1、留置所から始まる何かを期待するのは、間違っている。
言葉の通じない異世界人が、道端に落ちていたなら・・・
ペトラは確実にお巡りさんを召喚するでしょう。
「ぐぎゃ」
強かに硬い地面へ尻もちをついて、図らずも可愛げのない声が漏れました。目には視界を霞ませるほどの涙が、痛みの為に滲んでいます。
大の大人が階段を踏み外して尻もちをつくとか、恥ずかしくて、顔があげられない。
しかし人の少ない平日の昼間とは言え、いつまでも公共かつ、人目のある駅の階段で座り込んでいるのは、さらに恥ずかしい。アラサーにふさわしい丈のスカートをはいているので、パンチラはしていないはずですが。
私は立ち上がるため、地面へ手をつきました。足の力だけでは立ち上がれない、運動不足による体力の低下が悩ましい。ちらっと浮かんだ「加齢」の2文字はなかった事にします。
「ん?・・・砂?」
踏み外した階段は幸いにも最後の1段だったので、記憶が確かなら点字ブロックの上、もしくは近くであるはずです。そうでなくても駅構内はタイル張りでした。
こんな・・・懐かしい記憶の中にある、砂地の運動場のような感触であるはずがありません。涙でぼんやりしたままの視界では、その正体を知ることはできませんが、きっと誰かのいたずらで砂が撒かれていて、私はそれに足を取られて転んでしまったのでしょう。
ひどい事をする人もいたものだと、ため息を吐きつつ立ち上がりかけて、誰かに背中を押されました。
「ぐぅっ?!」
急なことに何の反応もできず、地面へうつぶせで倒れ込んでしまいました。かろうじて横を向いたため、地面とキッスする事態にはなりませんでしたが、頬にべったりと砂が張り付いた感触がします。
悪意あるいたずらの、新たな犠牲者でも降ってきたのでしょうか。今日はとことん、ついていませんね。
またため息を吐いたところで、無理やり両手を背へ回されて拘束されました。
「あ-l:ん・l@。・、¥;0-¥?!」
私の背後にいる男性が、何やら大声で訊ねてくるのですが、全く聞き取れません。と言うか、日本語でさえないような。外国の方でしょうか。
それにしても、助け起こそうとしているにしては乱暴すぎですよ。
「@;@あ-l:ん・l@。・、¥;0-¥¥?!」
相変わらず、同じようなことを叫んでいる男性は、私の腕を後ろ手に固定したままゴソゴソしています。何をしているのか見ようと体をひねったところ、バランスを崩した背後の男性の足が私の顔の目の前まで滑ってきて、やっと涙が引きかけた目に砂が入ってしまいました。
「いぅ~っ!!」
先程の比ではない涙があふれてきて、再び視界がはっきりしなくなります。
「:l%&”~|お>!」
そんな私の肩を両側面から掴むようにした男性は、またわからない言葉で話しながら、私を立たせます。そして「ちっ」と舌打ちをしたかと思うと、おもむろに私を担ぎ上げました。
乙女の憧れお姫様抱っこではなく、俵を抱えるかのように。
「え?えぇ?!」
なんだなんだ?医務室にでも連れて行ってくれるのですかね?
舌打ちは万国共通なんだなと、どうでもいい事を考えながらダバダバと涙を流し、大人しく抱えられること、3分ほど。
「え?あれ?」
気が付いたら、バレーボールくらいの壺と簡素なベッドがあって。3方が石造りで1面が鉄格子の、薄暗い留置所の中に閉じ込められていました。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
おいおいおいおいおいおいおいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!
「ちょっと!どういう事ですか?!まさか、あの砂を撒いたのは私だと思われてるんですか?!違いますよ!違うんですよ!ちょっとー!!」
「*=}‘い>?}<_@!!」
割と近く、鉄格子に顔を押し付ければ何とか見えるくらいのところに人がいて、相変わらずどこの国のものだか、全くわからない言語で怒鳴りつけてきました。
えぇ?!ちょっと待って!
ここはたぶん留置所的な所だと思うのですが、看守?というか見張りと言うのか。そんな役職に日本人ではない。ましてや日本語の話せない人を就けるほど、日本の警察は人手不足ではなかったはずです!
しかも、横目でしか見られない彼の髪の色ときたら!
セルリアンブルー!
南国の海の色ですよ!
警察官としてあり得ない!!
衝撃のあまり、もっと彼をよく見ようとして、身を乗り出して・・・鉄格子の隙間に頭が嵌りこみました。
やばい。抜こうとすると耳が痛い。
見られたら爆笑されるのは必至なので、静かに、気付かれないようにそっと行動したのですが、不審な動きが気になったのか。ランタンの明かりの下で日誌らしき物を書きつけていた看守の青年が、ふ、と顔を上げました。
私の体制に気付いた青年の、猫のような金色の目が細まり、口角がぐっと上がります。
その金の瞳に目を奪われ、動きを止めた私の耳に、押し殺した声が聞こえました。
「くくくっくくっ!」
笑い声も万国共通のようです。始めは目をそらして口を片手で覆う程度だった青年が、ついに机へ突っ伏して、肩を震わせ始めました。
ええと。考えたくはないのですが。
この、目の前の、西洋人風の顔貌でややイケメン寄りな青年の、ありえない髪と瞳の色。映画やドラマ等でしか見たことが無い、騎士っぽい服装。そして今時、観光地でしかお目にかかれなさそうな、堅牢な石造りの牢・・・留置所。
まさか・・・まさかの・・・。
「異世界トリップ?」
つい数時間前、平日の休みにランチした友人が仕掛けたドッキリでなければ、その可能性が濃厚です。と、いうか3歳になる子供が保育園へ行っている間しか自由な時間が無いと、洒落たフレンチを久しぶりだと感動して食べていた友人が、そんな暇人の遊びのようなことをするはずがない。
東京で真面目に社会人をやっている弟が、わざわざドッキリする為だけに、地方都市まで大型連休でもないのに帰ってくることなんてないだろうし。定年間際の父親も、パートで暇を潰す母親にも、こんないたずらを仕掛ける茶目っ気はない。
静かに項垂れた私に、笑いをおさめた看守の青年が近づいてきました。2メートルくらいありそうな高い位置から見下ろしてくる金色の瞳が、警戒しつつも、ほんの少し気遣うように揺れていて、涙が出そうになります。
せめて言葉がわかったらよかったのに。
「*+‘&%う>%?(大丈夫か?)」
「ヘ?」
急に心細くなってしまった私の、願望からくる幻聴でしょうか。
海外のニュース番組のような。同時通訳のような声が頭の中に響きました。
「*+‘&%う>%?(大丈夫か?)・・・*”&~、=あ|¥_}‘@?(・・・まさか、言葉が通じないのか?)」
茫然と見上げた先の、私より頭ひとつ背の高い彼の目を凝視していたら、また声が聞こえました。先程と同じ言葉、かつ内容から、それは青年の発言の内訳なのだと思われます。
返事もできず、ただ見つめ続ける私が不快だったのか、青年が目をそらしてしまいました。
「*=あ~’%##・・・はぁ」
今度は同時通訳されませんでした。どうやら、目を合わせていないとダメなようです。
そしてやはり万国・・・異世界でも共通らしいため息を吐いた青年は、また私へ視線を戻して眉尻の下がった、扱いに困っているような顔で口を開きました。
「%&=~||お*+。(容疑者に上司の許可なく触れることはできない。)=~う$%$’&#い+‘*、え#¥^-**(どうしても抜けない場合は応援を呼ぶから、何でもいいので叫べ)」
容疑者?何の?
この世界にやってきたのはつい先程ですし、元の世界でも犯罪なんてしていません。あ、もしかして、トリップで落ちた先が進入禁止な場所だったとか?
しかしそうだとして、弁解しようにも言葉がわかりません。途方に暮れてじっと青年を見つめたら、またため息をつかれました。
(通じたのだかわからないが、抜けずに焦れば何かわめくだろう)
おや。今のは同時通訳ではありませんでした。
もしかして、目を合わせていると心が読めるとか?
・・・・・・・・・まさか、ね。
確かめたかったのですが、青年は視線を落として私の足元を暫く凝視したかと思うと、くるりと踵を返して元の机のところへ行ってしまいました。どうやらそこが彼の定位置のようです。そしてそのまま書き物を始めました。
とりあえず。この鉄格子からの脱出は、まず自力でどうにかしてみなければいけないようです。
もう青年にはバレてしまったので、今度は動きを制限することなく、頭を引き抜くこうとしてみました。が、やはり耳が痛い。
こう、もうちょっと。ほんの少しだけ鉄格子が横に広がってくれるだけで―――。
「んん?」
抜けた。
そして掴んだままの鉄格子が、気持ち歪んでいる気がする。
「・・・・・・・・・」
ん。気のせい。
気のせいに決まっている。
私は鉄格子からそっと手を離し、ゆっくりと後ろへさがります。そして鉄格子へ背を向けました。
もちろん現実へ背を向けたわけではなく、改めて留置場の中を見合わすためですよ。当たり前じゃないですか。
振り返った先にあった石づくりの壁と、それに続く石造りの床の隅には、入れられてすぐに目に入ったバレーボールくらいの壺があります。これはきっと、信じられないけれど、受け入れたくないけれど・・・トイレですよね。やはり。
そして反対側の隅には藁が敷いてある石のベッド。小汚い毛布付き。石の上で直に寝るわけではないだけ、ましなのでしょうか。
視線を上げれば、手を伸ばしても届かない、高いところに、窓と言っていいのかという程度の細い隙間があり、生活には困らないけれども、細かい作業には向かないくらいの太陽の光が入ってきています。しかもそれしか光源が無い。夜はきっと、真っ暗です。
外はどうなっているのでしょうか。
無駄と知りつつ手を伸ばしてみて、つま先立ちにもなってみましたが、やはり届きません。ならば・・・とジャンプし―――。
「ごっ?!」
くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!!!!痛い!目に星が飛びましたよ!!
ガンガン響く痛みに頭を抱え、蹲っていたら、青年が様子を見に来ました。
「*+‘&%う>%?(大丈夫か?)」
痛みをこらえながら、それでもしっかり目を合わせれば、ちゃんと同時通訳されました。通じないのは分かっていても、心配してくれたのを無言で返すのもどうかと思い、日本語で返します。
「大丈夫。頭を打っただけ」
いっそこちらの言葉も通じたら・・・と思ったのですが、青年は首を傾げただけでした。
(どこの言葉だ?さっぱりわからん。これでは尋問できそうにないな)
どうやら同時通訳は私にしかされないようです。落胆のあまり目を伏せたら、問題ないと判断したらしい青年は定位置へ戻っていきました。
驚いた。
驚きすぎて、異世界にやってきた不安とか、閉じ込められている恐怖とか。そう言った落ち込む要因になる気分が遠のきました。
私は3メートルは先にある、天井の、私の頭の形に凹んでいるへこみを見上げて、次いでそこから崩れた石のかけらを掴みます。普通に握っただけでは何も起こりませんでしたが―――。
「砕けろ」
めしゃっと。あっけなく。
ゼリーを潰すような微かな抵抗だけで、石が握りつぶされました。
「・・・・・・・・・・・・」
うむ。これならば、いつでもここから逃げられそうです。
しかし、何の情報もない。言葉もわからない、無一文の状態で外へ逃げ出して、異世界トリップ早々逃亡犯になった私は生きていけるのでしょうか。
水洗トイレもなさそうな文明の世界で。
無理。
きっと野垂れ死ぬ。
だったら、この状況を利用させていただきましょう。
とりあえず雨風がしのげて、きっと最低限の生活を保障してもらえそうな留置所の中にいて、少しずつ情報を得ることにします。もし、処刑されそうになったり、危害を加えられそうになったなら、その時この異世界人チートと思われる力でもって、逃げればいいのです。
そう決めたら、急に疲れてきました。
暑くも寒くもない。洞窟の中に似た、過ごしやすい気温の留置所には、現在、私しか住人がいないようです。石のベッドに敷き詰められた藁の上へ横たわってみたら、チクチクはしましたが、畳の上くらいの硬さでした。スプリングの利いたベッドが恋しい。けれども、野宿よりはましでしょう。
看守の青年が書きつける音と、遠く微かな鳥の声をなんとなく聴いていたら、だんだんと遠くなってきて・・・私は睡魔に身を任せました。
続きは明日