第6話:ヴァンファーレの街
ダークエルフの里を後にして、およそ十キロ。険しい山道を越え、古びた石畳の坂道を下りきった先に、視界が一気に開ける。そこに広がるのは、人々の喧騒と熱気にあふれる賑わいの街、ヴァンファーレである。
街の外郭には堅牢な石造りの城壁が巡らされ、その上には常に見張りの兵士が行き交い、朝から晩まで往来の安全と秩序を守っていた。
東西南北の城門は頑丈な鉄格子と装飾の施された門扉が誇らしげにそびえ、門前には交易商の大きな荷馬車が列をなし、旅人たちの談笑や行商の呼び声が絶え間なく響いていた。
人口はおよそ八万人を数え、単なる大きな街というだけではない。ここは、周辺諸国すべてと繋がる街道の要衝に位置し、各国から珍しい品々や情報が行き交う交易の中心地でもある。
異国の香辛料が並ぶ市場では、色とりどりの織物や見たこともない果実が並び、通りを歩けば香ばしい焼き菓子の匂いと香辛料の刺激的な香りが鼻腔をくすぐる。
ヴァンファーレはまた、冒険者たちにとっても憧れの街だった。中央広場には堂々たる冒険者ギルド会館が建ち、そこでは日々、名声と富を求める者たちが集い、次なる大いなる冒険への契約が交わされていた。
剣を背負う若者、魔導書を抱えた賢者、豪奢な鎧に身を包んだ歴戦の戦士たちが酒場で肩を並べる光景は、この街の日常そのものだった。
この街に足を踏み入れるとき、ユリウスはいつも、ほんのわずか肩の力を抜き、旅の重荷をひとときだけ忘れることができるのだった。ヴァンファーレは、彼にとって戦いと安息の狭間にある、かけがえのない場所だった。
◇
今、エルミアは、このヴァンファーレの冒険者ギルドの受付前に立っていた。隣には、すでに登録済みのユリウスの姿。
「冒険者登録をお願いしたいのですが・・・あと、パーティ申請も」
ギルドの受付嬢はエルミアの黒衣と紅の瞳を見て、一瞬だけ目を細めた。フードを目深にかぶっていても隠しきれないその美貌に、受付嬢は無意識に息を呑んだ。だがすぐに気を取り直し、帳面を開き、仕事に戻る。
ユリウスの立ち姿は、いつも通りだった。
全身、粗末な黒い衣装。袖の継ぎはぎ、裾のほつれ、背中に羽織った外套も擦り切れている。だが、その立ち姿には不思議な端正さがあった。姿勢のひとつひとつが洗練され、身のこなしは静かで無駄がない。粗衣のはずなのに、どこか気品が滲み出ていた。
そして何より、彼の腰にある剣だけは異様な輝きを放っていた。鍔の意匠は布で丁寧に覆われており、その下に何があるのかは窺い知れない。幾重にも研ぎ澄まされた刃は、装いに似つかわしくない気品を放ち、見る者にただならぬ存在感を与えていた。
その装いはまるで、身分と正体を塗り潰した仮面のようだった。
登録手続きが終わると、ふたりはギルドの掲示板へと足を運んだ。貼り出された紙片の中から依頼を選ぶ様子は、ごく普通の冒険者たちと変わらない。
だが、その間、ユリウスは口数こそ少ないものの、ギルドの依頼等級、報酬の相場、依頼主の傾向などを簡潔かつ丁寧に説明していた。エルミアは初めて知る世界に緊張しながらも、彼の静かな助言にうなずきながら耳を傾けていた。
その光景は他の冒険者たちの目には異質に映った。
「おいおい、黒衣の兄ちゃん、ずいぶん綺麗な女連れだな」
「いや、あれダークエルフじゃねぇか? ギルドで見る顔じゃねえよな」
「しかもあの顔立ち、なんだよ・・・貴族の愛妾か?」
押し殺した笑い声とひそひそ話が広がる。エルミアはうつむいた。だがユリウスは微動だにせず、掲示板の前に立ち続けていた。
「・・・慣れてますので、大丈夫です」
エルミアの小さな声に、ユリウスはただ一言だけ返した。
「慣れなくていい」
そのあと、ふたりは掲示板の下段に貼られた依頼のひとつに目を留めた。内容は、森の奥に自生する希少な薬草を採取してほしいというもの。薬草の価値は高く、市場にも出回らない貴重な品であるため、報酬はそこそこ良かった。
「これなら、いけそうですね・・・」
エルミアの声に、ユリウスは無言で頷いた。
こうして、ふたりの初めての共同作業が始まった。