3. 姫君はご帰館の途中
姫サイドです。
白の背に乗り、満天の星の下を駆けます。駆けると言っても本当は飛んでいるのですけど。
『煌々姫様、そろそろフレンド共和国の国境です。夜風は身体に悪いですから、この辺りで泊まりませんか?』
白が念話を伝えてきました。確かにパーティードレスで飛び出してきましたから、幾ら季節柄寒いことは無くても飛行風を浴び過ぎては、身体が冷えてしまいます。
「そうですわね。でも、この辺りに泊まれる宿はあるかしら?」
下を見ても暗い森が広がっているばかりで、村も街の明かりも見えませんけど。
『そこはご心配無く。この辺りには我等の眷属が住まうはずです。ああ、そろそろ目印が見える事でしょう』
後ろに付いていた紅が、隣を飛びながら教えてくれました。
「そうなの。貴方達の眷属ならば安心ね」
そんな風に話をしていると、前方に光の柱が立ち昇りましたわ。まるで森から天を突く様に一筋光がみえています。
『あそこです。姫様、下降しますからお掴まり下さい』
白の鬣を柔らかく手に絡ませると、それを合図に下降が始まります。一瞬空中で止まったような不思議な感覚のあと、風を切るように下降していきます。
『こちらです』
丸く森が開けて、星を映した湖が見えました。その中央から光の柱が立っているのです。
湖の中央には小島が浮かんでいて、そこには古風な屋敷が建っています。ふわりと二匹の竜が地面に降り立つと、庭先には幾つものランタンを掲げたメイド姿の女達が待っていました。
「皆様、いらっしゃいませ」
城の中から、金色の衣装を着た女主人らしき者が出てきました。フレンド共和国の者では無い、馴染みのある気配を纏った女性です。
「夫人。こちらは我らが主の煌々姫様だ。夜分済まないが、一夜の宿を貸して欲しい」
白と紅は、竜の姿から再び人の姿へと変化しましたが、何という事でしょう。やはりと言うべきか---
「あらあら、お二人共。姫様の御前で、そのお姿はいけません」
そうですわ。彼等は生まれたままの、つまり丸裸で立っているのです。二人は全く気にすることも無く、夫人と呼んだ女性からショールを受け取ると、はらりと身体に纏いました。
「煌々姫様、まずは屋敷の中にお入りくださいませ。すっかり身体が冷えてしまったのではございませんか? さあ、温泉で温まって下さいませ」
挨拶も程ほどに、夫人に手を引かれて屋敷の中を歩きます。中庭の様な設えの浴場に通されると、夫人は私の手を紅に預けました。
「とにかく、お湯で温まって下さいませ。ご挨拶は後ほどさせて頂きます。お食事のご用意をしておきますので、ごゆっくりとお過ごし下さい」
牡丹の花が綻ぶように夫人は微笑むと、そう言って下がって行きました。
「姫様のお世話は我らが致すから、其方たちは下がって良い。替わりの衣装を用意してくれ」
数人のメイド達にそう声を掛けると、控えていたメイド達に少しだけ動揺が見えましたわ。まあ、そうでしょうね? だって白も紅も彼女等から見れば男性で、尚且つ自分達より霊格の高い竜人ですもの。
「いつものことだから大丈夫。貴女達に頼みがあるのだけどね、姫様に似合う衣装と、私達にも適当で構わないから用意して欲しいな。化身した時に着ていた服は破れてしまったからね」
少し崩した口調で紅がそう言うと、メイド達がほっとした様に頷いて浴場から出て行きました。
「紅? 貴方って、女性のあしらいが上手ね?」
「そうでもございません。白が下手過ぎるだけですから」
椅子に座った私の前に、紅が跪いて靴のバックルを外してくれます。その目線は、私の髪飾りを外している白を見ているようですけど。少しだけ白を揶揄うような口調でした。
「良いんだ。私は、姫様以外に何を思われようと構わない。そう言う面倒な事はお前に任せる」
この二人は、同い年のまだ若い竜人ですけど、私よりも遥かに年上です。どちらかと言うと白は生真面目で堅物。紅は人懐っこいですけど、何を考えているのか判らない時がありますの。
「とにかく、貴方達も冷えたでしょう? お湯に入って温まりましょう」
手慣れた様子で白がドレスのボタンを外してストンと足元に落とすと、素早くコルセットを脱がしてくれます。
因みに、脱がしてくてくれるのは白が、着せて身支度の世話をしてくれるのは紅の担当です。私がまだ赤子の時からのずっと変わらない習慣なのですわ。
浴室は広々とした石造りで、湯口からは温泉の滑らかなお湯が潤沢に湧き出ています。フレンド共和国では余り見かけない温泉ですわ。紅が湯加減を見てから、良い香りの香木を浮かべました。蓮の花型に彫刻された香木のようです。
「さあ、姫様」
白に手を取られて湯船に進みます。温かな湯気にほっと息が洩れました。それから私達は暫くの間、温かな湯に癒されたのでした。
「煌々姫様。ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございませんでした。私は、白様と紅様の眷属であります、鯉族の六々魚と申します。この湖、本当は大池なのですが、この地の護りを仰せつかっております」
黒髪を艶やかに結い上げた妖艶な美女。金色の衣から、高位であることも判りますわね。
「顔を上げて頂戴? 急にお邪魔してしまいこちらこそ御免なさいね。夫人は何とお呼びしたら良いのかしら?」
「勿体なきお言葉。さすれば六鯉と。そう呼んで頂ければ光栄でございます」
「六鯉夫人、そう呼ばせて頂くわ。急な申し出にこんな素敵なもてなしをして下さって感謝しますわ」
私はそう言って、袖を広げてくるりと回って見せました。用意してくれた衣装は、璃国の衣装で白色の絹地に私の名前にある白蓮の刺繍が美しく施された上着と、萌黄色の袴です。上着の襟は三重になっていて桃色、藤色、萌黄色の半襟がアクセントになって、幅の狭い帯は濃い桃色でここにも白蓮の刺繍がされています。
ええ。かなり上級の組み合わせですわね。これは六鯉夫人のチョイスでしょうか?
「ほほほ。良くお似合いですわ。いつ何時、姫様にお立ち寄り頂いても良いように準備しておりました。お気に召して頂いたようで嬉しゅうございます」
いつ何時? 立ち寄っても良いように? 白と紅の指示なのでしょうか。それとも、陛下からの指示なのでしょうか? どちらにせよ大変助かりましたわ。
「さあさあ、皆様、お腹もお空きでしょう? 辺境の地でございますけれど、森と湖の恵みは豊富ですからどうぞお召し上がり下さいませ」
六鯉夫人がそう言ってパンパンと手を打つと、数人のメイド達が大小様々な皿をテーブルの上に置きます。香りの良い茸と姫筍の炒め物、蟹の唐揚げに見たことも無い大きな二枚貝の焼き物。湯気の立つ白湯スープにフカフカの花巻。色とりどりの野菜と蝦の蒸し物……それから……
チラリと白と紅を見ると、メイドから葡萄酒を注いで貰っています。二人共お酒に強く、大好きですから飲まないという選択肢は無いのでしょうけど。
とにかく、今はお腹を満たすことに専念しましょう。
「さて、これからどうしようかしらね」
食事をしながら作戦会議を行います。気を利かせた六鯉夫人が席を外そうと立ち上がりましたけど、私はそれをやんわりと片手で制しました。
「六鯉夫人にも聞いて頂きたいわ。ここは璃国に向かうための国境越えの砦の近くでしょう?」
「はい。私は構いませんが、宜しいのでしょうか……」
六鯉夫人は控え目にそう答えて、白と紅の方を伺います。まあ、直接の主人は彼等ですからね。
「構わない。煌々姫様のご意志のままに」
白が何杯目かの葡萄酒の杯を飲み干して言いました。さすがにもう飲むのは止めるようですわ。
「先程、フレンド共和国の伝令隊が璃国に向かって出発したようですわ。遠征軍の軍馬を使っているけど、ここまで来るのも二日は掛かるかしら?」
首都中に張り巡らせた私の魔法が、遠く離れたここにも情報を送ってくれます。下手な魔術師には到底出来ない高等魔法です。
「そうですね。我らが飛翔してここまで来ていますから、頑張って不休で走ったとしても明後日の朝になるでしょうね」
紅はそう言って、テーブルに肘をついてグラスをクルクルと回しています。あら、まだ飲み足りないのですか。
「あの、少し宜しいですか? 姫様は何故首都からこちらにいらしたのですか? 璃国にお帰りになるという事ですの?」
ああ、そうでした。ここにいる理由をちゃんとお話ししていませんでしたわ。
「ええっと、ですわね。私、ハインツ様に婚約破棄をされたので、了承して璃国に帰る途中なの」
「は、はい?」
「ですからね、婚約者のハインツ様から婚約破棄を宣言されたので、了承して璃国に帰る途中なの。出来るだけ早く帰ってやる事もあるしね?」
掻い摘んでそう答えると、六鯉夫人の顔が青褪めたのが判ったわ。
「あの、早く帰ってやる事とは---?」
「フレンド共和国と開戦するのよ」
妖艶な六鯉夫人の口がパカッと開いたまま、目だけが白の方に動きました。
「思い出したくも無い。あの男は最低だ。姫様がどれだけ譲歩し、我慢をされていたか全く理解していなかった。頭の悪い大馬鹿者だ」
白はそう言うとテーブルの上に在った葡萄酒の瓶を掴んで、空のグラスに注いで一気に飲み干しました。そうでした。最初に殺気を放ったのは白の方でした。
「そうだね。あの男は元首の息子にしては出来が悪かった。頭の良し悪しじゃなくて、男としての出来が悪かったな」
紅は少し思い出したのか、頬を緩めていますけど……面白がっていませんこと?
「それは、姫様を蔑ろにしたという事ですの? ちょっとお待ちください! 先程姫様がお召しになっていたのは、舞踏会用のドレスではございませんか? まさか、舞踏会で婚約破棄をされたという事ですか!?」
確かに私が着ていたのは、学園の卒業パーティーとはいえ、舞踏会でも十分着られる正式なドレスです。金糸や銀糸、細やかな手の込んだ刺繍などは璃国の技術を注いだドレスでしたわ。さすが六鯉夫人。見ていらしたのですね。
「あの男は事もあろうに、どこの馬の骨か判らぬ娘を腕に抱き、学園の卒業記念のダンスパーティーのホールで婚約破棄を口にしたのだ。姫様との婚約を破棄し、その娘と婚姻を結ぶと」
「んまぁ! 何ですって!?」
白からの説明に、夫人の顔色が変わりましたわ。いえ、顔色だけでなく先程までの妖艶な美女の顔が……
竜の様に口が裂け、牙を剥きだし、そして目が、目が、大きく吊り上がりました!
「何と言う無礼な!! そんな男は私が八つ裂きにしてやりますわ!!」
綺麗に整えられていた爪は、今では掌の倍程にまで伸びて鋭く尖っています!
不味いですわ。これ以上六鯉夫人を刺激したら本当にハインツ様を殺しに行ってしまいそうです。まあ、遅かれ早かれな感じも、しないではありませんけど。
間違ってもハインツ様に言われた、私の容姿についてなど聞かせられません。アッと言う間にその鋭い爪で首を刎ねそうですもの。
「とにかく、約束を違えた今、私がフレンド共和国にいる事も無いですしね。それに、今後のフレンド共和国の事を思えば、馬鹿な支配者やその関係者などバッサリ切り捨てて、後腐れが無いようにした方が良いでしょう? ですから、思い切って開戦してどう出るか見てみようと思うの。大人しく降伏するか、それとも戦うか。その時は容赦しないですけど」
メイドがお茶をサーブしてくれました。良い香りにほっとして、ゆっくりと喉を潤します。
「ということで、六鯉夫人。貴女にも協力して欲しいの」
さあ、お楽しみの時間ですわ。
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次話、フレンド共和国サイドです。
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