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プロローグ

 小学二年生にしては少し背が高い方だろうか。生まれつき少し茶色みをおびた彼女の髪の毛は真っすぐ背中まで伸びている。色白な顔の中心にパッチリと大きく開いた瞳が印象的で、その長い髪の毛がいっそう彼女の瞳を引き立てている。活発でおしゃべり好きな女の子。


 ――金子栞那(かんな)である。


 銀行員を父に持ち、生活に不自由は全くない。


 習い事と言えば四歳の頃からピアノをやっていたくらいで、それも特に熱を入れていた訳でもない。


 ――特に熱を入れていた訳でもない。


 と、言うのは少し語弊があるのかもしれない。本人はいたって必死にやっていたし、ピアノの先生によると音楽の才能もあるとか。どうやら「絶対音感」なるものを持ち合わせているようだ。


 家族で森へキャンプに行った朝、鳥の(さえ)ずりを聞いた栞那が母に言った。


「あっ、ママ。今鳴いた鳥さんの鳴き声、『ファ』だったよ」


 母である金子博美は驚き、後日ピアノの先生に報告をした。


「栞那ちゃんくらい感性の強い子なら鳥の鳴き声が五線譜の中の音として聞こえても不思議はないですわ。私、何としても栞那ちゃんを一流の音楽家にしてあげたいです」


 一方、当の本人はというと、活発ゆえに音楽よりもスポーツの方が好きであった。友達と公園で走り回ったり、鉄棒で逆上がりをしたり、挙げ句の果てには四年生にいじめられている三年生をかばい、その四年生を蹴飛ばしたりもした。勿論その後、四年生は痛みに耐えきれず泣きながら家路に着いた。


 四年生は悔しかったのだろう。二年生の女子に蹴飛ばされ敗北をきっしたのだから。逃げるように栞那から百メートル程離れ、安全な距離を保った上で、「覚えてろよ! 痛くなんてねえし! バーカ」と、捨て台詞を吐いた。


 そのおてんばぶりを見るだけで『音楽<スポーツ』こんな方程式にも合点(ガテン)がいく。


 そんな栞那には大好きな兄がいた。一歳年上の勇気である。いつも栞那と一緒に遊んでくれる優しい兄。


 去年の夏休み、家族四人で海水浴に行った時のことである。お昼ご飯を食べ終わり、栞那は一人波打ち際で遊んでいた。


 砂でお山を作り、トンネルを作り……。


 その時突然、犬が栞那に襲い掛かり細いふくらはぎに噛みついたのだ。お昼に缶ビールを三本飲んだ父はトイレに行っており不在。母は恐怖におののき悲鳴をあげている。


 そんな不甲斐ない両親の存在には目もくれず、兄の勇気が栞那を助けるべく猛ダッシュ。勇気が犬に襲い掛かると尻尾をまいて逃げて行った。恐怖の収まらない栞那は兄に抱き付きわんわん泣き崩れた。


 おてんば栞那と言えど女の子である。上級生に喧嘩では勝つものの、狂犬の襲撃はさすがに怖かったのだろう。栞那にとっては強くてかっこいいお兄ちゃんなのである。


 * * *


 二年生になり、一週間が経った日曜の朝八時ごろ、栞那はまだ寝ていた。しかしカーテンの隙間から忍び込んできた優しい陽射しに瞼を刺激され、片目を開く。


「うー、ねもい」


 小さな両の手のひらで毛布を掴み顔に被せる。


 二度寝ほど気持ち良いものはない。そんな些細な幸せにひたり掛けたその瞬間、家の外で大きな声がした。


「もう! 誰よ!」


 渋々ベッドから降り窓際へ歩み寄る。昨晩きちんと閉めずほんの少しだけ開いていたカーテンをいっぱいに開ける。二階の自分の部屋から見えたのは散りゆく桜の花びらを背景にした、兄の勇気、そして父勇介の姿だった。


「お兄ちゃんだ。そういえば今日から野球チームに入るのか」


 栞那は小さな声で呟く。


 父、勇介が勇気の手を引っ張っている。


「約束したやろ。今日からチームに入るって」

「やっぱり嫌だー」


 勇気は幼子のように駄々をこねている。父と兄のこんなやり取りが十分ほど続いただろうか。勇気はしぶしぶ父に手を引っ張られながらグランドのある方向へ向かっていった。


 父、勇介は根っからの野球人である。兵庫県の田舎町で生まれ、小学生の時に野球を始めた。高校三年生の時はチームの四番を任される程になっていた。公立高校の中ではそこそこ強いチームであったが百五十校を超える激戦区兵庫においては、私学の強豪校に太刀打ちできるレベルではなかった。甲子園など夢のまた夢。


 ――近くて遠い甲子園――


 だったのだ。


 しかし息子の勇気は小さな頃から野球の存在そのものが嫌いだった。父がチャンネルの主導権を握っていたのである。夜のゴールデンタイムはプロ野球放送で、アニメやお笑い番組を観ることができない。


 甲子園開催時期の土日は朝から高校野球放送にチャンネルを変えられてしまい、夕方高校野球が終わればプロ野球が始まる。金子家のリビングには一日中アナウンサーと解説者の声が流れていた。


 夕方までは金属音に続く歓声が、夕方以降は乾いた木製バットの音に続く歓声が、時折アナウンサーの声を打ち消す。


 だからそんな野球の存在が嫌いだったのだ。勇介もそのことは反省している。勇気には野球をさせたいとずっと思っていたのに野球を嫌いにさせてしまったからである。


 勇介は東京の大学を卒業し銀行へ就職。妻の博美とは職場で知り合い結婚。博美は千葉県の高校でバレーボールをしていたらしく、背も高く身体能力も高い。


 勇気も栞那もそんな二人の遺伝子を受け継ぎ、体育の成績は常に学年でトップだった。


プロローグを読んでいただきありがとうございます。

「勇気」役の彼は私の娘とクラスメイトであり、私の教え子という立場の明るい男の子でした。先日の成人式、凛々しい姿で迎えるはずでした。娘の成人式帰りお線香をあげて参りました。


さて、この物語、タイトル通り野球に関するもので、「小学生時代」「中学生時代」「高校生時代」の三部構成です。


野球のルールに関するレアなシーンも出て参りますので、野球には興味がない、野球はよく分からないという方々にとっては「小学生時代」はつまらないかもしれません。


野球を知っている方々にとっては「え? そのルール知らなかった」なんてシーンもありますので、お楽しみいただけるかと思います。


「中学生時代」以降は切ない恋物語や、「栞那と親友のおちゃらけた掛け合い」等も出て参りますので、お付き合い願えれば幸いでございます。


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