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第1話 復学初日

 久しぶりの登校。

 三日間の謹慎と五日間の停学。その間に2回の日曜日をまたいで、しめて十日間。大病を患ったことのない僕にとって、十日間も学校に行かなかったのは初めての経験だ。

 停学中、大量に出された課題をやりながら、しきりに会いたいと思っていた顔ぶれと今日ようやく会える。

 一夜にサトちゃん、円先輩。

 そして、片瀬先輩。

「……」

 あれ?

 片瀬先輩の顔を思い浮かべたら妙な不安が……

 

 

 

-+-+- 第1話 「復学初日」 -+-+-

 

 

 

「もしかして、僕、ちょっと浮き気味?」

 駅を降りて学校が近づいてくるにつれて、僕はそう思った。

 というのは、久しぶりに登校だからというわけではなく、どうやら僕が停学になっている間に制服が冬服から夏服への移行期間に入ったらしく、日差しもきつくなってきた六月の初旬に、僕のようにブレザーをしっかり着込んでいる生徒はごく希だった。

(僕には連絡なしかよ……)

 まあ、だいたいの生徒は半袖か長袖のカッタシャツ姿ってだけで、冬服もまるっきりいないわけじゃないからいいんだけど。

 少し場違いな思いをしながら僕が学校へと向かった。

 

 そして、教室――

「おはよう、一夜……って、どうしたの、その腕!?」

 十日ぶりだけどいつも通り挨拶しようとしてびっくり。一夜は怪我をしたのか、左腕を大きな白い布で吊っていた。

「骨にヒビが入っただけや。気にすんな」

 それ以外は相変わらずだった。一夜は席について文庫本を読んでいる。それも夢中になるという感じではなくて、面白くなさそうにだ。

「骨にヒビ~? いったい何してたのさ? 人間ピラミッド失敗?」

「何でやねん」

 静かな声で一蹴すると、一夜はようやく顔を上げた。

「ちょっとウザいのがおってな。……ケンカ」

「嘘っ!?」

 一夜の思いがけない言葉に思わず驚きの声を上げた。

「ダメだぞ、喧嘩なんて。危ないぞ?」

「お前が言うな」

「いや、まあ、そうだけどさ。僕と比べたらインドア派なんだし、一夜は」

「そう見えるか?」

「見える。僕が見る一夜の六割は本を読んでる姿だし。少なくとも武闘派じゃないでしょ?」

「……そういうことにしとこか」

 そう言った一夜が微かに笑った――気がした。今見たものは気のせいだろうか、と首を傾げてる僕に一夜が声をかけてくる。

「那智。ええ加減に座ったらどうや」

「ああ、うん。そうだね」

 一夜の異常事態に動揺していたのか、僕はまだ立ったままで、しかも、鞄すら置いてなかった。とりあえず鞄を置き、暑苦しいブレザーを脱いだ。

 と――、

 一夜が僕のことをじっと見ているのに気づいた。

「どしたの?」

「自分の精神状態の把握。もしくは、気持ちの整理ができているかの確認」

「何それ? 意味不明」

 それに直球勝負の一夜が多少なりとも婉曲な使うのは珍しいことだ。

「わからんでええ。もともとわかってもらうつもりなんかあらへんかったし」

 さらに意味不明。

 僕はイスに横向きに座ると、首を絞めるネクタイも外してしまった。

「ちっあきっ」

 と、そこに無駄に元気いっぱいな女の子の声。言うまでもなくクラスメイトの宮里晶(通称サトちゃん)だ。

「やっほい、サトちゃん。今日はお友達は?」

「友達?」

 聞き返しながら宮里は隣の席に座った。一度イスの上に乗ってから飛び降り、着地と同時にイスに腰掛ける。こんな必要以上にアクティブなエネルギィはいったいどこから供給されているのだろう。

「うん。緑のカエル」

「ああ、あれね。うちにあるわよ」

「あるのかよ!?」

「だって、お父さんが酔っぱらった勢いで持って帰ってきたんだもん。しょうがないじゃない」

 いや、そんなに口を尖らせて言わなくても。

 僕も冗談で言っただけなのに、まさかそう返されるとは思ってもみなかった。

「想像してみんさい? 玄関入ったら緑のカエルが笑顔で待ってるのよ? 見た瞬間に思わず吹き出して、その後ため息が出るわよ?」

「だろうね」

 そうか、玄関にあるんだ。早く帰してやろうよ。

「そんなことよりも、よ。千秋、何で停学になったりしたのよ」

「何でって……。尾崎先生から何も聞いてないの?」

「んにゃ、なんも。先々週の金曜だっけ? 千秋が午後からいなくなった日。あの日、先生、顔腫らしてたから、先生を殴って停学になったのかなってのが予想なんだけど」

「停学は当たり。詳しい事情は内緒」

「何よ、それ。いいじゃない。教えなさいよ」

 宮里はついにアグレッシブモードが発動したらしく、こちらに身を乗り出すようにして訊いてきた。

「まあ、そこはプライベートな問題ってことで。それに僕ひとりの話じゃないしね」

「まっ、いやらしいっ」

「いやらしいって何さ!? ああ、もう、うるさいな。ほら、予鈴が鳴ってる。早く席に戻りなよ。そこ、居内さんの席なんだから、居座って迷惑かけないの」

 教室のスピーカからチャイムの音が流れる中、僕はしっしっと宮里を追い払う。

「ふん、覚えてなさい」

「はいはい。覚えておくから早く薬局にお帰り、サトちゃん」

「人を赤いゾウみたいに言うなっ」

 今頃突っ込む宮里晶(通称サトちゃん)。

 宮里が席に戻っていくのとほぼ同時に担任の尾崎先生が入ってきた。先生は教壇に立つと教室をひと通り見回し、そして、僕の姿を見つけた。

「ああ、そうか、今日からだったな」

 見下したように鼻で笑う。

「これからはもう少し大人しくしていて欲しいものだな」

「……」

 うわ、先生、まだ根に持ってるみたい。

 先生は特に僕の返事を期待していたわけではなかったらしく、構わず出欠の確認をはじめた。

「那智」

 後ろから一夜が小声で言う。

「あいつ、シバいてこよか?」

「こらこら」

 一夜ってば武闘派だなあ。

 

 昼休み――、

 僕が後ろを向いて一夜の机で弁当を食べる。いつもなら一夜は、弁当を食べる、本を読む、僕と話をする、の三つの作業を同時進行させるのだけど、今は左腕を吊ってるので食事と読書は一緒にできない。結果、必然的に作業は食事と会話に限定される。まあ、それが普通と言えば普通なわけで。

 そんな珍しく普通な食事風景の中、突然、一夜がポケットからケータイを取り出した。ブンブン低いうなり声を上げながら自己主張しているので着信があったのだろう。器用に片手でそれを開き、ディスプレイを見た。途端、一夜のかたちのいい眉が歪んで眉間に皺を刻む。

 一瞬の硬直。

 たぶんそれが思考に要した時間なのだろう。次の瞬間には一夜は立て直したようだった。

「……もしもし」

 訂正。

 まだ微妙に不機嫌だ。

「……いや、特にはあれへんけど。……断る。……ああ、そういう理由やったら行ってもええか。……」

 相手が誰なのか知らないけど、ひどく投げやりな話し方だ。

 せっかくなのでこの隙に僕は一夜の弁当箱から若鶏の唐揚げを一個へちった。隣のだし巻き卵も色が綺麗で惹かれるものがある。

「ま、テキトーにそっちに向かうわ」

 それが締めの言葉だったらしく、一夜は通話を終えてケータイを閉じた。

「誰だったの?」

 唐揚げをもぎゅもぎゅと頬張りながら訊いてみる。……なかなか美味しい。

「丸いんか四角いんかようわからん先パイ」

 と、一夜。

 丸くて四角い? 何だ、それ? 咀嚼しながら考え、飲み込むと同時に答えに思い当たった。

「円先輩」

「今から那智と一緒に学食にこいとさ」

「ふうん、僕もねえ。何だろ?」

 思案を巡らせてみるが、円先輩が一夜を呼び出す理由が思いつかない。ついでに言うと一夜と円先輩という取り合わせも突飛だ。

「……」

「何で黙ってんの? 何か言ってよ」

「いや、那智の無鉄砲さは状況予測ができんところに起因すんかなて考えてた」

「何だよ、それ」

 そんなことを言われても、何を言ってるんだかさっぱりだ。

「あ、そうだ。これ見てよ、これ。……じゃじゃ~ん。携帯電話~。この前、父さんたちが帰ってきてるときに買ってもらったんだ。いいだろ~?」

 ポケットから出したそれを黄門様の印籠の如く一夜に突きつける。だけど、一夜は眉ひとつ動かさず無表情にじっと見つめるだけだった。やがて感心を失くして目を離すと、僕の弁当箱からひょいとミニハンバーグをつまみ上げた。

「うあ゛……」

「お前、すでに持ってる人間に自慢してどーする」

 ハンバーグを飲み下してから一夜は言った。……ああ、ふたつしかない貴重なハンバーグが。

「それもそうか」

 納得。

「わかったら早よ喰え。待たせるとうるさそうや」

「ういうい」

 確かに。うるさいかどうかは兎も角として、行くと返事をした以上あまり待たせるわけにもいかないだろう。早く食べてしまおう。

「――と、見せかけて、一夜、だし巻き卵ちょーだいね」

 僕は返事も聞かずに問答無用で美味しそうなだし巻き卵を奪取するつもりだった。が、思わずその手が止まった。

 一夜の箸が僕のウィンナーを掴んでいたのだ。

「……」

「……」

 僕たちは互いの弁当に手を延ばしたまま、無言で顔を見合った。

 

 食堂はもう混雑のピークを過ぎたらしく、閑散というほどではないにしても空席がちらほらと見えた。

 円先輩を捜して食堂をひと通り見回してみる。

(てか、女子生徒の大半がこっち見てるんだけど……)

 相変わらず凄い威力だな、一夜は。

 改めてそう思って一夜の横顔を覗き見る。だけど、眼鏡の似合う知的美少年の一夜君はそんなこと気にした様子もなく、涼しい顔をしていた。

「おった……」

 一夜がつぶやく。

 視線を戻すと、いちばん奥の窓際の席に円先輩の姿があった。むこうもこっちを見つけたらしく、軽く片手を上げて存在を示している。

 そして、その横には――、

「うわは……」

 片瀬先輩もいた。

 一瞬たじろぐ僕。

「なに驚いとんねん」

「だって、まさかいると思わなくて。……あれ? もしかして、一夜、知ってたの?」

「おるやろなとは思うとった。て言うか、俺としてはこの場合、この状況を予測できんお前のがわからんわ」

 そういうものかなあ……。

 僕たちはテーブルの間を縫って先輩たちもところへ向かった。ちょっと緊張する。相変わらず一夜の動きに注目して無遠慮な視線を投げかけられているせいもあるけど、片瀬先輩がどういう行動に出てくるのか予想がつかないのが怖い。

「こんにちは、那智くん」

「こ、こんにちは」

 ところが案外普通で、余裕のある穏やかな大人の微笑みでもって挨拶をしてくれた。少しほっとする。

「待ってたよ、おふたりさん。……なっち、久しぶり」

「ようやくの復学。円先輩とは十日ぶり、かな?」

「んだね。……遠矢っち、腕はどう?」

「おかげさんで」

 そう言うと一夜は吊った左腕を少し持ち上げて見せた。

「しばらくは大人しくしてなよ」

「うわ。言われてやんの、一夜」

「どの口でそんなこと言うねん、お前は」

 睨まれてしまった。

 ふむ、一夜くらいになると睨んでも様になるなあ、とか何とか思った僕は少し危ないかもしれない。

「まあ、いいから座りなよ。ほい、これ、なっちの復帰祝い代わり。ふたりで分けな」

 そう言って円先輩が座った僕らの前に差し出したのは、ブリックパックのジュースふたつだった。きっと学食の隅の自販機コーナーで買ったものなのだろう。ひとつはカフェオレで、もうひとつは……。

「……デラックス豆乳~? 何、これ!?」

「これはあれか、暗に俺と那智に決闘せえ言うてんか?」

 一夜と僕は口々に言った。

 だいたい学生食堂に豆乳ってどういうラインナップだよ。しかも、それをチョイスする円先輩っていったい……。

「いや、何でも新製品らしくてさ、試しに買ってみたんだ」

 そういう円先輩が飲んでいるのはオレンジジュース。試しに買ってはみても、自分で確かめる気はないらしい。これは所謂ひとつの人体実験だな、と思ったけど一夜も僕ももう何も言わなかった。

「よし、一夜。パックジュース程度でいちいち決闘してると卒業までにどちらかが命を落としそうだから、ここはじゃんけんでいこう」

「無難やな」

「じゃんけん……」

 ぽんっ!

 一夜、ちー

 僕、ぐー

「勝利」

「……」

 あ、一夜の口元がほんの少し引きつってる。ちょっと面白いかも。

「……わかった。飲めばええねんな」

 一夜ひとよ一夜ひとよに人身御供。南無ー。

 一夜は言ってからやけくそっぽい勢いでストローを突き刺し、その得体の知れない液状の物体を喉に流し込んだ。それを見守る僕と片瀬先輩と円先輩。

「……」

 三つの視線の先で一夜がわずかに眉間に皺を寄せた。

 そして、そのまま斜め下を向いて黙り込む。感想として適当な言葉を探しているが見当たらない。そんな感じだ。

「ごめん。あたしが悪かった。口直しにこれ飲んでいいから」

 一夜が何か言葉を発するよりも先に円先輩が謝って、飲んでいたオレンジジュースのパックを一夜の前に寄せた。そのわりには笑いを堪えたような顔をしているけど。

「……もらうわ」

 遠慮も躊躇いもなく口直しに飛びつくくらいなのに、一度も顔に劇的な変化が見られなかった辺り、一夜はどこまでもポーカーフェイスだ。

 本当に口直し程度なのだろう、ひと口だけ飲んで一夜はパックを円先輩に返した。円先輩は円先輩で一夜のレアな姿を見たせいか、妙に満足した顔で再び手もとに戻ってきたオレンジジュースに口をつけた。

「ね、ねぇ、那智くん?」

 僕の正面で片瀬先輩が声をかけてきた。

「ん?」

「那智くんも口直しに、これ飲む?」

 言って差し出してきたのは飲むヨーグルト。

「あ、大丈夫ですよ。コーヒーはコーヒーでも、僕、カフェオレくらいなら飲めるようになりましたから」

「そ、そう?」

 僕が断ると、先輩は残念そうにそれを引っ込めた。

「それにしても――」

 僕が口を開く。

「このメンバー、目立ちますよね。片瀬先輩と一夜は言わずもがな。円先輩だって女バスの主将で有名だろうし」

 さっきから遠目にチラチラとこちらの様子を窺ってる生徒や、通りがかりに好奇の視線を投げかける生徒がいたりして居心地が悪くて仕方ない。

 と――、

「……」

「……」

「……」

「え? 何? 何で三人して僕を見るの?」

 ふと思ったことを口にしただけなのに、思わぬ反応に慌てた。

 そんな中で最初に動いたのは円先輩だった。円先輩は片瀬先輩に目を向けた。

「……司」

「いや、自覚されたら嫌だなって……」

 と、片瀬先輩。

 続けて円先輩は勢いよく一夜に顔を向けた。

「……遠矢っち」

「くだらん話は俺で止めたった」

 と、一夜。

 そして、円先輩はがっくりと項垂れる。

「ア、アンタら……」

 ようやくそれだけ言って、それ以上の言葉はなかった。おかげで僕には何が何だかさっぱりだ。

「なっちさ、よく世間の噂に疎いとか言われない?」

「言われます」

「……だろうね」

 ひとり納得して完結したらしい。結局、僕はみんなが何を言いたいのかわからず終いだった。

「要するにさ――」

 オレンジジュースで喉を潤してから、円先輩が再び口を開く。

「みんな、なっちが好きってことだ。あたしも含めて……痛ぇっ!」

 瞬間、横に座る片瀬先輩の肘が炸裂した。

 脇腹をおさえてテーブル上に撃沈する円先輩。やがて顔だけ上げると、恨めしそうな目でなぜか正面の一夜を見た。

「と、遠矢っち……、お前もか……」

「足が滑った」

 澄ました顔でしれっと言う一夜。

 どうやらテーブルの下でも何かあったらしい。と言うか、もうだんだんと僕の理解の範疇を越えてきてる。

「あー、痛て。……まあ、このすっとぼけたのはおいといて――」

 僕が悪いのか?

「マジな話、司、いいの? なっちの言う通りけっこう目立ってるわよ」

「そうね。でも、いいんじゃない? 普通に話してる分には問題ないと思うし」

「おーおー、強気に出たね」

「ええ、勿論よ。今のわたしには怖いものなしだわ」

 そう言って意味ありげに微笑む。

「ね、那智くん?」

「……」

 僕に振らないで欲しいなあ。

「何かあったわけ?」

「知りたい? ……円、耳貸して」

「ちょっと、片瀬先輩!?」

 何かとんでもないことを言い出す前に止めないと。

 でも、先輩は僕に構わず円先輩に耳打ちする。次第に円先輩の目が大きく見開かれ、そして――、

「ああっ!? けっ……んぐっ」

 何事かを叫ぼうとしてその口を片瀬先輩の手で塞がれた。

「もうっ、大声出さないでよ。ここだけの話なんだから。……いい?」

 片瀬先輩がそう確認を取ると、円先輩は口を塞がれたまま二度頷く。それからようやく円先輩は解放された。

「遠矢っち、耳貸せ」

「ん……」

 一夜が身を乗り出す。今度は間にテーブルを挟んでいるから耳打ちもやりにくそうだが、そこは背の高いふたり。たいした障害にはならなかったようだ。

 内緒話が終わるとふたりして僕を見る。

「……」

「……」

「だから今度は何!?」

 理由を求めて僕は叫ぶ。

 だけど、何も教えてくれないまま円先輩はテーブルに突っ伏した。

「ったく、もう。やってられんわ。一足飛びかよ、アンタら」

「……同感。地獄に堕ちろ」

 冷ややかな一夜の声。

「……」

 あー、もういいや。先輩が何を言ったかだいたい予想できたし。

 我知らず乾いた笑いが漏れる僕の正面では、片瀬先輩がウィンクしていた。……先輩、幸せそうだなあ。

 いや、まあ、きっと僕もそうなんだろうけど、もうちょっとフツーの生徒でいたいかな、とも思う。

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