2.義兄弟
「おい、昌琥」
どかどかと靴音を鳴らしながら、部屋に入ってきた昊駕は、臥牀に仰向けに寝転びながら、書物を顔面にのせて、惰眠を貪る昌琥の横に勢いよく腰を下ろした。
「起きろ!」
昊駕が呼び掛けても起きる気配はない。
幼少よりいっしょにいる仲だ。
睡眠好きの昌琥がちょっとやそっとでは目覚めないことは知っている。
―ドン!
手に持った長剣の鞘の先で腹を小突いた。
「うわぁ、痛っ、何するんだよ」
昌琥はすぐに飛び起きた。
突然起こされて目覚めの悪い寝惚けた顔をしているが、もともとの顔の造作が良いので、けしてだらしのない印象ではなく、乱れた長い髪を自然にかき上げる姿は女と見紛うほどの艶かしさを漂わせる。
しかし本人は女顔を気に病んでいる。
「王太后が動いたぞ」
「・・・王太后?ああ、今度は何をしでかすつもりかな」
興味ないといった口調で欠伸をする昌琥の隣で、昊駕はわざとらしい溜息を吐いた。
「また悪巧みを企んでいるらしい」
王太后の間諜がいたら不敬罪で問われる忌々しいさを込めた口振りだ。
「琳国遠征のため軍が動くことになった。遠征軍を率いるのは親父だ」
「琳国?あの砂漠の小さい国を?」
ようやく起き上がると背伸びをした。
「目立たないが歴とした五国のひとつだ」
「この不況のご時世にわざわざ莫大な国費を費やして、辺境の琳国まで遠征する必要なんかあるのか?」
「なんでも瀏と琳が同盟を結び、我が国に攻めてくるという情報があったらしい」
「ふーん」
昌琥は腑に落ちなかった。
「でもおかしいぞ。琳国は平和の民と異名されるほど戦を敬遠するし、武器も兵も守備の目的でしか保有していないはずだ。瀏が同盟を組みたい相手じゃない。かえって足手まといになるだろう」
「宮廷筋からの情報だと、廷臣たちも納得しちゃいないらしい。だが、王太后の報復が怖くて反対できず強引に決定されたそうだ。そこでだ、琳を攻める本当の理由を知りたいと思わないか?」
「べ、別に興味ないけど・・・」
昊駕の真剣さを帯びてきた眼差しから、わざと目を逸らした。
「わざわざ三千の兵を率いて酷暑の砂漠くんだりまで行かねばならんのだ。真の目的を知しっておくべきだ。今から禁軍府にいる親父に会いに行くぞ。お前も来い」
昊駕は勢い良く立ち上がった。
昌琥は嘆息すると、億劫そうに外出の仕度を始めた。
鬢も結わずに垂らした金色の髪を無造作に束ねると、肉付き薄いうなじが露になる。
「情事の後の女の仕種だな」
昌琥は憮然とした表情で、揶揄する昊駕を睨み付けた。
昌琥はまだ若いせいもあるが、体の線も細く、瑩では珍しい色白な肌を持ち、整った顔の造作は中性的だ。
女性的にみられることを嫌がっているが、垂らしたまま髪や、襟元をゆるく着崩している姿など、一人前の男らしからぬ風貌が、余計に女っぽいのだ。
反対に、昊駕は精鋭武官にふさわしい鍛錬された肉体と、瑩人の特徴である褐色の肌は更に日に焼け、涼やかな目元の、精悍な顔立ちをしている。
性格は、昌琥は内向的で音楽と芸術を好み、いつもどこか憂いを感じさせるのに対して、昊駕は外向的で交友も広く、直情的で明朗な性格だった。
容姿も性格も正反対のふたりだが親友であり、義兄弟という絆で結ばれている。
昌琥は身支度を整えると、最後に剣を佩いた。
「私欲を満たすことしか関心のない王太后に、家族や恋人を置いて何千里も離れた灼熱の砂漠を越えなければならない兵士の苦労など、全く眼中にないんだろうな!」
昊駕が憤懣やるかたない様子で息巻いた。
「王太后が動いているということは、側近の腹黒い宦官達や一族の重臣が絡んでいるんだろう」
「当然だ。親父は遠征の準備のために奔走している。俺たちも遠征軍に加わるんだ。裏事情を探ってみる価値はあるだろ?」
「俺たちって?俺も行くのか!?」
「前々から異国を見たいって言っていたじゃないか。ちょうどいい機会だ」
「ちょ、ちょっと待って。異国を見たいのは本当だけれど、戦に行くのは嫌だ。砂漠は熱いし…。それに、裏事情を知りたいなんて、その好奇心が仇になって、王太后に目を付けられたら一巻の終りだぞ。知らなくて済めばそれでいいじゃないか」
「お前は何にも関心がないところが仇だな。もう、緑明にお前の分も支度を頼んである。つべこべ言わずついて来い」
バシッ!昊駕は太刀の鞘で昌琥の尻を叩かれた。緑明は昊駕の妻で昌琥の叔母にあたる。
「痛ッ」
「よしっ、親父に会いに行くぞ」
父の燕大将軍の配下で副将軍を務める昊駕のきびきびした、有無を言わさぬ態度に、面倒くさいと内心呟きながら、渋々と昊駕の後を追いかけた。
半刻後、昌琥と昊駕は宮城内にある禁軍府の将軍執務室に着いた。
国内最強と恐れられる軍は、守護精霊の化身とされる神獣朱鳥を冠する栄誉を許されて、朱鳥禁軍と呼称されていた。
精鋭が選りすぐられ最強の軍隊としてその名を国中に轟かせている。
朱鳥禁軍の頂点にいる人物こそ、大将軍燕功叡で昊駕の父であり、昌琥の養父的存在の人物だ。
「副将軍殿がお越しですが、お通ししてよろしいでしょうか?」
仕官して間もない若い武官が緊張した様子で来訪者を告げに来た。
「うむ」
燕功叡はその武官を睥睨して短く是を答えると再び書面へ筆を走らせる。
琳遠征が決定されてから、兵備や兵糧の調達に忙殺さる毎日が続いていた。
廊下を軽快に歩く、ふたつの足音が近づいているのを聞きながらも、流暢な筆の動きは淀みない。
扉が開けられ昊駕と昌琥が連れ立って現れたのを潮に、硯のうえに静かに筆を置いた。
「来たか」
息子達の来訪目的の見当はついていた。
「お忙しいところ申し訳ありません。屋敷でお会いできないのでこちらに参りました」
「見ての通り忙しい。要件はなんだ。手短に言え」
親子でもここでは上司と部下の関係だった。
「それでは単刀直入に。琳国を攻める真の目的は?」
昌琥は昊駕の後に控えめに立って、よく似た親子のやり取りを眺める。
「かの国が北の瀏国と軍事同盟を結んだ可能性があると聞かなかったか?」
「聞きました。でもどうも腑に落ちない。瀏を牽制するために、国境警備の増強に軍を派遣するのであれば理解できます。しかしご存知でしょうが、瀏国は現在、王位を巡る後継争いが原因で国情が安定していない。大軍を動かして我が国に戦いを挑む余力はないと私は見ています」
昌琥は大将軍が口元に笑みらしきもの浮かべたのをみた。
ほんの一瞬であったけれど。
「国外の情勢を良く調べているな」
「他国の情勢監視を怠るなと教えたのは貴方だ」
燕将軍は頷き、周囲の気配を探った。
「琳国には神宝『蒼龍の眼』がある」
声を一段下げて燕将軍は話し始めた。
「蒼龍の眼?」
昊駕は聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「琳王家の神宝のことだ。ちなみに我が国の神宝は『朱鳥の剣』という。聞いたことくらいあるだろう?」
昌琥が脇から説明を挟むと、昊駕は思い出したといふうに相槌を打った。
燕将軍は目を細めた。昌琥は書物を沢山読み、歴史や史記の知識が豊富だった。
幼い頃から武術の鍛錬よりも、読書や音楽を好む芸術肌な性格で、当代随一の武人の誉れ高い燕将軍も、昌琥の趣向を暗黙に認めている。
「『蒼龍の眼』について、何か他に知っていることは?」
燕将軍が促した。
「神宝はそもそもご神体なんです。本当かどうかは分からないが、人知を超えた力を宿し、不老、甦生、栄達、不死、富貴など望みを叶えてくれるという言い伝えがある。だから神宝を欲する人間は今までにもたくさんいて、実際、歴史上には、神宝を廻って国を脅かす事態に発展することも度々起きてきた。だけど、誰一人として、神宝を五国王家から奪えた者はいないし、神宝の聖なる力を引き出す術は王家の秘術とされ、例え神宝を手中にしても、一般人では扱えない」
「まさか王太后は琳国の神宝を奪うために、軍を派遣するつもりなのか!」
燕将軍は無言で頷いた。
「莫迦莫迦しいにもほどがある!何で反対しなかったんです!」
昊駕が燕将軍に詰め寄り、卓子を拳で叩く。燕将軍は大きく吐息を吐き、息巻く昊駕を見すえた。
「現在の朝廷の状況をよく考えてみろ。王太后には誰も逆らえぬ。逆らえば即刻処刑だ。私が命を賭して反対しても遠征は強行されるだろう。王太后に阿るだけの無能な司令官にに兵士たちの命を預けるようなことは避けたかった。私が率いるしかないだろう。話しは以上だ」
直後に扉を叩く音がして扉が開くと、兵部省の文官が一礼をして入ってきた。
「兵部尚書様がお呼びでございます。尚書室へ至急お越しください」
兵部尚書は王太后の実兄で愚鈍な人物とつとに有名だが、姉の威光で軍事の最高位に昇り、軍事の全権を握っている。三人は目を合わせた。昊駕と昌琥は執務室を後にした。