鎖
「一週間後に王城が襲撃を受けます。侵入者は――我が国軍の姿をしておりました」
明け方に見えた未来。すぐに私は王へと進言いたしました。
それが私の仕事だからです。
ですが――ラウド王陛下は額に血管を浮かべ、顔を真っ赤にして仰いました。
「我が国軍が城を襲う? 聖女の身で、王権に泥を塗る気か!」
国家侮辱罪として、私は冷たい地下牢に閉じ込められました。
ラウド様は気難しい方ですが、まさか牢に放り込まれるとは。 ……いえ、どうお伝えしたところで、あの王が私の言葉を信じることはなかったでしょう。
ほの暗い牢の中で静かに過ごしておりますと、地上から轟くような地響きが聞こえました。
あの時見えた未来通りに、兵士が攻め込んできたのでしょう。
抗戦する音が続いた後、ラウド王陛下は家来を引き連れ私の元へとやってきました。
「お前が奴らを煽動したんだろう」
地下牢の中で何ができたというのでしょうか。そんなに、聖女の力は万能じゃないです。
「連れていけ」
王命を受けた兵士は牢で縮こまった私に手錠を掛け、力強く立たせました。小さな階段を進むと地下の淀んだ空気は一転、煤けた臭いが立ち込めています。
外へ出ると見慣れた城内とは一変した世界が広がっておりました。
「止まるな。早く歩け」
手錠を引く兵士は、煩わしそうに振り向きました。暗い地下牢では気付きませんでしたが、その顔は見覚えのあるものでした。南方駐屯軍の副師団長、クレイン・フィースト様です。
「無様だな。国を守れない聖女など早く始末されればいい」
「そんな……」
今まで――余りに永い年月をかけ、国を守るため聖女として仕えてきました。
王族の不幸は勿論のこと。隣国が攻め入ることから、災害や干ばつの予兆だって。
女神に与えられた未来が見える加護――先詠みは、見えた通りの出来事が起きます。
アストルディア国のため、そのすべてを王へ進言してきたのに。
隅々まで手入れの施されていた美しい庭園は見る影もなく、多くの兵が積み上げられ焼かれておりました。
反射的に逃げようとしたのもつかの間、フィースト様に手錠を引かれ、庭園中央の杭に縛り付けられます。
そうして、私は反乱軍を幇助した罪として火炙りの刑で処分されることになりました。
熱い。熱い。熱い。――痛い。
皮膚が次々にただれて溶けていく中。鎖で縛り付けられた身体は懸命にもがいてもどこにも逃げられません。
なぜ、こんな苦しい思いをしているのでしょう。燃え盛る炎の中では、女神――貴女のお姿を探すことすら叶いません。
歯を噛み締め続けている内に意識を手放していました。
次は聖女ではなく、ただの人間に生まれ変わりたい――なんて、ありえないことですが。
願うことも罪ですか?
気付くと、眩い光りに目を覚ましました。窓辺から差し込む日差しと、ふかふかの布団の感触。見慣れた王城の私室でベッドに横たわっておりました。
真っ白な手。火炙りでただれる前の自分の手にそっくりです。
おかしいです。いつもならば死んだら赤子として生まれ変わるのに。
身体のどこを見ても死ぬ前と変わらぬ姿をしています。
ズキと頭が痛んで目をつぶると、雷撃のようにあの光景が脳裏に浮かんできました。
焼け焦げた城壁に、駆け込む兵士。国旗に描かれた真っ赤なバツ印。
あの日、見えた未来と同じです。あの日と、同じ……。
あの未来を見た日に、戻っている?
こんなことは初めてです。
ただ、夢だとしたら余りに生々しいものでした。
「おはようございます、エシカ様」
朝の挨拶と共に侍女のマリアがやってきて、いつものように支度を手伝ってくれました。
寝癖で絡まった癖毛を解かれていると、あの悪い夢が嘘のように感じられてきます。マリアの手は優しくて好きです。
「本日はご神託はございますか?」
「……いいえ」
先ほど見えた未来が浮かび上がりましたが、咄嗟に口は異を唱えておりました。
進言したとて、また牢へ送られ、あまつさえ火にかけられては困ります。
白いドレスに袖を通して、城内の教会へ向かいます。女神に祈りを捧げるのは毎朝の日課です。
太陽を模したステンドグラスが朝陽を通して、教会をきらきらと照らしていました。
私はただ手を組み女神へ祈るだけです。
本日もどうかアストルディア国をお守りください、と。
そのまま、しばらく祈りを捧げていると、教会内に靴音が響き渡りました。音だけですぐにわかります。
聴き慣れた司祭様の足音ですから。ただ。どうしても、反射的に手が震えてしまいます。
今日は儀式の日でした。司祭様が私の隣りに立つとトレイにのせていたナイフを片手に、手を差し出されました。
「腕を出して」
言われるままに司祭様の手の上に左腕を置くと、ナイフがゆっくりと腕に食い込みます。ただ、歯を食いしめてこらえます。
女神のためだとわかっていても、痛いものは痛いです。
しばらく無心で耐えている内に、腕に薄い布を当てられていました。トレイの上の小皿には赤い液体が溜まっています。
女神に捧げる、聖女の血。
これは大事な儀式です。
司祭様は事が済むとすぐに、またあの靴音を響かせて去って行かれました。
当て布があっという間に赤く染まっていきます。
張り詰めていた息を吐き出すと、あの業火が脳裏に浮かんできました。
女神は、なぜ時を巻き戻させたのでしょうか。
ステンドグラスはただ、色とりどりの光を散らばせるだけで、当然ですが女神のお声は聞こえません。
女神は永遠に、私がアストルディア国に聖女として仕えることを望んでいるのですか?
そのために今回はやり直しが必要なのでしょうか。
あの反乱軍は……。
彼らがなぜ城を襲うのか。このままラウド王陛下へ進言せずとも、きっと、なぜ先詠みが出来なかったのかと私に詰め寄ることでしょう。
そうしたら、また火炙りの刑に?
痛いのは嫌です。どうすれば、反乱をやめてもらえるのでしょうか……。
考え込みながら教会を出ると、足元に何かがぶつかりました。衝撃で思わず、壁に手をついてしまいます。
「聖女さま!」
「まあ、カフカ王子陛下」
小さな王子様が笑顔で足にまとわりついてます。ラウド様の後、私がお仕えする将来の王様です。
華やぐような笑みに思わず釣られていますと、廊下の先から一人の兵が駆けつけてきました。
「陛下! どこに行かれるのです!」
肩の紋章は、南方駐屯軍のものです。しばらくそれを見ていると男と目が合ってしまいました。
その鋭く射抜くような視線は知ったもので、思わず後ずさりをしてしまいました。
南方駐屯軍副師団長クレイン・フィースト――王命で私を手錠に掛け、火炙りにかけた張本人です。
「聖女さまがいたの!」
「聖女様? 失礼。急に走られては困りますよ陛下」
「クレインは剣の名人なんだ! だから稽古つけてもらうの!」
「そ、それはよかったですね。ですが陛下、先生の言うこと聞けない子は魔女に食べられてしまいますよ」
「ええ!」
目を白黒させておどける陛下が愛らしいです。
稽古場に向かう二人の背中を見送る間、あの未来をはっきりと思い出しておりました。
城に乗り込む兵が、あの紋章を掲げていた光景を。




