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中編

 お盆が過ぎた数日後、私は再び駅前商店街に足を向けた。

 お目当てはあの駄菓子屋さん、旭くんと猫のくりこのところだ。


 かんかん照りの午後二時頃、お店の前には小さな先客がいた。

 小学生くらいの子供たちが数人、楽しそうな声を上げながら駄菓子を選んでいる。のしいかや串カツを頬張る子、チューブに入ったジュースを吸う子、チョコについてるくじの文字に目を凝らす子と様々だ。

「お兄さーん、くじ当たったー!」

 チョコの子が大はしゃぎで叫ぶと、店の中から日に焼けたTシャツハーパンの少年が現れる。

 旭くんだ。

「おー、すごいじゃん。しかも五十円券か、やるなあ」

 彼がいい笑顔で誉めると、チョコの子も嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。

「これで当たったの三回目!」

「マジで? なあ、お兄さんにもくじ運分けてくれよ」

 そう言って屈む旭くんに、他の子供たちも口々に話しかける。

「俺も! 俺も前に当てた!」

「チョコのやつ当たりやすいんだよ。当てるから見てて!」

 さすが駄菓子屋さんの息子、すっかり懐かれてるみたいだ。


 私もさっそくお店に近づき、彼に声をかけようとした。

 だけどそれよりも早く、旭くんがこちらを向いた。そして私を見つけると、吊り上がった猫目がぱちぱち瞬きをして、次の瞬間にまっと細められる。

「くりこ二号!」

 その呼び方はちょっと恥ずかしかったけど、歓迎されてるのは嬉しい。

「こんにちは、旭くん。来てみたよ」

 私がお店の前に進み出ると、彼も猫みたいな身軽さで駆け寄ってくる。

「来てくれたのか! 俺、すげー待ってたよ」

 人懐っこい笑顔に、こっちまでつられて笑ってしまった。

「そんなに? 来てみてよかったな」

「つか、来ないんじゃないかって不安だった」

 旭くんはサンダル履きの爪先で、とんとんと地面を叩く。

 そんな彼に、お客の子供たちが物珍しげにまとわりついた。

「ねーねー、『くりこ二号』って何?」

 それで旭くんは答える。

「このお姉さんもうちの猫と同じ名前なんだよ」

 すると子供たちはへええと声を上げ、

「猫と同じなんてすげー偶然!」

 なんて感心していたのがおかしかった。

 偶然っていうか、私の方が先に『くりこ』だったんだけど。

「うちのくりこも中にいるよ」

 旭くんがお店の中を指差す。

 覗いてみれば、外と比べると薄暗い店内に猫のくりこの姿もあった。レジカウンターの横に置かれた椅子の上、ちょこんとお行儀よく座っている。たった数日前にあったばかりの私を覚えているかはわからないけど、光る瞳がじっとこちらを見つめていた。

「こんにちは、くりこ」

 近づいてって声をかけたら、

「なー」

 ちゃんと返事をしてくれた。飼い主と一緒で、本当に人懐っこい。

「あのお姉さん、彼女じゃねーの?」

 お店の外では、子供たちの無邪気な声がする。

 最近の子供は全くおませさんだ。苦笑する私をよそに、旭くんはあっさりと答えた。

「だったらいいんだけどな、友達だよ。同じ学校の」

「じゃあお願いしてみればいいじゃん!」

「そうだよ、付き合ってくださいって言えばいいのに!」

 子供たちが騒ぎ立てても彼は動じることなく、

「無茶言わない。向こうにだって選ぶ権利はあるんだよ」

 上手い具合にあしらっているから感心した。

 旭くん、本当に『駄菓子屋のお兄さん』って感じがする。


 買い物を終えた子供たちが帰ってしまうと、アーケード街はいつもの静けさに戻ってしまった。

 駄菓子屋のお客さんも私一人で、のんびりと買い物をする。

 買ったのはフルーツ餅とちっちゃいドーナツ、それに缶のラムネとヨーグルだ。それらをレジまで持っていくと、旭くんがお会計をしてくれた。

「くりこ二号はアイスって好き?」

 支払いを済ませた後で旭くんが尋ねてきた。

「夏はよく食べるよ」

 そう答えたら、彼は笑って店先のアイスケースを指差す。

「じゃあ奢る。一つ選んでいいよ」

「え、いいよいいよ。この間だってごちそうになったじゃない」

 申し訳ないから断ろうとした。

 だけどそれを遮り旭くんは言う。

「そんな高いもんじゃないし、遠慮すんなって」

「でも――」

「ただ、持って帰ると溶けちゃうだろ。うちで食べてくのがいいよ」

 そう勧めてくる彼の猫みたいな目が、嬉しそうにきらきらしている。

「俺もアイス食べたいんだけど、一人だと寂しいからさ。な、頼むよ」

 何と言うか、旭くんはめちゃくちゃお誘い上手だ。

 前回もそうだったけど、今回も断る気になれなくて、私はアイスをごちそうになることにした。


 前回と同じように、二人で並んでベンチに座った。

 私が選んだのは夏に美味しいソーダアイス。旭くんはバニラのアイスバーで、膝の上には猫のくりこを乗せている。

「俺が座ると膝に乗りたがるんだよ。待ってました! みたいに」

 旭くんが語った通り、彼がベンチに座った途端、くりこが駆けてきたのがおかしかった。きっと居心地がいいんだろうな。

 八月ももう終わりが近いけど、夏の暑さは一向に終わりが見えなかった。アーケードが作る影の中でも涼しいということはなく、だからこそアイスがとても美味しかった。気を抜くとすぐに溶けてしまうから、急いで食べる必要もあったけど。

「……あ、やべ」

 不意に旭くんが呻いたかと思うと、彼の腕に白い雫が伝った。バニラのアイスが溶け出したようだ。

 私はワンピースのポケットからハンカチを取り出す。

「大丈夫? これ使って」

「い、いや、汚したら悪いだろ」

 旭くんは遠慮しようとしてたけど、バニラの雫はもう肘まで流れ落ちていた。放っといたら膝の上のくりこにかかってしまう。

「くりこに落ちたら困るでしょ」

「なー」

 私の言葉に、猫のくりこも声を上げた。

 それでも旭くんは後ろめたそうにしていたから、私が代わりにハンカチでその雫を拭く。

「あ……」

 気まずげにする旭くんの肘から手首まで、ちゃんと丁寧に拭き取った。こんがり日に焼けた旭くんの腕は、見た目よりも硬くて締まっている。運動とは無縁な私の腕とは違うなと思う。

 それから顔を上げれば、旭くんは随分と申し訳なさそうにしていた。

「ハンカチ、洗って返すよ」

「気にしないで。洗濯ならうちでもできるから」

 彼の申し出を、私はやんわり断った。

 それで旭くんは納得したのかどうか、棒の先に残っていたバニラアイスを豪快に一口で片づける。そして溜息をつきながら言った。

「……くりこ二号って、女の子って感じ、すげーする」

「ハンカチくらいで?」

 大袈裟な物言いに聞こえて、私は笑いながらソーダアイスを頬張る。

 だけど彼は案外真面目に頷いてみせた。

「何か、イメージと全然違った」

「イメージって、作文とってこと?」

「ああ」


 あの作文から受けるイメージって、どんな感じだろう。

 ふざけてて、いい加減で、笑いが取れればいいみたいな享楽的な性格の持ち主――とか、かな。

 私からすればいいイメージなんて一切浮かばない。


 旭くんは一度立ち上がり、お店の外にある蛇口で手を洗ってからベンチへ戻ってきた。

「この前、言ったろ。あの作文書いた人と話してみたかったんだって」

 そう語る彼の膝に、猫のくりこが再び座る。当たり前みたいに。

「日南久里子ってどんな人なんだろって、ずっと思ってた」

 そこでまた、思い出し笑いがぶり返したみたいだ。旭くんは肩を揺すって小さく笑い、そんな彼を猫のくりこが怪訝そうに見上げている。

「……あれを本気で書いたんだったら、ウィットに富んだユーモアセンスの持ち主だなって思うし、皮肉のつもりで書いたんならすごい切れ味だなって思った。どっちにしても日南久里子って頭のいい子なんだろうなってさ」

 しまった。そんな誤解をされていたなんて。

 私は慌てて告げる。

「期待には沿えないと思うな。あの作文、そういう理由で書いたんじゃないの」

 ユーモアセンスもそれほどないし、皮肉のつもりも毛頭ない。

 言うなれば『猫の平和利用』は、何も思いつかなかった私が自ら作った逃げ道だった。

「作文を書くよう言われたけど、全然書けなくて。『戦争と平和』ってテーマで思いつくことなんてたかが知れてるし、精一杯考えてはみたんだけどどうしてもまとまらなくて――」

 考えることに意味がある、と先生は言った。

 それで散々悩んだ末に、私はあの作文を書いた。

「ああいうふうにしか書けなかったの。だって他に何も思いつかなかったから」

 ユーモアでも皮肉でもなく、私の頭が導き出したたった一つの答えがあれだ。

 世界を平和にしたいなら、皆で猫を飼えばいい。

「それにね、旭くんに誉めてもらえるのは嬉しいけど、あの作文のせいでうちの担任が学年主任に怒られたんだって。あんなふざけた作文をクラス代表に選ぶとは何事だ、って」

 私は肩を竦める。

「先生にも申し訳ないから、もう二度とああいうのは書かない。私は頭がいいわけでもユーモアセンスがあるわけでもない、ただの考えが足りない子だよ。期待に沿えなくてごめんね」

 真実を知ってしまえば、私が旭くんのイメージとはかけ離れているとわかるだろう。

 にもかかわらず、

「謝ることなんてない」

 旭くんは首を横に振る。

「確かにイメージとは違ったけど、がっかりもしてないから」

 彼の吊り上がった猫目は今、思いのほか真剣だった。

 その眼差しの強さに一瞬、私の呼吸が止まった――気がした。

「だって、思ってたよりずっといい子だった」

「い……いい子、かなあ……」

 いい子はそもそもあんな作文、提出しないと思うけど。

 首を傾げる私に、それでも旭くんは言い募る。

「俺はさ、そりゃ弁論大会の時はめちゃくちゃ笑ったし、今でも思い出し笑いするけど。でもこいつを初めて見た時、あの作文にすげー共感したんだ」

 旭くんの手が、猫のくりこの頭を撫でる。

 くりこは気持ちよさそうに顔をとろけさせた。可愛い。

「親戚の家で飼えなくなったから貰ってきたんだ。うちに来たばかりでおとなしく座ってる姿見たら、こんなに可愛くてちっちゃい奴、大切にしなきゃって心から思った。抱き上げてみたらくたくたで温かくて可愛くて、確かに誰かと争う気なんて失せたよ」

 旭くんは一生懸命、熱く語ってみせてくれた。

「だから俺は、あの作文は正しいと思う」

 当の筆者である私が、言葉も出せなくなるくらいに熱く。

「それに会ってみて思った。くりこは、すごくいい子だ」

「なー」

 猫のくりこが無邪気に鳴いて、旭くんが思い出したように口元をほころばせる。

「そうだな。お前も、すごくいい子だ」

 そうして彼の日に焼けた手がくりこの頭を撫でるのを、私は自分が撫でられているような気分で見ていた。


 あの作文は、黒歴史だった。

 笑いは取れたけどそれだけで、自分でもふざけてるって思う内容で、担任の先生が代わりに怒られて――できることなら記憶から葬り去りたいと思ってて、実際に弁論大会から二ヶ月が過ぎた今、私は旭くんと出会うまで作文のことなんてどうでもよくなっていた。

 だけどあの作文でも、誰かの心に残ったりするんだ。

 それで誰かの運命が、幸せな方へ変わったりもするんだ。

 そう思うと、あんなのでも書いてみてよかった、のかもしれない。


「旭くんにそう言ってもらうと報われた気がするな」

 私は嬉しくなって、素直にお礼を言った。

「ありがとう。誰かの心に響くって、素敵なことだね」

「俺にはめちゃくちゃ響いたよ」

 旭くんが屈託なく笑う。

 いい子っていうなら彼の方こそだ。旭くんは親切で、明るくて、すごく人懐っこい。まだ出会ってから二回しか会ってないのに、すっかり仲良くなってしまった。

 夏休みももうじき終わりだけど、また会えたらいいな。

「旭くんって、夏休み中はずっと店番なの?」

 気になって尋ねてみたら、くりこを抱き上げた旭くんは頷く。

「ずっとだよ。夕方までしか開けないから、拘束時間は短いけど」

「そっか。じゃあまた来たら会えるね」

 今日もいくつか買ったけど、またお買い物に来ようかな。そう思う私に、くりこを肩によじ登らせた旭くんが猫目を輝かせた。

「また来てくれんの? 嬉しいな、俺もくりこが――」

「なー」

「あー、くりこ二号が来てくれたら嬉しいよ」

 猫のくりこに返事をされて、旭くんが照れながら言い直す。

 私はそれを笑いつつ、応じた。

「夏休み中にもう一度、絶対来るから」

「え、一度だけ? 毎日おいでよ、俺たち歓迎するよ」

「そうしたいのはやまやまだけど、受験勉強あるしね」

 両親からはまだそれほどうるさく言われてないけど、さすがに毎日出歩いてれば睨まれちゃうかもしれない。何と言っても高校生活最後の夏、受験生には毎日が貴重だ。

「旭くんは受験しないの?」

 毎日お店の手伝いなら、勉強する暇あるんだろうか。

 疑問に思う私に、旭くんはなぜか慌ててみせる。

「俺? いや、俺は別に……」

「もしかして、勉強しなくても余裕だとか?」

「そうじゃない、けど」

 口ごもる旭くんの肩の上、くりこがちっちゃな手でじゃれついている。細い尻尾が一生懸命ぱたぱた揺れている。

 彼女が落ちないよう片手を添えつつ、旭くんは急に難しげな顔をした。

「あのさ、くりこは――」

「なー」

「くりこ二号は、さ」

 そこで一旦言葉を止めて、ためらうように視線を彷徨わせる。

 それから彼は猫のくりこを両手で抱き上げ、ベンチからすっと立ち上がった。

「あー駄目だ! 勇気が出ねー!」

 何だか苦しそうに呻いている。

「何のこと?」

「ええと……何て言うか、話したいことあんだけど」

「私に? どうぞ、言ってみて」

「いや、今じゃなくて。次会った時に言う」

 旭くんはくるりと振り向き、ベンチに座ったままの私に向き直る。

 猫のくりこを抱えたその表情は、アーケードの影を受けてより真剣な、引き締まったものに見えた。

「でも夏休み中がいい。だから必ず、また来てくれ」

「わかった、約束するね」

 私は即答した。

 多分、それは旭くんにとって、すごく大事な話なんだろうと思う。

「旭くんも私の作文、聞いてくれたもんね。私も聞くよ」

 そう告げたら、彼はびっくりしたように瞬きしてから、はにかんだ。

「やっぱいい子だな、くりこ」

「なー」

 返事をした猫のくりこに高い高いをした後で、旭くんは独り言のように呟いた。

「おまけにすげー可愛いな、くりこは!」

「なー」

 こちらも、返事をしたのは猫のくりこだ。

 私には『どっちのこと?』なんて聞く度胸はさすがになかった。


 ただ、旭くんが何を話そうとしているのか、薄々見当はついていた。

 購入した駄菓子を持って家に帰った後、私はクラスの友達に電話をかけた。

「F組の入谷旭くんって知ってる?」

 何人かに尋ねてみた。F組に仲のいい子がいるって子にもしっかり確認を取った。

 皆の答えは同じだった。


 三年F組に、入谷旭くんという男子生徒はいなかった。

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