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廻る学園と、先輩と僕 Simple Life  作者: 九曜
#1-II 那智・再
21/93

未来に/キス

 夜道を、片瀬先輩とふたりで歩く。

 今の僕に与えられた使命は先輩を駅まで送り届けること。食後、父さんが車を出すと言ったが、先輩はそれを断った。

「その代わり那智くんをお借りしますね」

 と、先輩。

 それはふたりきりで話がしたいという意思表示であり、父さんもそれがわかっていたから、それ以上親切を押しつけるようなことはしなかった。勿論、僕もわかっている。

 だから今に至る。

 

 

 

-+-+- #1 エピローグ「未来に/キス」 -+-+-

 

 

 

 夜の住宅街は車もめったに通らず静かだ。普段あまり聞くことのない自分の足音がよく聞こえる。街灯の下を通るたびにふたり分の影が生まれ、伸びては消えていった。

「それにしてもほっとしたわ。停学ですんで」

「僕もです。一時は退学も覚悟してたんで」

 まあ、担任を殴り飛ばして、職員室で暴れたのだから当然と言えば当然か。にも拘わらず、五日間の停学ですんだのなら御の字だろう。

「お義父様とお義母様には何か言われたの?」

「うん、まあ……って、何か今、先輩の言葉に微妙な違和感を感じたんですけど?」

「あら、そう? 気のせいじゃない?」

 ……いや、絶対気のせいじゃない。

 だって、先輩、今もくすくす笑ってるし。過去の経験と照らし合わせるなら、こういうときの先輩は必ずと言っていいほどよからぬことを考えてる。

「気になるなら、おじ様とおば様。これでいいでしょ? で、何か言われた?」

「まあね。先生殴った。今謹慎中。もしかしたら退学かもって言ったら、さすがに母さんは慌ててた。反対に父さんは落ち着いてたけど、帰ってきてから僕がどの場面でどう悪かったか長々と説いて聞かされて大変だった」

 あのときはさすが法律の専門家だと思った。

「そう。よかったわ。きっとおじ様も那智くんだけが悪いわけじゃないってわかっていたのね。……わたし、那智くんが退学になったらどうしようかと思ったわ。そのときは一緒にって考えてた」

「んなアホな……」

「あら、本当よ? もう那智くんなしの学園生活なんて考えられないもの」

「そりゃ光栄なことで……」

 光栄だけどはっきりそんなことを言われたら、こっちも照れる。それに僕には少しばかり荷が重い。

「あ、疑ってるなー?」

「いや、別に疑ってるわけじゃないですけどね。ただ、ここは流しておくべきかと思いまして……」

「もう……」

 ふくれるように先輩は言った。

 会話が途切れる。

 黙って歩く僕たちの横を、車が後ろから前へ通り過ぎていった。エンジン音が遠ざかって夜の静けさが戻ってくると、待っていたように先輩が口を開いた。

「わたし、那智くんと一緒の学園生活が嬉しくて仕方がないの。これからの一年、何があるかわくわくしてるわ」

 未だ見ぬ未来に思いを馳せるような先輩の声。

(そんなの……)

 そんなの僕だって一緒だ。

 遠くから見て憧れるだけだった先輩と知り合えて、それだけで僕の世界は一変した。これから先、何が待ってるのか楽しみで仕方がない。

「残念なのはそれが後一年しかないことね」

 微かなため息を混じえて言う。

 ああ、それも同じだ。

 先輩とこの学園で同じ時間を共有できるのは後一年。正確にはもっと短いだろう。僕もそれを惜しく思う。せめて先輩と同じ学年だったらもっと一緒にいられただろうに。

「でも、大丈夫ね。わたしたちは将来を誓い合った仲ですもの」

「……」

 いや、それはどうよ?

「今すぐはさすがに無理よね。わたしが卒業しても那智くんはまだ在学中だからマズいし。だったら、やっぱり那智くんの卒業を待つのがいちばんなのかしら?」

「あー、え~っと……」

 もしもし?

「法律上、男の子は十八歳よね? せめて戸籍上の手続きだけでもと思ったのに、それでも後二年は待たされるのね。むう」

「むうって……」

 何だかお預け喰った子どものようになってるよ、先輩。

 いやいや、それよりもこの暴走列車みたいなのを止めないと。

「あの、先輩?」

「女の子は十六なのに。……ねえ、那智くん、おかしいと思わない?」

 うわあ、聞いてねぁ。

 ぜんぜん人の話を聞いてないし、誰もそんなこと聞いてません。

 もうこうなると聞いてないと言うよりは聞こえてないのだろう。きっと僕と先輩の間には音の振動数を急速に減衰させる壁があるに違いない。

「先輩ってば!」

「あら、那智くん。どうかしたの?」

 ようやく気づく。

「いや、先輩ひとり独走状態でいったい何の話をしてるのかな、と……」

「勿論、わたしたちの将来の話よ」

 先輩はさらりと言った。

 あまりにも当たり前のように言うので、一瞬、僕の方が間違っているのかもしれないと斜め下を見ながら真剣に考え込んだくらいだ。

 そんな僕を見て先輩は言う。

「もう忘れたのかしら。ついさっき那智くん家で将来の約束を交わしたばかりよ」

「ええ、ええ。覚えていますよ。本人そっちのけであたかも直接渡すお歳暮の如くやり取りしてるのを見ましたから。ただし、僕はそんな約束した覚えはないですけどね」

 そうなのだ。僕がソファから転げ落ちるほどにぶっ飛んだ先輩のあの発言の後、父さんと母さんは「喜んで」 「そちらさえよろしければ」と言ったのだ。

 それが本気なのか悪ノリの結果なのか、僕には未だに判断がつかない。

「ならぜんぜん問題ないわ。おじ様とおば様のお許しを頂いてるもの」

「……僕の発言の後半は無視ですか。そうですか」

 思わずため息が漏れる。

「もう、仕方ないわね。じゃあ、先のことはゆっくり決めることにして、もっと近い未来について話しましょ」

「……」

 真偽に関する議論をパーフェクトにスルーした辺り普通に怖い。

(わ、わからん……)

 先輩はどこまで本気なんだ? そして、僕の明日はどっちだ?

「近い未来、ですか?」

「ええ、そうよ。来週、那智くんの停学が解けてからのこと」

 それなら安心して話せる。次はどんな飛び散った話が飛び出すのか警戒していただけに、ちょっとほっとする。

「周りに内緒でこっそりつき合うのがいいのか。それとも公言しちゃうのか」

「……」

「ホントは声を大にして言いふらしたい気分だけど、みんなにバレないようにってのも面白いと思ってるの」

「……」

 ……あんた誰?

 いや、本当に。今僕の隣を歩いてるのは誰だろう? 果たして本ものの片瀬先輩なのか? これは意外と深遠な証明問題ではなかろうか。

「え~っと、あのですね……」

「あら、そこまでは否定させないわよ。ちゃんと図書室でのことは覚えてるんだから」

 ふふん、と悪戯っぽく笑う。

 ああ、間違いなく先輩だ。先輩は悪戯を思いついた子どものように笑って、本当に人を困らせるようなことを言う。

「あ、う……」

 そして、そのたびに僕はどぎまぎさせられるんだ。

 僕は図書室での出来事を思い出して恥ずかしくなった。ええい、くそっ。何で僕ばかりこんな思いをするんだ? 不公平じゃないか。

 次の言葉を探してる間に駅も近くなり、僕たちは大きな通りに出ていた。

 バス道にもなってる道路は交通量も住宅街とは段違いで、辺りは一気に騒がしくなった。

ガードレールの向こう側をいくつものヘッドライトが通り過ぎていく。

「では、ここで那智くんに質問でーす」

 騒音に負けないようにとさっきより少しだけ大きな先輩の声。そのボリュームに比例して、心持ちテンションも高い気がする。

「あのときのことはそういう意味だと思っていいですか?」

「……はい」

 やけに複合形の指示語が多い質問に、僕は渋々肯いた。

 先輩も満足げに頷く。

「ん♪ よろしい。かわいいわ、那智くん」

「……っ!」

 一瞬で、顔の温度が上がった。

 どうも慣れない。

 僕だってもう十五で子どもじゃないわけで、そんなこと言われても嬉しくない。それに女の子の言う“かわいい”は感嘆詞の如く連発されていて、あまり重みのある言葉とは思えないし。

 なのに、先輩に言われると何か違う。

 いったい何が違うのかと問われたら答えに困るけど、音源側の振動数や波の数の問題ではなくて、きっと観測者側の精神的な問題なのだろう。

「はい。では、次です」

 そんな僕の心の振幅などお構いなしに先輩は続ける。

「まだありますか……」

「ええ。だって、まだはっきり好きって言ってもらってないもの」

「な……っ」

 絶句。

 何を言い出しますかね、先輩は。

「次は、つまり、今ここで口に出してそれを言えと?」

「そうよ。他に何かあるのかしら?」

 まるでそれが世界の常識だと言わんばかりだ。

「……」

 ええい、考えろ。考えるんだ、僕。この形勢を逆転させるカウンター技を。このままだとジリ貧だぞ。

「じゃ、じゃあ、先輩は……?」

「ん?」

「先輩はどう思ってるんですか、僕のこと」

 見事な返し技だと思った。いや、まあ、苦しまぎれに繰り出したサマーソルトキックみたいな感はあるけど、それでも上手く当たればダメージ1.5倍の体力泥棒。一気に形勢逆転だ。

 そう思ったのだけど――、

「勿論、好きよ。那智くんのことが誰よりも」

「……」

 成功、したよな……?

 向けられた矛先をかわした上、先輩に先に言わせたんだから概ね成功と言えるだろう。なのに何だろう、この敗北感は。

「さあ、どうしたの。次は那智くんの番よ? 言わないなら……」

「い、言わないなら?」

 よせばいいのに怖いもの見たさで先を促す。

「……こうするわ」

 そう言うなり先輩は僕に飛びかかり、ヘッドロックを仕掛けてきた。

「☆×■◎※△ーーーー!?」

「さぁ、どうだっ」

 言いながら先輩はぐいぐいと首を絞めてくる。

「死ぬ、死ぬ、死ぬっ。先輩、死ぬる……っ」

 当たってる、当たってる、当たってる。先輩、何か当たってます。

「じゃあ、好きって言いなさいっ。わたしのこと好きでしょ?」

「わ~っ、好きです、好きですっ。好きだから放してっ」

 次の瞬間、先輩がぱっと手を離し、ようやくがっちり首を極めていた腕から僕は解放された。息がゼーゼーいってるよ。往来の真ん中でいったい何やってんだか。

「はい、よくできました。素直なことはいいことだわ」

 そう言って先輩はすたすた歩き出した。

 素直? 素直って何だろう? 脅迫に屈することだろうか。……まあ、僕だって心にもないことを言ったつもりはないんだけどさ。

 数歩先に行ってしまった先輩を追いかけ小走りで駆ける。

「それにしても、危ないことするなぁ」

 頸動脈の辺りを手で押さえ、首を回す。先輩が意外と暴力主義者テロリストなことをすっかり忘れてた。

「大袈裟ね。円の真似をしただけなのに」

「いや、円先輩は首締めないし」

 普通、ヘッドロックとは顎の辺りを締めるもので、首は締めない。円先輩はそれをわかっているからいいけど、先輩はまともに首に入れてくるので危うくオチかけた。だいたい円先輩が相手でもいろいろ危険なのに、それが先輩だと充分に致死量だ。

 と――、

「でも、嬉しいわ。これでついに永遠の誓いが交わされたのね」

「はい?」

 思わず足が止まる。

「何それ!? さっきのひと言でそこまでいっちゃうんですか?」

「ええ、そうよ。これで那智くんはわたしのものよ」

 先輩は弾むような足取りで振り返った。

(いや、その言い方もどうかと思うけど)

 とは言っても、僕だってホント言えば先輩とずっと一緒にいたいと思うわけで。そういう思いがあるのなら、ある意味ではさっきのが略式の、あるいは擬似的な永遠の誓いと言えるのかもしれない。

「でもなぁ……」

 と、腕を組んで考え込む。

「やっぱり詐欺っぽい……」

「……さっきのもう一回やっていい?」

「ダメですダメです! 今度こそ死にます!」

 ほとんど脊髄反射でざざざーっと後ろに下がる。

 人間って両足を接地させたまま動けるんだな、と意識の一部で他人事のように感心したり何かして。

「何よ、そのリアクション。傷つくわ」

 そう言うと先輩は、ぷい、と振り返って三度歩き出す。

 僕も慌ててその後を追った。

(あー、もう、顔の温度が下がらん)

 ただし、先輩に気づかれない程度にさっきより距離を開けて横に並ぶ。

 ふいに先輩が大きなため息を吐いた。

「どうしたんです?」

「わたし、那智くんとふたりきりなら余裕あるのにな~って」

「???」

「感情のコントロールが容易って言うか、そもそもそれ以前にそういう気持ちにならなくて安心って言うか。そんな感じ?」

 わけわからんて。

「要するに、呆れるほどゲンキンってことなんだと思う」

 それきり先輩は口を閉ざしてしまったので、僕もわざわざ聞きはしなかった。きっと僕には理解できない性質のものなのだろう。

 気がつけばもう駅は目の前だった。

 バスターミナルやタクシー乗り場のあるタイル張りの駅前広場を縦断すればもうそこは大きく開いた駅の入り口だ。

 そのとき――、

 そっと、先輩が手をつないできた。

「先輩……?」

「うん。あと、少しだから。ね……」

 そう言った先輩は少し俯き加減だった。

「そう、ですね」

 僕たちはほんの少しだけ歩く速度を落とした。

 それは、流れる時間の速さが変わらないのなら、こちらで同じ構造を保つ時間を長くしようというささやかな抵抗だった。

 今まで何度か握ったことのある先輩の手。

 一度目はふたりで遊びに出かけたとき。何だか先輩が怒っていて握るというよりは一方的に鷲掴みにされただけだった。

 二度目は図書館で。あのときは特別な意味を込めた。

 だけど、今みたいにこうして手をつないで歩いたことはなかった。おかげで手ばかり意識してしまって、今日何度目かの沈黙がまたやってきた。

 が、しばらくすると先輩の方からくすくすと笑う声が聞こえてきた。

「よく考えたらわたしたちって将来を誓い合った仲なのに、手をつないで歩いたこともなければ、ちゃんとしたキスもしたこともないんだわ」

「……」

 やっぱり決定、ですかね?

「きっとみんなこれからなのね」

 そう言うと先輩は、今度は腕を絡めてきた。

「……っ!」

「こら。逃げないの」

 驚いて逃げようとしたけど、がっちり腕を組まれてしまって、それも叶わなかった。あまりのことに体が硬直して、先輩の方を向くこともできない。

 気配で先輩の顔が近づいてくるのがわかった。

「これから、お姉さんと楽しいこといっぱいしましょ」

 耳に囁く。

 そして――、

 頬にキス。

「わたしたちの未来これからに。……大好きよ、那智くん」

 そう言うと先輩は改札口へぱたぱたと駆けていった。

 残ったのは固まる僕と、微かな雪の香り。

(お姉さんって誰でぃすかー?)

 突っ込むとこ、そこか?

 僕の普通の学園生活(シンプル・ライフ)ってどこに行ったんだろう? まあ、失くしたのは、きっと先輩を初めて見たときになんだろうけどさ。

 これから大変だな、僕。

 いや、ホント。

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