第106話 麗子様は母の愛を知る。
六月も下旬になると本格的に梅雨入りした。
頬杖をついて窓の外を眺めれば、しとしと雨が止めどなし。灰色の厚い雲で鬱蒼として辺りは薄暗く、色鮮やかなはずの紫陽花も今の私の目を通せばセピア色に染まっていく。ちょっぴりセンチじゃ。
雨を眺めて物憂げな美少女。いいわ。めっちゃ絵になる。
なぬっ、どーせまた下らないことで悩んでるんだろって?
失礼な!
我は学生の本分である勉学について悩んでおるのじゃ。高尚じゃろ。
昔の人も言っているではないか。
——少年易老学難成 一寸光陰不可軽(少年老いやすく学なりがたし、一寸の光陰軽んずべからず)
意訳:若者は時間が無限にあるっち思うとるやろ。そんなこつなかばい。勉強せんとあっちゅう間に老いさらばえてロクなモンになれんけん。やけん、ちょっとも時間を無駄にしちゃいかんばい。
僅かな時間も惜しんで勉強しろっていう朱子学の教えだ。まあ、ホントは朱熹の漢詩じゃないらしいけど。
だが、誰が提唱したかは問題ではない。重要なのはこの格言がとても正鵠を得ているということだ。若いからと無為に日々を送ってはいかん。真面目に勉学に励まねば。
だと言うのに、周囲が我の勉学の邪魔をする。早見ママの料理教室に続き、今度は社交パーティーだと。子供のやる気を削ぐとは、親の無理解が子供を非行に走らせるというのがなぜ分からん。
くっそーグレてやる。
姿見に映る私は涼やかな水色のカクテルドレス。ノースリーブで膝丈のフレアワンピースが可愛いのぉ。それでいて高級感のあるシルクの光沢が美しさと高貴さも失わせておらん。
ふっ、まさに我の為にあつらえたようなドレスじゃ。いや、実際オーダーメイドで私用に仕立てたんだけどね。
しっかし、我ながら惚れ惚れするような美少女っぷりよ。フツーならテンションMAXなんだけど、今からパーティーへ行かねばならないのだと思うと……あっ、なんだか頭痛が痛い。それに熱が熱っぽい。
「お母様、やはり今日は体調が優れませんのでお休みさせてくださいませ」
「仮病はダ・メ・よ」
額に手を当てフラついて体調不良アピールをするも、お母様はにっこり笑って無情に一蹴。
酷いわ、酷いわ!
実の娘がこんなに苦しんでいるというのに。
あゝ、私とっても体がダルいですわ。パーティーへ行くと想像しただけで動悸、息切れ、めまいまで。あっ、寒気までしてきましたわ。
「お母様は麗子が心配ではないんですの?」
「うーん、私も心配したいのよ。だけど、麗子ちゃんってば肉体的にも精神的にも強靭すぎて心配しようがないのよ」
「……」
これは親から見放されてるのか信用されているのか。いったいどっちなんだろう?
「せめてお兄様かお父様がご一緒なら良かったですのに」
「二人とも忙しい時期だから無理って分かってるでしょ」
高校三年生のお兄様は言うまでもなく、お父様も大きなプロジェクトの立ち上げで忙しいらしい。お父様、ちゃんと仕事してたのね。
なわけで、本日はお母様と松戸乃家のパーティーへ二人で行かねばならぬこととあいなったのじゃ。宇喜田さんの運転でパーティー会場へゴー。
「お母様、松戸乃家は清涼院家と同格の清華家でしたわよね?」
「ええ、そうよ」
関わりがないから松戸乃家ってあんま知らんのよね。なんでも一度は没落しながらも久条家の分家として再興したのだとか。つーことは、久条家や滝川家も参加しとるな……お母様も懲りんなぁ。
「お母様、申し上げておきますが、滝川様との縁談は……」
「それに関して私はもう何も口出ししないわ」
ん? 違うのか?
「滝川様はまだ麗子ちゃんを諦めきれないみたいだから縁談を勧めてくるでしょうけど、嫌ならお断りしても構わないわ」
「それは本当ですか!?」
それじゃあ、今回のパーティーはホントに私のお披露目だけ?
「ええ、もうお相手は麗子ちゃんが好きになった人で良いと思ってるの」
それって自由恋愛オッケーってことですか!?
えっ、マジで? やっふー!
ついに私は自由を手に入れたのね。
「だから、なるべく社交パーティーには顔を出して欲しいのよ」
「……つまり、その中から探せと?」
だろうと思ったよ。けっきょく家柄重視ですか。
「家柄を重んじるから言ってるんじゃないわ。麗子ちゃんの為を思うから家柄を重視しているのよ」
お母様が苦笑いを浮かべた。どうも不満顔が出てたらしい。
「麗子ちゃんはね、どこまでいっても清涼院麗子なのよ」
「私を好いてくださる殿方は清涼院家を含めて、ということですわね」
「清涼院家に生まれた者は恩恵も大きいけれど、失う者も大きいのよ」
前に舞香お姉様にも言われたっけ。どうしたって清涼院家というバックがつきまとう。私個人を見てくれるのは、清涼院家の力を必要としない者。つまり、滝川や早見のような同格の家柄のやつらくらいだって。
「麗子ちゃんは賢いから頭では理解しているんでしょ?」
そう、理屈は分かる。分かるんだけど。
「だけど納得はできないってとこかしら?」
だって、一般男性の中にも少なからず私を等身大で見てくれる人がいるかもしれないじゃない。
「ねぇ麗子ちゃん、お母さんとお父さんは恋愛結婚だったのよ」
「それは……聞き及んでおりますわ」
「私達は運良く偶然家柄が見合っただけではあるけれど、麗子ちゃんに同じような出会いがないとどうして決めつけるの?」
私も中身はアラサーや。聞き分けのないお子様ではない。お母様の言いたいことは理解できる。
「もしかしたら、今日のパーティーに麗子ちゃんの未来の旦那様がいるかもしれないでしょ?」
「だけど、引き篭もっていれば、その出会いの機会さえ失ってしまう。お母様はそうおっしゃりたいのですわね」
お母様がにっこり笑った。それはたまに見せる黒い笑みでも、みんなを魅了する無邪気な笑顔でもない、母の微笑み。
「私はいつだって麗子ちゃんの幸せを願っているわ」
「お母様、すみません……そして、ありがとうございます」
お母様は何も言わず私の肩を抱き寄せ頭をこすり合わせた。伝わる母の温もりに何となくほっとする。ああ、この人は私のお母さんなんだなぁ。
「私もお母様のように想い合える男性と出会えるでしょうか?」
「麗子ちゃんなら大丈夫」
私の頭を撫でるお母様の手が優しい。
「だって、麗子ちゃんは私達の自慢の娘ですもの」
「はい、頑張りますわ」
「ふふ、きっと私みたいに素敵な旦那様を見つけられるわよ」
すみません、お母様……タヌパパンは謹んでお断りいたします。




