうするんだよ」
司の言葉を遮るように紗弥加が言い、そして、睨む。
「ご、ごめんなさい……」
掌で口を覆って司が謝った。
紗弥加は一喝されてしゅんとなっている司に顔を寄せた。
「だいたい、酒っつったらお前だって一緒だろーがよ。ほら、期末テストのとき。あの後、酔った勢いであいつを押し倒すくらいのことはしたんだろ?」
「……」
「ここで黙んのかよ!」
「し、してないわよ、そんなこと!」
司は慌てて否定した。
実は、押し倒したような、押し倒されたような、どっちだったのか。それとも夢だったのか、記憶が曖昧なのだ。
(いつの間にか那智くんのベッドで寝ているわ、朝起きたら名前で呼ばれるわで、もうびっくりだったわ……)
ふたりの間に妙な空気が流れる。
「しかし、あれだな。ここはフツーに、制服にエプロンなんだな」
先に紗弥加が口を開いた。
「ここくる途中で見た、家庭科部だったっけ? あそこのウェイトレスはすごい格好だったぜ? お前、あんなの着ないのかよ?」
「着るわけないでしょ」
司はあっさりと一蹴した。
「なんだ。那智が喜ぶのに」
「え? そうなの?」
那智の名前に反応し、司は思考する。
(那智くん、そういうの好きなんだ。やっぱりカノジョとしては希望に応えてあげた方がいいのかしら?
……。
別に、い、いやらしいことの導入部に使うわけじゃないし、着て見せてあげるだけならいいわよね、うん)
と――、
「嘘だから本気にすんなよ」
「な……っ。あ、あ、あ、あなたねぇ……」
かなり真面目に考えたのに、と司は握り拳を固めた。顔が熱いのは、きっと怒っているからだけではないだろう。
「でさ――なに? 職人ひとり逃げたの?」
「そういえば話はそこだったわね。……ええ、そうなの。香椎君っていう子なんだけどね。彼、お菓子作りが趣味で、すごく上手いの。だからいろいろお願いしていたんだけど、さっき逃げちゃったのよ……」
「バカほど押しつけるからだろ。反省しろ、反省」
「あなたに言われなくてもわかってます。……で、どうするの? スペシャルケーキは無理だけど、他のものなら出せるわよ? 寄っていく?」
「いんや。また後でくるわ。……んじゃな」
しかし、紗弥加はそう言って踵を返し、背中越しに手を振りながら去っていった。
「なによ、あれ。結局、食べたいんじゃない」
司は腰に手を当て、わけのわからない紗弥加を、ふくれっ面で見送った。
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