1. 婚約破棄は最悪の始まり
やらかし男にはお仕置きが必要です。
「はて、ハインツ様。もう一度言って下さいませな?」
今日はフレンド共和国の国立高等学院の卒業パーティーでございます。広いダンスホールは煌びやかに飾り付けられ、沢山の紳士淑女候補? の生徒の皆様が今まさにダンスを踊ろうとした時です。
ホールの真ん中で、響き渡る大声を発したのは……私の目の前で仁王立ちでいらっしゃる婚約者のハインツ・ローデル・パリックス様。この国の元首様のご次男でございます。
「だから! コーコーキ・ハクレン・リー!! 君との婚約をこの場で破棄させて貰う!!」
私、煌々姫・白蓮・璃と申します。そうです。たった今、目の前でハインツ様から婚約破棄を言われた者でございます。
しかし、今の呼ばれ方。発音も何もなっておりませんわ。私の名前を適当に覚えて、適当に共和国の言葉に音読したみたいで、まるでバカっぽい言い方になっておりますわ。ええ、呼んでいる方がバカっぽいという事ですけど。あら私としたことが失礼致しました。でも私達婚約してからすでに7年目も経とうとしていますから彼の学習能力が疑われますでしょ?
「ハインツ様。私の名前は煌々姫・白蓮・璃。でございます。婚約者の名前ですから、せめて正しく発音して---」
「うるさい! そういう所も耐えられないんだ!」
……私の言葉を遮って言った言葉がそれですか。
「いいか!? とにかくお前とは婚約を破棄する! そして新たに此処にいるマリアンナ嬢と婚約する!」
大勢の学生たちが見守る中、ホールの中央にはハインツ様と見たことのあるご令嬢が。
ああ、そう言う事ですのね。そのご令嬢と懇ろになったから、私との婚約を破棄したいという事ですか。全く余りにバカっぽい理由に溜息が出そうです。いや、堪えきれずに出てしまいました。
「ふうっ」
「!? 何だその溜息は! イイか? 貴様とは金輪際会う事は無いからな!」
君からお前、そして貴様へと三段活用で呼び方が変化しました。
皆様、コレが私の婚約者。ハインツ様なのでございます。
私とハインツ様は、10歳になるかならないかの時に婚約を致しました。完全なる政の利害関係のみに成立した婚約です。
ハインツ様のパリックス家は、代々共和国の有力者を輩出している名門の血統で、遡れば王制時代には王家の血を引く高位貴族であったとか、無かったとか。そんな名門一族でも、ピンからキリまでいらっしゃるのです。
お父上である元首のオーエン様は第75代元首としてご立派な方でございますけど、5人いらっしゃるお子様達が全員そうであるかと申しますと、残念ながらそうでもなさそうです。ええ、とても残念ですけれども。
ハインツ様は、そんな名門パリックス家のご次男です。パリックス家特有の明るい金髪に緩やかな巻き毛、碧くて大きな瞳に白い貌。明るく快活な雰囲気を纏った佇まいは、一部の女生徒には『親しみ易い』とか、『優しそう』だとか『明るい人』などと、まあまあの好感度を持たれていたように思えます。
尤もハインツ様と私は婚約者に決まってから、実際に15歳でお会いするまで5年近く掛かってますので、絵姿でしかお互いを確認することができませんでした。
遠く離れていた私にとって、当時は同い年の婚約者が決まった位の認識しかありませんでしたし、晴れて学園に入学してお会いする時には、この方か、絵姿通りだ。と感じた程度でございました。
だって、婚約は決め事。私にとって、婚約者がどなたであろうと拒否する事は無いのです。ええ、私からは。
「ハインツ様、お父上であるオーエン様はご存じの事なのでしょうか? 私は家からは何も聞いておりませんけど。正式な申し入れはお済みなのでしょうか?」
「ち、父上は関係無い! 僕の婚約者の事だ。僕の婚約者の事を僕が決めて何が悪い!? そもそも、最初から貴様との婚約などしたくなかった!」
今さら。何を言い出すのかと思ったら、そんな事をさらりと言い出したりして。本当に考え無しですのね?
「ハインツ様。この婚約に貴方様のご意志は関係ございません。それよりも、伺いたい事がございますけど、そちらにいらっしゃるマリアンナ様と新たに婚約するとおっしゃいましたわね?」
「そ、それがどうした。僕はマリアンナと結婚するんだ。貴様は随分とマリアンナに酷い仕打ちをしたようだな!? 愛らしくてか弱いマリアンナに嫉妬でもしたのか!?」
何をいっているのかしら。普段から貴方様の取り巻きとしてずっと隣にいたでしょうに。そんな方に私が何かできますでしょうか? 視界に入って来る事はあっても直接話した事も無いのですけど?
「ふん。申し開きも出来ないのか。マリアンナのドレスに水を掛けたり、音楽の試験で使う予定のピアノに細工をして上手く弾けないようにしただろう! それに貴様主催の茶会に一度も呼ばないばかりか、招待しても返事も出さない高慢振りだったらしいではないか!? まだまだあるぞ! 鞄や靴を隠したり、試験勉強の邪魔もしていたというではないか!? 何とも卑劣な苛めをしていたな!!」
「……」
「ほら、何も言えんだろう! 可哀そうにマリアンナはずっと耐えていたんだ」
「ハインツ様ぁ」
そう言ってハインツ様の腕に取りすがっているのは、栗色の髪に緑の瞳のマリアンナ様。どこから出ているのか判らない甘ったるい声で、ハインツ様のお名前を呼んでいますけど、能天気に語尾を伸ばす呼び方は、呼んでる方も呼ばれている方もなんてお花畑な感じなのでしょう。呆れてしまいますわね?
小作りな身体に見合わない豊かな胸のふくらみが、ハインツ様の腕に圧し潰されて苦しそうに見えますけど、ちらりと目線を動かしたハインツ様は大層嬉しそうに微笑んでいます。
「とにかくだ、貴様と婚約破棄をして僕はマリアンナと婚約する! そして卒業と同時に彼女と結婚する! 僕達の間に、貴様ごときが入り込む隙間など無い! 気味の悪い蛮国の女とは、漸く縁が切れるという事だ!!」
「気味の悪い。とな?」
「ああ!! そうだ! そのずるずると長く真っ黒な髪に、洞穴の様に黒い目も! そして不健康な真っ白い貌! それなのに血を飲んだように赤い唇が、まるで魔女の様ではないか! 全く以て気味が悪い」
あらまあ。そんな風に思っていらしたのですか。でも、思った以上に語彙の少ない方でしたのね? そんな程度の形容の仕方でマリアンナ様にも囁かれたのでしょうか?
私の容姿を例えるならば、『鴉の濡れ羽色にも例えられる艶やかな癖の無い黒髪。長く豊かな睫毛に縁どられた黒曜石の如く煌めく瞳に、白雪の様にシミ一つ無い滑らかな肌。そして南海で生まれた赤珊瑚の様な、まろやかに艶めく唇の美少女』 でしょう。
「私の容姿がお気に召さなかったとは、今更ですが残念ですわ」
頬に手を当てて、肩を竦めて答えます。
「容姿だけでは無いわ! そのいつも上から目線の物言いや、我関せずと僕の事を見もしなかった事もだ! それに、マリアンナに陰険な苛めを加えていた、その腐った精神もだ!」
私の背後から物凄い殺気が漂っています。私は持っていた扇を後ろ手に持ち替えると、殺気の主に向かってひらりと一振りしました。
『まだ早い』
そう合図を送って、変わらぬ笑顔で真正面に立っているハインツ様を見詰めます。私より先に後ろがキレそうですわ。
「ハインツ様。これだけははっきりと申し上げます。私はマリアンナ様に苛めなどしておりません」
「この期に及んで、まだそんな弁明をするのか!? マリアンナから一部始終聞いている! 貴様以外に誰がするんだ!?」
背後からの殺気がぶわっと再び大きくなりました。気持ちは判りますけれど、もう少しこの茶番に付き合って差し上げましょう?
「ハインツ様? なぜ私がマリアンナ様にそんな事をする必要があるのでしょう? 理由が判りませんけど?」
「なっ!? 貴様は何を言っているんだ! マリアンナに言っただろう! 『私の婚約者に近づくな』と!」
「そうです! コーコーキ様はハインツ様にお前などが近づくな。無礼だと言って私に辛く当たりました!」
止めて。マリアンナ様、貴女も変な発音で私の名を呼ぶのですか。
「変ですわね? 私はハインツ様に誰が近づこうが、気にしてなどおりませんでしたけど?」
そこでにっこり微笑むと、ハインツ様の顔が一気に真っ赤になりました。
「な、な、なんだと!?」
「ですから、私はハインツ様がどなたと親しくされようが、どんな方と懇意にされようが気にしていませんから。勿論、マリアンナ様以外の女性と只ならぬ関係を築かれようが、愛を囁こうが、私は一切構いませんのよ?」
「マリアンナ以外とも…‥?」
「ええ。私は貴方の婚約者ですけれど、それはあくまでも家同士の約束事。
特にハインツ様と私は、大きな政の一部ですから、個人的な感情など些細な事でお互いを縛る事も、傷つける事もございませんでしょう? ですから、私から貴方の恋愛事情やら何やらに、口など挟む必要は無いのでございます。私が今までハインツ様にご注意した事はございますか? あくまでも恋愛や異性関係についてですけど?」
「……な、無いかも……」
「で、でも! 私はコーコーキ様から虐められました。く、靴を隠されたり、水たまりに突き飛ばされたり!」
黙り込んでしまったハインツ様の隣で、マリアンナ様がプルプル震えながらキャンキャンしています。
「マリアンナ様、私の名前は煌々姫です。せめて正しく呼んで下さいな? フランド共和国の社交界は11の国の集まりですから、幾ら共通言語が浸透しているとはいえ、正しい名前の呼び方が出来なくてどうしますの? それに、先程も申し上げた通り私が貴女を貶める必要など無いのですよ? 話を聞いていまして?」
そろそろ限界でしょう。私の背後で殺気を放っているモノが、今にもキレそうですから。
「ハインツ様。それでも私と婚約破棄をなさりますか?」
天上の微笑みと言われる笑みを浮かべて尋ねました。
「と、当然だ! き、貴様とは婚約破棄をする!!」
この、阿呆めが。でも、この阿呆は自分の役割をちゃんと全うしてくれましたわ。
「ハインツ様、判りました。貴方のご意思、しっかりと伺いましたわ」
もう、もう! 頬が緩んで大笑いしたい位ですわ。でも、ここは冷静に、そして優雅に、艶やかに再び天上の笑みでお応えしましょう。
あらあら? 何やらホールの外が賑やかですけど。きっとこの茶番劇の事が知らされたのでしょう。賢しい誰かのお陰でもっと面白くなりそうですわね。
「ハインツ様。お父上にお伝えくださいな。璃家との約束は違えたと。それでは私はこれで失礼致しますわ。今までありがとうございました」
そう言って優雅なカーテシーでご挨拶をすると、さっきまで殺気(ダジャレではないのですよ?)で燃え上がりそうだった背後の二人を伴ってベランダ迄真っ直ぐに進みます。するとまるで海が割れるかの如く、何層にも重なっていた人の波がさぁーっと道を開けます。
婚約破棄をされた私を見る目に、蔑みや冷ややかな眼差しは感じられません。寧ろ、そこには羨望と憧れと、畏怖が感じられます。誰が見てもハインツ様とマリアンナ様では、私と対等に勝負が出来ませんから。学園での立ち位置そのままですわね。
燃える様な紅髪と白銀の髪の青年が、私をエスコートしながら大窓を開けベランダの床に跪きました。
「それでは、皆様御機嫌よう」
そう言ってホールに眼を向けると、大勢の大人達が広間に駆け込んできたのが見えました。まあ、随分沢山のおじ様達ですわ。
「お、お待ち下さい!! 煌々姫様!」
ハインツ様のお父様、元首のオーエン様ではありませんか? 随分顔色が悪いように見えますけれど。
「行きましょう? 白、紅」
二人に声を掛けると、ゆらりと空間が泡立つように揺らぎました。そして白色と紅色の光がぶわっと辺りに溢れ……
「「「り、竜!?」」」
二人の姿が、白銀と紅色に輝く二匹の竜の姿になったのです。あら、皆さん驚いて口を開けたままですわ。確かに、今まで学友として過ごしていた二人がいきなり竜に化身したのですものね。
私は白竜の背に腰を掛けると、大口開けて阿呆面をしているハインツ様とマリアンナ様を一瞥し、腰を抜かさんばかりに立ち竦んでいるオーエン様に向かって一言お伝えしました。
「開戦ですわ」
浮世離れした超絶美少女の姫君と美しい従者が登場します。
しかし、開戦って……どんな約束があったのでしょうか……
やられたら、数倍ににしてやり返す上に
周囲を巻き込んで炎上させたいですねぇ。
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