エピソード2~珠洲17歳~
この章では何を書こうか、何も決めていなかった為、パソコンでこれを書きながら何を書こうか正直悩んでいる。
17歳頃からの私を振り返って行こうかな。何故、17歳なのか。それは、あと1カ月で18歳になるという時に、私はある事実を知ることとなった。
この時にはもう私は高校を辞めて、家の仕事である保育所の手伝いをしていた。1年もたつと、ある程度家事も出来るようになっていた。でも、仕事と言っても手伝い感覚だったし、仕事そしているという感覚ではなかった。この感覚は20代後半までそのままでいた。
アルバイトをしたことも無く、ぬるい水に浸かったまま、仕事ではなく手伝い感覚で働く。拘束時間は長かった分、周りもそれを許してくれていたし、経営者の妹という事でみんな私に対する不満は言わなかっただろうなと、思う。
本当は、20歳頃にバイトをしようかと思ったのだが次兄に相談した際に猛反対された。「お前にはできない」とか「家の事はどうするんだ」というようなっことを言われた記憶がある。今思えば、私がバイトを始めて家の事をする人がいなくなるのが困るために反対したのではないのかと思う。この時に、無理にでもバイトをしていれば、仕事に対する意識が違っていたのかもしれない。
私は、次兄に意見が出来ない。とにかく怖いのだ。なぜこんなに怖いと感じるのか…中学生の時に何かで次兄の気に障るような事をしたときに、すごい剣幕で怒鳴られ、背中を蹴られたことがあった。その時から、怒らせたら駄目なんだと感じるようになった。この時は、まだ母が元気だった時で、「あんた、なにしてる!!!」と次兄に怒ってくれた。でも、やはり恐怖を植え付けられたのは、間違いはない。この次兄については、また別のエピソードで書くことにしているため、まずはここで一度終わりにしようと思う。
話を戻すが、あと1カ月で18歳になろうとしているときにある事実を知った。何気なく、掃除をしてい時に見た事のないポーチを見つけた。何が入っているのだろうと、ふとポーチの中を見てみた。中には、使い終わった通帳・何か重要そうな手紙類、そして…私の母子手帳が入っていた。母親の名前は、今の母ではなかった。全く知らない人の名前が記されていた。正直言って、大きなショックはなかった。何故か、納得してしまった自分もいる。
誤解してほしくないのは、私を育ててくれた母につらく当たられたとかではない事。本当の娘のように育ててくれたのは、間違いなのだ。育ての母には、本当に感謝の気持ちしかない。
そして、私を生んでくれた母親は、今どこで何をしているかは全く分からない。生きているのか、死んでいるのかさえも。生みの母は、私を育ての母に預ける時は何を思っていたのだろうか…。聞いてみたいと思う所もあるが、聞けないのだ。怖くて聞けない。
もし、私の事を嫌いで捨てたのであれば、私はきっと自分の存在を消してしまいたくなる。
私がそう思ってしまったのには、母子手帳に挟まっていた一枚の写真にある。その写真には、私の母親と思われる女性と…見知らず小学生くらいの男の子が笑顔で写っていた。そう、その写真には、私はいない。
母子手帳も、1カ月健診後は行っておらず、次の検診は6カ月健診。6カ月健診には、育ての母の字で色々なことが記入されていた。
私は、すぐに捨てられたのだ。これは、どんな理由にしても事実です。いつか、捨てられた理由が分かる日が来るのだろうか。そして、その時は私はきちんと、その理由に納得することが出来るのだろうか…。
そして、私はこの先、自分の子どもを持つことはないと思う。何かの理由で、子どもを育てることが困難と感じたときに、きっと自分の子どもを手放してしまうと思う。
でも、捨てられたことには腹が立つという感情は起きない。ただ、寂しさというか、悲しさというか…、私の存在意味は何だろうかと考え、心に生ぬるい気持ち悪いと感じる風が吹いているような感覚にいる。
もしかしたら、私はこの時から「生まれえ来て良かったのか?」と考えるようになったのかもしれない。
そして、この時から自分の人生にパートナーがいるという事を諦めてしまったのかもしれない。
17歳のあの日。私は、確か泣いていた。夜に…ひっそりと。