救世代行とその思慕の始まり
10年前の運命のあの日は……夜襲の中から始まった。
「魔王軍だぁああぁぁ!! がっ、がぶぅ……」
魔王軍の襲来。警告を上げる兵士の声。その間も大勢の兵士達が弓で射掛けられ、魔術で焼き払われ、圧倒的な膂力で蹂躙される。
先手を打たれた圧倒的不利の中……陣幕の中で、ルシアス、アレキサンドラ、ノイエ、セリカの四名はただ青い顔をして震えていた。
手元には剣がある。武具がある。けれどもどれも見栄え重視のお飾り仕様。戦力ではなく、旗印であることを求められたがゆえのはりぼてに等しかった。
「さ、サンドラ、ど、ど~すんのよぉ……」
ぐずぐずと泣きながら、セリカが陣幕の中で息を潜めながら言う。
「ど、どうすると言われても……わ、わたしにわかるわけ……」
……セリカは、魔術師の一族の家に生まれた。
生まれながら膨大な魔力を有していて、きっと優れた魔術師になるぞ……と言われていたが、その才能は宮廷魔術師であった父の急逝で、死を願われる原因となる。
父は後妻を娶ったが、継母は父の急死と共に我が子を宮廷魔術師の席につけるため、目障りであるセリカの死を願った。
アレキサンドラも似たようなもの。父は魔王軍との戦いで戦死したのだが、幼子であったアレキサンドラの代理として家を継いだ叔父は、このまま家を乗っ取るために彼女の死を目論んだ。
「お救いくださいお救いください……神様、どうか……」
ロザリオを手に、恐ろしい悲鳴が聞こえる周囲の喧騒から目を背けるかのごとく一心不乱に祈り続けるノイエもだった。
彼女の父親は法王庁の枢機卿であり、法王の座にさえ手が届くほどの出世を遂げたが、独身であることが求められる僧籍でありながら子をなしたことがあり……父の手によって死を賜るように命令が下されていた。
だから、彼女らは――自分らが、旗印、あるいは『我が国は貴種の中から子息子女を出した。金や兵だけではない。貴族である我らも戦っているのだ!』と声高に喧伝するために利用される……両親たちにとっては死んだほうが都合がいい生贄の類だと理解していた。
「……く、くそ……くそ」
カタカタと震える指先、我慢しようとしても歯がかちかちとなる。
薄い陣幕一つ向こう側で行われる魔王軍の殺戮行為。剣を握って戦わねば生き延びる芽がないとわかっていても、ルシアスは全身を走る恐怖を飼いならすことができなかった。
そんな中、陣幕の中を……醜い怪物が覗き込む。オークとかトロールとか……種類などわからなかったが、それが害意に満ちていることはわかった。
「ひっ……」
「げひひひ、なんだぁ、随分かわいい娘らじゃねぇかよぉ?」
だが――その言葉の何が逆鱗に触れたのか、今まで恐怖で震えていたルシアスの瞳に、カッと激情が沸き上がる。
「取り消せ、取り消せえぇぇ!!」
それが命を顧みない無謀な突撃とわかっていても、ルシアスは剣を握り、体ごとぶつかるような勢いで剣を突きこんだ。
「いちぃっ?! こ、この餓鬼!」
だが……オークやトロールの皮は分厚い。生まれ持ったハードレザーのような強靭な外皮に阻まれた刺突は、相手の肌身を傷つけ手傷を負わせる程度の事はできても、命にはまるで届いていなかった。
怪力の膂力は何気ない平手打ちでも脆弱な子供の首をへし折るだろう。その膂力で、分厚い棍棒を振り上げる。
ルシアスは恐怖で凍りつきながら――目の前で、銀光がひらめき、怪物の首が宙を舞うのを見た。
青年が、飛び込む。
片手に杖、もう片方の腕に、鞘に包まれた剣を握り締めている。
「てめ……」
一匹の首が跳ね飛んだことに気づいた魔王軍の兵士が叫ぶが、青年はそれを無視した。
青年は鞘に包まったままの剣を――後に、次代の勇者に託されるまで抜けなくなった神剣そのものだと知る――をくるくると回して奮う。
刀身ではない。本来剣を握る柄の部分をメイスのように扱う殺撃の技で、爆ぜたスイカの如く、怪物を吹き飛ばす。
そうして返り血を浴びた凄惨な姿で青年は……彼女たちを守るべき親の全てから死を願われた少女たちに振り向き……くしゃり、と顔を歪ませ、ぽろりと涙を溢した。
「良かった……生きていてくれたか……」
ルシアスは動けない。
恐怖で腕は剣に張り付いたかのように離れず、近づこうとする青年に剣を向けた。
だが……青年は涙を溢しながらも、杖で地面をトン、とつく。
「ゴーレム、並列召還。この子らが泣くための30秒を確保せよ」
『承知』
地面から湧き出るかのように姿を現すゴーレムたちは、その岩塊の巨躯を震わせながら魔王軍の兵士達を押し止める。
青年は、彼らに『すまん』と一言詫びると、ルシアスの震える手を取った。
「悪かった。もう、心配はいらない」
「ッ……~~~!!」
ルシアスは剣を取り落とし、恐怖で凍りついた心が、青年の暖かな言葉に触れて解け落ちるのを感じた。
少女たちは絶叫のような鳴き声を上げた。喉から悲鳴があがる。目からとめどなく涙が溢れて視界がぐちゃぐちゃになる。彼女達は生まれて初めて……誰かに優しい言葉をかけてもらい。そして命が助かるという不思議な確証と安堵の中、青年の腕に抱かれて泣き叫んだ。
ゴーレムたちが崩れ落ちる。
魔王軍の兵士達に棍棒で殴打され続け、魔術の光弾を浴び、全身をひび割れながらも、子供が思うまま悲鳴のような泣き声を上げるための時間を稼ぐために、両腕で守りを固め、かりそめの命を燃やし尽くした。
その躯体が粉砕され、親指を立てて満足げに破壊されるゴーレムたちに、青年は小さく頷くと――杖を地面に突き立て鞘に収まった神剣を手に取った。
分かれる際、魔王討伐の時の仲間であった『魔術師』が組み立ててくれた魔術式に魔力を吹き込む。
スキル発動『救世の代行者』。
「我は勇者を騙り、ひとたび神剣の威光をこの地に降ろす」
柄に力を込め……まるで決壊寸前の堤防を支える最後の支柱を破壊するかのように引き抜かんとする。
そもそも神剣は、神に選ばれた勇者にしか使えない。
青年はかつては勇者であったが、今はもう違う。
それでも体内に僅かに残る勇者パワー(テキトー)をかき集めれば……ほんの僅かな時間ではあるけど、『神剣の勇者』であった全盛期の力を引き出すことができるのだ。もっともこの術式を作ってくれた魔術師は『神の摂理を欺く裏技だ。覚悟はしておけ』と言っていた。
青年は笑った。ゲームの中ではHPの8割が反動として消し飛ぶ必殺技であったけど、数字で見るのと実際に体験するのとでは、天と地ほどの差があった。
そして笑う。この『神剣授与』スキルで神剣を勇者に渡せば、今から使う力を制限なしに振るい放題になるのだ。
「我は勇者を騙るもの。我は勇者出現を待てぬもの。
我は勇者不在の間隙を埋める救世主の騙り手なり!!」
少女たちは見た。
剣が引き抜かれると同時に、青年の体を青白い甲冑が覆い包む。
「我こそ、救世代行!!」
その荘厳さと気高さは世界滅亡の危機を救った、悲劇の仇敵、絶望の天敵――勇者の姿だと、言葉にせずとも分かった。
勇者は――いや、かつて勇者であった青年は、神剣を欺いた神罰の雷光で全身を焼かれながらも、自分自身に再生魔術を掛ける。治癒と破壊が延々と繰り返される地獄の痛苦を『もう慣れたよ』と鼻で笑いながら――青年は、ルシアスの頭を撫でた。
大丈夫さ、と激痛で引きつる頬を笑みに無理やり歪めて神剣を一閃する。
敵陣が吹き飛んだ。
魔王軍の兵士、神剣の威力――そして臓腑を焼く激痛で血を吐きながら敵陣を睨んだ。
魔方陣の出現。そして強大無比の怪物、魔王軍四天王の一人が出現する――のを待たず、勇者を騙る、かつて勇者だった青年は力を込めて神剣を振り上げた。
神剣が、かつての主の気迫に根負けしたかのように、膨大な力を蓄積していく。地上に太陽が出現したかのような光が夜の闇さえ圧倒する。
「ぐははははっ!! 我は魔王軍四天王の一人……って、あれ? あの超必殺技のチャージっぽい光はなぁに?」
「俺がこのゲームを何回やりこんだと思っている!
お前が増援として出現する条件も増援として出現するポイントもまるっとどこまでもお見通しだあああぁぁぁぁぁぁ!」
振り下ろす。
神剣から放たれる極光は魔王軍四天王を、名乗る暇さえ与えずに一撃で殲滅し、そのまま敵陣に大打撃を与える。
魔王軍であっても戦闘指揮官が討ち取られれば戦闘続行は不可能。彼らはそのまま潮が引くように撤退するのであった。
神剣を鞘に収め……そのままアイテムインベントリから最高位の回復薬であるエリクサーを口に突っ込みながら、青年――イーズィーは地面に倒れた。
勇者であった頃に着ていた鎧は消え去り、全身を蛇のようにのたくる神罰の雷光によって未だ激しい痛みに苛まれている。歯を噛み締めて無様な悲鳴をあげまいとする。
「……ゲームの頃のようにはいかんなぁ」
イーズィーは呻く。
回復薬が効いて少しずつ痛みは和らいでいるが、完治には時間がかかるだろう。あらゆる不利なペナルティを強引に無視する『ベルセルク』のスキルもあるが、基本的に体に無理な負担を増やすだけなので自然治癒に頼るしかないのだ。
そんな中、治癒の聖光が己の体を包み込むのを見た。
心配そうな目で……神官の娘、ノイエが初歩の治癒魔術で、イーズィーの傷を治そうとしている。
「……心配するなよ。お兄さんちょっと疲れただけさ」
片意地を張る。神剣が発する神罰の雷光は、『救世代行』の発動終了から三ターンの間はダメージを与え続ける。
それでも、必要ないと言うイーズィーに、ノイエはふるふると涙を溢しながら首を振った。
「おにいちゃん、大丈夫ですか?」
幼いアレクサンドラが話しかけてくる。イーズィーは手をひらひらさせながら答えた。
「大丈夫……あ、おい」
未だばちばちと雷光を発する神剣に、幼いルシアスは手を伸ばした。
そうすれば……雷光はまるでルシアスを受け入れるようにゆっくりと静まっていく。
そうか、そういえばそうだった、とイーズィーは記憶を引っ張り出す。神剣に選ばれたルシアスは『救世代行』スキル発動後に隣接していると、スキル使用後のペナルティを和らげる隠し効果を持っているのだった。
ルシアスはその事を直感で悟ったのだろう。
そのままイーズィーの傍に近づくと……ぎゅー、と抱きついた。なんだか妙に柔らかい。子供だと男の子でもそんなもんだろう。
「こらこら」
「えへへっ、楽だろ、お兄さん。なんだかあの剣から声が聞こえたんだ。お兄さん、よくなった?」
自分を助けられたことが嬉しいと言わんばかりの笑顔。
イーズィーは笑いながら頭を撫でてやる。
「ああ。……正直楽になったよ」
全くの本心からの言葉。
今や激痛は引き、正常な感覚が戻ってくる。
幼い弟子……予定の子供らは、自分を心配げに見つめながらも、土気色のイーズィーの顔が、赤みを取り戻してきたことに安堵の溜息を漏らした。
イーズィーは思う。
これで確定だ。ここは俺が前世で遊んだゲームの中……あるいは極めてよく似た別の世界。
前世でやった育成法は、この日のためにメモに残して書き溜めた。この子ら全員を助けるために金も集めたし借金もした。
「ルシアス、ずるいっ!」
「えっ?」
すると、イーズィーにぎゅっとしがみついていたルシアスに、子供らしい悋気を起こしたセリカがぷくぅーと頬を凹ませて睨み付けてくる。
対抗するようにイーズィーにぎゅっとしがみつく。そうすれば、他の二人もなんだか我慢が効かなくなってきたのか同じように抱きついていた。そうしていると、頬にちゅっと唇の触れた感触。
「お兄さん、ありがとう、お、お礼に結婚したげる……」
「ああ……ありがとう。生きる理由ができた感じだ……」
イーズィーは疲労で茫洋とした意識のまま、生返事をする。
はて、今のキスと、結婚してあげるの台詞は誰だろう。アレキサンドラか、ノイエか、セリカか。まぁルシアスは男の子だし違うか。
なんにせよ、子供らしいかわいい言葉だ。
この子らが、そんな恋もあったねと思い出話に花を咲かせるぐらいに長生きをさせてやらないと。それが神剣の賢者である自分の仕事なのだから。
目指せ、全員生還のハッピーエンド。
イーズィーは心の中でそう呟きながら、疲労と倦怠のまま、とりあえず崩れ落ちるように眠る事にした。
だから……この子らが、この時、初めて出会った時の気持ちを十年過ぎてもずっと大切にしていたことに、イーズィーはずっと気づかないままであったのだった。