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勇気・練習試合デビュー

 翌週、練習試合が始まった。空は厚い雲に覆われ、今にも何かを落としてきそうな色あいをしていた。


 午前中は高学年チームの試合がある。高学年チームは七イニング制で行われる。監督の背番号は三十。ベンチに入れるコーチは監督の他に三人まで。ヘッドコーチの勇介は二十九。その他に一人、お母さんがスコアラーとしてベンチに入れるようだがスコアの付け方を誰も知らないらしく、イーグルスでは伝統的にスコアを付けていないらしい。


 そのことも先週木村コーチが教えてくれた。スコアは絶対必要な物だ。そこで勇介は博美に覚えさせることにした。


 スコアブックを自腹で買い、一週間みっちり教えた。まだ細かいところまでは覚えられていないが、初歩的な書き方は覚えたようだ。


 初回、相手のエラーに助けられ一点先制。


 しかしこちらもエラーが続き、あっさり逆転されてしまう。特に内野手の一塁への送球ミスが多かった。

 キャプテンでエースの三浦は頑張っていた。まともに捕えられた当たりのヒットは五本。七イニングで五つの被安打であればせいぜい二、三失点で済む。しかし少年野球ではどうしても複数のエラーが絡む。結局、十一対一で負けてしまった。


 試合後、監督を囲み全員で反省会をした。選手の全員が今日の反省点を口にしていた。そして最後に監督が勇介に振る。


「金子ヘッド一言お願いします」


「はい。まずこの反省会なんですけど、三浦が言った『ボールが高めに浮きだして修正できなかった。』とか、大久保が言った『一塁への送球が悪かった』とか、西脇の『センターオーバーのボールの追い方が悪かった』とか。みんな自分の悪かった部分を認識してちゃんと反省できていると思います。ただそれだけやなくて、いいプレイをした選手に対してあの時どういう気持ちで打席に立ったのか、どういう球を狙っていたのか、なんであの場面でその球を狙ったのか、っていうのも聞いてみようや」


「いいですねー」


 監督が腕組みをしながら頷き、勇介に同意した。


「ほな三浦に聞くで。初回、相手のエラーで一番が出塁して二番が送りバント。一アウト二塁になったやろ? ほんで三番のお前はどう考えて打席に入った?」


「あ、はい。とにかくランナーを三塁に進めて四番の大久保に回したかったので、セカンド方向に叩きつけようと思いました」


「せやな、あのセカンドゴロはいい進塁打やったな。その時ストレートを打ったやろ? ストレート一本に絞ってたようなタイミングでスイングしてたやんか。ストレート狙ってたんか?」


「あ、はい。前のバッターの時、カーブが入らなくてカウントを悪くしていたのでストレートを狙ってました」


 他の選手もコーチ陣もなるほどと納得したような表情で三浦の話を聞いていた。


 昼食を食べ、午後は低学年チームの試合が始まる。風もなく、嫌な雲は差ほど移動していないようだ。


 低学年チームは五イニング制。高学年チームの試合にも九番ライトで出場していた四年生の木村卓弥が低学年チームのキャプテンである。木村監督の次男坊のようだ。長男の木村翔弥はすでに中学三年生。南浦安中学で野球部のキャプテンをしているらしい。木村監督は長男の翔弥が小二の頃からコーチをしているらしく、コーチ陣の中では一番の古株である。


 ほどなく試合が始まった。両チームが審判団を挟み整列する。勇気はもちろんベンチスタート。


「お兄ちゃん、頑張れー」


 栞那が応援にきたようだ。


 家族ぐるみでロッククライミングをしている中川さんの奥さんに午前中は栞那を預け、近所にある屋内のロッククライミング施設で汗を流してきた後、勇気の試合に間に合うように栞那を連れてきてくれた。


「中川さん、ありがとうございました」


 博美が中川さんにお礼を言った。


「栞那、楽しかった?」


「うん楽しかったー!。ねえねえ、ママ聞いて。あのね、栞那ね、前より上まで登れたんだよ。それでね、あのね……」


「栞那ごめん。ママこれから試合のスコア付けなきゃなんないから後でね」


 もっとたくさん話したかったのであろう。小さな頃からかなりのおしゃべり娘である。四歳から保育園に通いだした栞那はその日の保育園での出来事を弾丸のように勇介に話し出した。勇介はテレビでプロ野球を観ており、


「栞那、一分間でいいから黙ってて!」


 と勇介が栞那に怒ると大泣きしてしまったことがある。その後、博美に勇介がしこたま怒られてしまったのは言うまでもない。


 試合は序盤からエラーとフォアボールの山だった。三回終了時点で八対三とリードを許す展開。


 四回の裏、相手のエラーとフォアボールで二アウト満塁の大チャンス。バッターは四番の木村である。見事、左中間をゴロで抜き満塁ランニングホームラン。八対七の一点差となった。しかし五番バッターが倒れてチェンジとなる。


 このグランドは少年野球が二面取れる広い公園である。外野の間をゴロで抜けるとほぼランニングホームランになってしまう。


 最終回の五回裏、六番の大西修が「相手サードのエラー」ともとれる内野安打で出塁。大西の盗塁とパスボールでノーアウト三塁。同点のチャンスを作ったが七番、八番と連続三振で二アウト。


 すると木村監督が立ち上がり、審判に向かって代打を告げた。


「代打、金子」


 公式戦ならあり得ないが監督は約束通り勇気を出してくれたのだ。


「勇気! 行って来い」


 監督が勇気の肩を叩いて言った。


 バットを短く持ち、人生初のバッターボックスに立つ。


「勇気、頑張れー」


「勇気、打てー」


「ボールよく見ろー、打てるぞー。自信持てー」


 チームメイトから声が飛ぶ。


「お兄ちゃん、頑張れー」


 栞那もわくわくした表情で応援している。


 初球、高めに大きく外れるボール球に空振り。


「おいしっかりボール見ろよー」


 と四年生の声。


 ベンチの外から観ている後藤監督が勇気に声をかける。


「おー、勇気いいぞー、思い切って振れー」


 二球目、高めギリギリストライクゾーンの球に対し、またも空振り。皆が勇気に大きな声で声援を送っている。


 三球目、真ん中あたりにいい球がきた。勇気は思い切ってバットを振った。


「コン」


 当たった。ベンチから皆が身を乗り出す。応援に来ている父兄からも歓声が上がっている。


 振り遅れたもののバットの芯をくった打球は一塁線に転がった。勇気はバットを放り投げ一塁に走りだす。


「お願い抜けてー!」


 博美はスコアを付けるのも忘れ、夢中で叫んだ。


 一塁塁審の両手が大きく左右斜め上に広がった。


「ファール!」


「惜しいー、打てるぞ勇気ー」


「マジかー」


「いいぞ勇気ー」


 様々な声が飛んだ。


 博美の目がうるんでいた。ファールになったことが悔しかったのか、勇気の頑張りが嬉しかったのか。


 勇気は悔しそうな表情をしながらも少し嬉しそうだった。再びバットを拾いバッターボックスに戻る。


 そして四球目、低めのストライクゾーンにきたボールに振り出した。


「カチッ」


 バットにかすったボールは無情にもキャッチャーミットに吸い込まれた。試合終了である。勇気の人生初ヒットは幻と終わってしまったが勇介は嬉しかった。


 再び審判団を挟み両チームが整列をした。


「ゲーム!」


 主審が高々と右手を上げると、ゲームセットを告げる声が響いた。


 解散後、金子家の四人は歩きながら家路に着いていた。


「お兄ちゃん、かっこよかったね」


「せやな、惜しかったな、勇気」


「うん、今度は打つよ」


「勇気のデビューお祝いで、今日はママご馳走作っちゃおうかな」


「イエーイ!」


 栞那が博美に抱きついて喜んだ。


(勘違いするな。お前のお祝いではない)


 勇介は苦笑しながら栞那を見た。


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