3、留置所から始まる何かを期待するのは、無謀かな。
同時通訳は、異世界語と同じ『』へ統一します。
「」は日本語、または同時通訳なしの異世界語です。
『申し訳ない。彼は他地域でも同じようなことをして、この国境に近い田舎へ左遷されてきたのだが・・・あれはもう、病気だな。監査対象になっているから、そろそろ罰金刑でもついて首にされるだろう』
海髪の青年、デジデリウスの上司にしては若いな。という印象の、厳つい顔の30代後半(推定)男性は、私をハアハアしながら見張っていたキショいハゲを縛り上げ、丁寧に頭を下げてから言いました。
『かく言う私も、同僚を殴ってここへ左遷されてきた口でな。活動報告書の提出が義務付けられている、監査中の身なんだ』
そう続けて、恥ずかしそうに後頭部を掻く姿から、言葉より先に手が出るタイプなのかと推測しました。キショいハゲを、無言で、背後から、襲撃していましたし。
そういえば、私を捕らえた時も衝動的な感じでした。挙句、速攻で部下へ丸投げして出張してますし、ね。その出張理由が、監査報告のためだったのかもしれません。
ただ、境遇に腐っている感じはないのと、容疑者である私にも頭を下げて謝罪できることから、誠実な人でもあるようです。
私が容疑者扱いのまま、ひどい扱いも受けず、ずダラダラ留置所ライフを送っていられるのは、いろんな意味で彼のおかげなんでしょうね。
というのも通常でしたら、容疑者は事情聴取後、容疑が確定しない場合、この町から出ないように言われて解放されるからです。そして、その上で許可なく町から出ると、逃亡とみなされて投獄されます。
しかし私は言葉が通じませんでした。なので留置所から出すことができなかったらしい。
しかも捕まえた張本人であるこの方。この小さな詰所の所長役が出張してしまわれたものだから、私の扱い方が曖昧になり、「とりあえず所長が帰るまで現状維持でいいか」で、現在に至っているようなのです。
今日まで20日間、留置所ライフを送ってきた私にとって、1番の不満は先程のキショいハゲの存在でした。
それが無くなった、今!今後の、目撃者が帰るまでの生活が、楽しくなること間違いなしです。とはいっても、できることに限りがあるので、やることに大きな変わりはないのですけど。
厳つい顔の上司がキショいハゲを連れて留置所を出て行き、それをニヤニヤしながら見送っていた私の前へ、恐い顔をしたデジデリウスが現れました。
おっと。そういえば、鉄格子に触れていると怒られるのでした。
看守の1人である眼鏡青年によると、脱走の意思ありとみなされ、場所によっては折檻を受けるのだとか。
私はすぐさま鉄格子から手を離し、留置所の中央まで後退しました。今のところ、折檻を受けたことはありませんが、上司が帰ってきたことにより、私の扱いが変わるかもしれませんからね。
おぉ・・・くわばらくわばら。
「これでいいか」という思いを込めて、にっこり笑ってみたら、デジデリウスの眉間の皺がさらに深まりました。
なんでしょう。何かまずい事をしてしまったのでしょうか・・・。
はっ!あれか!
キショいハゲの所業を、私が上司に愚痴ったせいで人員が減り、仕事が忙しくなってしまうからとか?!
もしくは、連帯責任で罰を受けてしまうのかな?!
そんなわけで、ここ1週間、見張り時に私へ言葉を教えたことを、後悔していると!
『なぜ、俺に言わなかった?』
うん。やはり。
ここはとっとと謝罪するべし!
私はすぐさま頭を下げて、そこから見上げるようにしてデジデリウスへ視線を向けました。
『ごめんなさい。昨日、上司、困る、無い、聞く。私、答えた。デジデリウス、忙しい、なる?怒る、される?・・・ごめんなさい』
目を見ていないと、まだわからない言葉が多いので、じっとデジデリウスを見上げ続けます。
すると彼は、へにょっと眉尻を下げて、軽いため息を吐きました。その目線が泳いでいるせいで、次の言葉が同時通訳されませんでした。
「@*+、¥-^&あ$$#」
始めの『悪い』という、簡単な謝罪の言葉しかわかりませんでしたが、とりあえず赦されたようです。もう一度、頭を下げて謝罪の言葉を口にしたら、何故だか物凄くバツの悪そうな顔をされました。残念ながらその視線が、あらぬ方を向いていますので、勝手に心情を読み取ることもできません。
もしかして、教えてもらった謝罪の言葉が上手く言えていないのかな。それで笑いを堪えているとか。せっかく教えていただいたのに、不出来な生徒で申し訳ない。
そのまま、なんとなく居心地の悪い、互いの出方を探るような空気に包まれました。確かに、私はデジデリウスの出方を待っていますから、その通りなのですけれども。
この世界にやってきて、初めての友人、と言っていいのかわからない、実際に彼は看守なわけなので、友人と言ってはいけないんだけど・・・うーん。どう表現していいのか、わかりませんね。
えっと。
とにかく、嫌われたくない相手なわけなのですよ。デジデリウスは。
そんな緊張のためか、手汗が出てきてしまいました。
私はスカートの皺を直すふりをして、手汗を拭います。その動きが気を惹いたのか、こちらへ視線を向けてきたデジデリウスが、手に持っていた布袋から何かを取り出しました。
そして何度かためらった後に、鉄格子ギリギリまで近寄ってきて、格子の間からその、青い何かを差し入れます。形状からして、おそらく服、でしょうか。
『これを・・・』
受け取れという意味なのは解りましたが、留置所の住人へ支給するにしては、どう見ても材質が良すぎる気がするのですよ。それに、海を連想する鮮やかな青は、色褪せた様子がなくて、なんだか新品っぽい。中古ですらないとか、どういうことなんですか?
戸惑っていたら、デジデリウスがまた、恐い顔になってきました。つられて、私の顔も強張っていきます。
先程より大量の手汗を、今度はスカートを握ることで拭いて誤魔化していたら、デジデリウスが恐い顔のままでため息を吐きました。
『俺が信用できないのは仕方がない。だが、着のみ着のままでは辛いだろう?心配しなくても、上司の許可は貰っている。着替えに使うといい』
私は慌てて鉄格子へ近付き、差し出された服を受け取りました。
『信用、ない、ない!私、デジデリウス、する。してる、信用!ありがとう!!』
受け取った服を胸に抱いて、その綿っぽい、柔らかな手触りに、自然と笑みが浮かびました。こういう場合の囚人服と言ったら、麻の貫頭衣を想像していただけに、かなり嬉しい!
それに「クリーニング」の魔法で綺麗にしているとはいえ、ずっと同じ服を着ているのは女子として、地味に苦痛でした。
早速、着替えようと、留置所の奥へ走りました。石のベッドの上へ貰った服を置いて、着ているブラウスのボタンへ手をかけた所で―――視線を感じて、振り向きます。
すると顔を真っ赤にして、口を片手で覆っていたデジデリウスと、目が合いました。
『ヒヨリ!こ、これは!違うんだ!決して、覗こうとしていたわけではなくて!その!ひ、ヒヨリの笑顔に見惚れ・・・って、違・・・わないっ!』
なんか1人でわちゃわちゃし始めたデジデリウスは、両手で顔を覆うと、唸りながらフェードアウトして行きました。おそらく定位置へ戻ったのだと思われます。
うーん。ま、いいか。
とりあえず着替えてしまおうと決めて、簡素だけど、それがまた上品に感じる、青いワンピースに袖を通しました。襟と長袖の手首の部分は折り返しになっていて、スカートの丈はひざ下。アラサーにふさわしい露出度が心地いいい。
やや腰回りが緩いのは、強制ダイエットの結果でしょうか。
この4週間にわたる留置所ライフの成果にほくそ笑みながら、脱いだ服を丁寧にたたみます。
そして、いただいた以上は報告するべきであると思いますので。鉄格子に触れない程度まで近付いて、デジデリウスを呼びました。
すぐにやってきたデジデリウスは、私を上から下まで眺め、いつも通り足元を凝視してから、手を差し出しました。なんとなく顔が赤いのは、先程の名残でしょうか。
『脱いだ服を預かろう』
「え?」
じっと彼を見つめ続ける私に、言葉が通じなかったと思ったのか。デジデリウスが、石のベッドの上に置いてある脱いだ服を指し、言いました。
『持ってこい』
なんだかよくわからない焦燥にかられ、茫然としてしまって、私は動けませんでした。
彼が、私の服を取り上げようとしているわけではないのは、わかっています。
保管しておいてやろうとか、洗っておいてやろうとか、そう言った親切心からくるものだと、わかっているのです。
でも。それでも・・・。
今まで着ていた服が、手元から無くなるという事が。
私と、元の世界とのつながりのような。私が、異世界から来た証のようなそれが、見えなくなってしまう事が。
物凄く、心細く感じて。
それに気付いたら、もう駄目でした。
「ふ・・・うぅ~~~~っ!!」
涙が、拭っても、拭っても溢れてきて。
始めは抑えていた声も、徐々に抑えきれなくなって。
私はついに、子供のように泣き始めました。
「わぁ~ん!ひっぐすっ・・・うぅあ~ん!」
『ヒヨリ!ヒヨリ!どうした?!』
鉄格子の向こうでデジデリウスがオロオロしているのがわかりましたが、涙は止まらないし、しゃくり上げてしまって言葉にならないしで、ただただ泣き続けることしか出来ませんでした。
帰りたい!
帰りたい!
帰りたい!
そろそろ結婚しろと煩い母に会いたい。
アラサーの娘に彼氏が出来るたびウザくなる父に会いたい。
嫁の愚痴を吐きつつどこか幸せそうな弟に会いたい。
苦手意識を隠して健気に話しかけてくる弟嫁に会いたい。
ひたすら可愛いだけの姪っ子に会いたい。
時々しか会えないけど会えば楽しい友人達に会いたい。
帰りたい!
帰りたいよぉ!
泣き声がほぼしゃくり上げになり、ヒグヒグ汚く泣く頃になってようやく、私は頭に触れる何かに気が付きました。
優しく、左右に行ったり来たりするそれは、固くて、ゴツゴツしています。そして時々、髪に引っかかって動きが止まり、それを丁寧に解き、それからまた動き始めました。
そっと顔をあげた先には、予想通りデジデリウスがいて。困惑したような、申し訳なさそうな、情けない顔で私の頭を撫でていました。
鉄格子越しだけど、彼の優しさが伝わって来て、何だか胸が温かくなります。
異世界へトリップしてしまった事は、微塵も全く嬉しくありません。しかし、彼と出会えた事にだけは、よかったと思えました。
気分がやや上向いて、ゆっくりとですが、デジデリウスを安心させるように口角を上げる事が出来ました。
それにニカッと歯を見せて笑って応えたデジデリウスは、私の涙を親指で拭ってから言いました。
『心配するな!俺が真犯人を捕まえて、ヒヨリの無実を証明してやるからな!』
的はずれですが、デジデリウスの気遣いがとても嬉しくて。
でも・・・歯科衛生士と言う職業柄、どうしても彼の・・・折れてなくなったような、左側上顎中切歯と側切歯、欠けた犬歯に目がいってしまって。
ややイケメンなのに惜しいな。と、思ってしまったのは、顔に出さないよう細心の注意を払って、隠し通しました。
その翌日、午後。「これ、家の嫁から」と、相変わらず事務的に下着(ヒモパンとキャミソールのような感じ)を渡してきた眼鏡青年と、本気出しちゃったらしいデジデリウスが、私に激似なスリを捕まえてきました。
それによって急展開を迎えるのですが・・・まだ何も知らない私は、デジデリウスより5年も後輩であり、確実に私より年下っぽい眼鏡青年が妻帯者であるという事実に、衝撃を受け。ついでに、「やはりあの、笑った時に目立つ前歯の欠損がマイナスなのか。」と、塩っぱい気持ちになりながら、就寝の準備をしたのでした。
主人公がまた歯科衛生士なのは
1、ペトラが歯科衛生士だから。国家資格なんだぜ。
2、歯科材料業界に勤めている。衛生士さんの制服可愛いハスハス。
3、歯科衛生士さんに働きに来てほしいけど来てもらえない、ド田舎の歯科医院経営者。衛生士さんホシイ。
4、深い意味は無い。だって毎回考えるの面倒いし。
のどれかが理由。
かもしれない。