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第5話 不穏な空気

 暦はついに9月。

 夏休みは終わり、学校は二学期に突入した。

 二学期は下旬に学園祭があり、その準備が徐々にはじまっているせいか、毎日が何だかざわついている。

 そして、そんな雰囲気の中、今日も僕は教室のドアを挨拶とともにくぐる。

「おはよー」

「チェストーッ!」

 僕を迎えてくれたのは回し蹴りだった。

 うむ、出迎えご苦労。

「って、何だっ!?」

 咄嗟にブロックしたからいいようなものの、こんなデンジャラスな朝は初めてだ。あと、腕が痛い。

 何ごとかと見るとクラスメイトのひとりが勝ち誇ったような顔で立っていた。

「なにやってんだ、トモダチ」

「今の俺はトモダチではない。人蹴りだ」

「それは凄いな。とりあえずは保健室へ行け」

 ていうか、保健室の先生も迷惑だから体育教官室へ行ってこい。

 わけわからんわ。

 世の中、前に日に見たドラマや時代劇に影響される奴がいるけど、こいつはきっとその類なのだろうな。

「では、俺は次の獲物を求めて辻蹴りにいってくる」

 って言いながら、やってることは教室の入り口での待ち伏せなのな。こんなのにつき合っていても仕方ないので僕は席に着くことにした。

 そこで、ガラリ、とドアが開く。

 入ってきたのは宮里晶(通称サトちゃん)だった。

「チェストーッ!」

 って、男女無差別かよ。

 しかし、赤いゾウの女は即座に反応すると制鞄で回し蹴りをガードした。

「何すんのよ!?」

「おぶっ」

 そして、そのまま制鞄による大振りの一撃を横っ面に叩き込んだ。傷みに顔を押さえてのたうち回る人蹴り。

 まあ、相手が宮里じゃ反撃も当然か。

 とどめとばかりに宮里に踏んづけられた人蹴りだったが、次の犠牲者を求めて不屈の根性で立ち上がる。

 次に入ってきたのは居内さんだった。

「ちょっ、ちょっと待て。友え……」

 さすがにそれは不味いだろうと止めに入る。さっきは宮里だからまだ冗談ですんだようなものの、居内さんを相手にそれは洒落になっていない。

 が、間に合わなかった。

「チェス……ごばあっ!」

「ぇ……?」

 人蹴りがくの字になって吹っ飛んだ――。

「あー、えっと……」

 言葉が見つからない。

 僕の目が正しければ、回し蹴りが到達する前に居内さんが後ろ回し蹴りを撃ち込んだように見えたんですが。

「……」

 とりあえず、見なかったことにしよう。

「お、おはよう。居内さん」

 僕の挨拶に無口な彼女は頷いて応えた。

 しかし、あれだ。制服のスカートが淡いブルーのチェックだから、その下が同じくブルーのボーダー柄だとよく合うなあ。

 

 

 

-+-+- 第5話 「不穏な空気」 -+-+-

 

 

 

 朝のショートホームルームのとき、学園祭実行委員から招待状三枚が配られた。表面にはセンスよくデザインされた『聖嶺祭』のロゴが印刷されている。

「チケットの追加は申請さえすれば可能ですので、必要な人は早めに言って下さい。なお、人に配る際は必ず自分の名前を書くこと。記入がないチケットでは入れませんので注意して下さい」

 裏面を見ると生徒氏名の欄がある。

 つまり、学校側としては来訪者が学園内で問題を起こしたとき、それが誰の知り合いかわかるようにしたいわけだ。

「クラスの催しものは多数決で決めますので、今日、帰るまで僕の方に希望を言いにきて下さい」

 教壇の実行委員は丁寧にひとつひとつ連絡事項を伝えていく。

「それから学園祭では球技大会も行われます。クラス単位での自由参加ですが、学園祭を余すことなく楽しむため、我がクラスも参加したいと思っています」

「しつもーん。競技は何ですかー?」

「ソフトボールです。男女混合ですので、男子女子関係なく参加できます。クラスを代表して頑張ってやろうと思う人は、これまた僕の方まで申し出て下さい」

 ソフトボールか。バスケなら張り切って出るんだけどな。ソフトボールはあまりやったことないし。大人しく応援に回るかな。

「なお、千秋と宮里、それと足は速いけどバテるのも早いバカの三人は問答無用で参加してもらいますので、そのつもりで」

「「「なぜ!?」」」

 因みに、足は速いけどバテるのも速いというのは、今朝の人蹴りのことである。

 

 

 

 放課後――、

 本日は水曜日。七時間授業が常の特進クラスにあっては唯一六時間授業の日(土曜は三時間)。要するに、美術科や体育科と授業終了が同じになる。

 だから、一夜とこうして昇降口で美術科や体育科の先輩を待っているわけなんだけど。

「こないねえ、一夜」

「そうやな」

 ふたりそろって待っていろとメールで言ってきたのは円先輩のほうなのに、その先輩方は一向にくる気配がない。

「まあ、時間を決めてるわけじゃないけどね」

「そうやな」

「……」

 一夜はいいよな。常時、文庫本を携帯しているから時間を持て余すことがなくて。

 そう思いながら少し恨みがましい目で睨んでいると、その一夜が、ぱたん、と本を閉じた。そして、僕を見て言う。

「那智、ひとつ訊いていいか?」

「うん?」

「さっきからお前の横におるそれは何や?」

「それ?」

 僕が聞き返すと、一夜は少し視線を移動させた。僕もそれにつられるようにして、隣を見た。

「あや~。見つかってしまいましたか~」

「わあっ」

 いつの間にか僕の横に宇佐美の奈っちゃんが立っていた。

「宇佐美としてはですね、こう、お兄様がいつテレパシィをキャッチして宇佐美に気づいてくれるかと楽しみにしていたんですが、そちらの先パイに先に気づかれてしまうとは……。とても残念です、はい」

 奈っちゃんは掌を頬に当て、項垂れるようにしてため息を吐いた。

「いや、そんな回りくどいのかショートカットしようとしてるのかわからないことするくらいなら、フツーに声をかけたほうがよくないか? それと、お兄様って誰だよ」

「うん。それはアタシも聞きたい」

「ぶっ」

 割って入ってきたのは円先輩だった。隣には司先輩もいる。

 人をさんざん待たせたくせに、こんなややこしいのがいるときに限ってなんで現れるのだろうな。

「それはですねー、宇佐美とお兄様は実は血の繋がらない兄妹でして……」

 そんな僕の心配をよそに奈っちゃんは説明をはじめる。

「ねえよっ」

「おや。ダメですか?」

「ダメっつーか、勝手な設定を捏造するなって話だ。兎に角、お兄様禁止な」

 とりあえず釘を刺しておく。これ以上連呼されても困るし。

 妙な誤解をされてやしないかと司先輩を見ると、先輩は心ここにあらずといった浮かない顔をしていた。

「先輩?」

「……え? ええ、何かしら?」

 司先輩ははっと我に返って返事をした。

「誤解しないで下さいね?」

「ええ、大丈夫よ。そんな冗談を真に受けるほど信じやすい質じゃないもの」

 そう言ってにっこり笑う。

 が、それもすぐに消えてしまい、その表情に陰が落ちた。

「なっち先輩!」

 僕を自分の方に向かせるためか、奈っちゃんが殊更大きな声で僕を呼んだ。

「なっち言うな!」

「じゃ、那智くん先輩?」

「……キミ、僕を年上だと思ってないんじゃないか?」

 この娘と話してると頭痛くなるな。

「先輩って、今、いくつですか?」

 突然、奈っちゃんが思いついたように訊いてくる。

「年? 十五だけど?」

「だったら、宇佐美と一緒ですよー。宇佐美、もう誕生日過ぎましたから。同い年ですよ、同い年♪ なんだー。那智くんでもいいんじゃないですかー」

「うるさいわっ。僕のほうが学年は上なの。だから、先輩と呼ぶのっ。いいねっ?」

 何かもうむちゃくちゃ強引なこと言っている上、言い争いのレベルが奈っちゃんのところまで落ちている気がするな。

「それで? 今日は何しにきたわけ?」

「そうそう、それですよっ」

 どれだ?

「ほら、前に約束した学園祭の招待状を頂きにきたんですよー」

「ああ、あれね」

 確かに約束したな。

 今、すっごくあげたくない気分なんだけどね。

「やたらとタイミングいいな。今日もらったばかりだよ」

「やたー。ばっちりですねっ」

 そう言って喜びを表現すると、奈っちゃんは鞄を開ける僕の横で見えない尻尾を振り振り、今か今かと待っている。

「なあに、なっち、その子にチケットあげる約束したの?」

 円先輩が詰問めいた問いを投げかけてきた。

「ええ、ちょっとした成りゆきで」

「ふうん。それをあげるってことはその子を案内したりするんでしょうけど……アンタ、司のこと忘れるんじゃないわよ?」

「あら、大丈夫よね、那智くん? 那智くんはそんなこと忘れたりしないわよね?」

 僕が円先輩に答えるよりも早く、司先輩が先に言ってきた。

「もちろんですよ。前に先輩が言ってたクラブの出しものだって、僕、楽しみにしてるんですよ」

「そう。でも、当日までは内緒よ?」

 と、司先輩は悪戯っぽく笑った。

 むう。やっぱりおしえてくれないのか。結局、学園祭当日まで答えに至ることのない思考を巡らせなければならないわけね。

 僕は鞄からチケットを取り出した。

 と、そのとき――、

「ごめん、那智くん。わたし、先に帰るわ」

「うぇ?」

 僕が素っ頓狂な声を上げたときには、司先輩はもう校門に向かって歩き出していた。

「え? ちょっと、先輩!? ……はい。じゃあ、これね」

 チケットに名前が書いてあることをさっと確認してから奈っちゃんに渡した。

 そして、先輩を追いかける。

「先輩」

 校門を出る前に追いつき、呼び止める。

 振り返った先輩は、先ほどと同じ浮かない顔をしていた。

「こっちから誘って、しかも、待たせておいて悪いんだけど、今日はやっぱりひとりで帰らせて」

「……」

「ごめんね」

 そう言って謝った先輩は微笑んでいたけれど、少し寂しげでもあった。

 一学期の終業式の日にも似たようなことがあったけど、あのときの先輩とは随分と雰囲気が違う。

 だから、僕はそれ以上先輩を追うことができなかった。

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