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もはや希望は無いのだ

 此の星に、もはや希望は無いのだ。

 それは、全人類の中でも私だけが知っている、確かな事実である。

 すなわち、私は此の星を出ようと思っている。

「駄目ですよ」

「何故だね? 聞けば、明日も私の診療は行われないそうじゃないか。そんな怠惰な医者を相手取るより、日々を齷齪と過ごす闇医者に診てもらったほうが、私としては得になると思うのだがね」

 本当は、隣の星――『パステル』と言ったか――にある大型病院へ移り、こんな辺鄙の病院から受ける悪徳療法などとは及びもつかないほど、精巧にして重厚な治療を受けてやろうと邁進の心持ちでいるのだが……。

 まさか、そんな事は眉毛一本でさえ語れない。

「パステルの病院へ行く気でしょう? それは認められませんからね」

 ……もしや、この徒を成す看護婦は、いわゆる魔女の末裔か何かなのだろうか?

 私は僅かに浮いた額の汗を、手の甲を使い拭った。

「あなたより重い症状の患者さんが大勢いるんです。もう少し待って下さい」

 それはそうだろう。今までを藪医者に診られてばかりいたのだから。本来ならば即座に治るべき病気も悪化の一途を直進して当然というものだ。

 どうにも話の通じなさそうな看護婦を(ここに来てからというもの、この看護婦と話が合ったことなど一度足りとないが)相手にするのも疲れてきたので、私は「ジョークだよ」と言って、話を無理矢理に切り上げた。

「あなたはジョークしか言わないのね」

 捨て台詞を置いて、看護婦は我が病室を後にした。毎度のことながら、私の気持ちを揺らすような言葉ばかりを吐いては消える人だ。まったく、怒りの情がどれだけ煮え滾っていると思っている。

 暗黒とも形容できよう、一面どころか多面において変わらぬ闇を有する空、ないし宇宙を見上げ、そこに光る星々を見つめる。病室の壁に埋め込まれているデジタル時計の表示では、現在は午前十一時のようだが、しかし空は暗いままだ。およそ昼時の空模様とは思えない。――此の星には主星となる恒星が存在しないのだ。公転は銀河の周りを緩やかな弧を描いてはいても、すれ違うのは彗星や小惑星ばかり。自転こそ一周を二十五時間十四分で済ませてはいるものの、あの醜く悍ましい星、けれども立派な主星を持っていた地球とは及びもつかないほど、輝きの無い星である――それでも人類が生活を許されているのは、他でもない人類自らが作り出した鍍金加工の大袈裟な機械の類、その痛快な働きからなる、賜物であった。

 かつての陽の光を浴びずとも、五体満足で暮らせている我ら人類は、もはや宇宙の全権限を掌握したも同然。この世の理――科学は、既に人類に味方し、そして真理さえも背に張り付くように後援している。栄光という名の、汚濁に塗れた傲慢が、この宇宙には溢れかえるように散りばめられている。――私は人類に呆れていた。もはや種の繁栄が留まることはないだろうに、どうして絶えず進化の道筋を探っているのか? その自惚れにも似た劣悪な向上心が、終に絶える時を思えばこそ、私は今日を必死と生き長らえているのかもしれない。

 ――何も空を見上げるだけの、抜け殻同然の廃人になったわけでもない。私はただ、目標を見定めるように眺めていただけだ。――地球で例えるならば金星ほどの大きさだろうか、此の星の空には一つだけ、大きな天体がある。それは正しく、私が望んでやまない立派で公明正大な大型病院、それも精神科においてはアンドロメダナンバーワンとも言われる白きヒーローの駐在する星、『パステル』を見つめているのだ。あの星へ行き、自らの病気に対して的確な治療を、ないし病気の有無を確かめてもらうため、一秒でも早く、私はこの腐れきった病院を抜け出さなくてはならない。

 しかしながら、この病院の最たる特徴と言えば、その厳重に過ぎる警備体制だ。警備――防衛システム。許可申請を行うか、通行許可証なるものを持っていなければ、唯一の出入り口である正面ゲートを潜ったコンマ二秒後、動く肉塊は灰燼へと昇華される。

「これが病院かね……」

 収容所だと認めたほうがいいのではないだろうか。

 沸々と煮え滾るような情念が、また静かに冷えていっては諦念へと変わる感覚を、確かに胸の内で味わっていた。


 明くる日。

 昼食を摂ってから一時間もしない頃、我が病室の戸が叩かれた。

「どうぞ」

 私の合図より先んじて開かれ始めている扉から現れたのは、なんということだろう、見知らぬ女性だった。

 垂れ目に泣き黒子、肩まで伸びた美しいブロンドに、お淑やかな印象を与える桃色の唇、理想的ともいえる鼻のライン――絶妙と評するべき顔立ち。そして――何より強く主張しているのは、マリアナ海溝とでも比喩すればいいのだろうか、あまりに深く掘られた、豊麗線だ。それだけで年齢を十は多く見られてしまいそうな、唯一の欠陥に、しかしながら私は胸を打たれたようになる。

 つまり、私は、彼女を魅力的に思ったのだ。

「貴方がフォスターさん?」

「親が再婚していないのならね」

 美しい女性は手元の資料を見て――白衣ではなくナース服、且つ上からカーディガンを羽織っているところ、彼女は新しい看護婦か何かなのだろう、これは間違いなく朗報である――ふ、と鼻息をしてから、「両親は離婚もしたことがないようだけど……いいえ。それどころか、もうお亡くなりに……」などと言った。

 私も鼻息を吹き、続けて嘆息気味に言う。「ジョークは苦手かね? それとも生まれが違う?」

「生まれ? 生まれは……エッジワースの西側、ハイドロという星です。オールトの……」

 彼女の声を遮るように言う。「ああ。太陽系近辺か。ふうん」唇に指を当てて、わざとらしく相槌を打ち、彼女を眺めるようにした。

「……あの、何か?」

「いいや。何でも」薄く笑うようにしてから、自嘲気味に言う。「私は精神病患者だからね。きっとトンデモナイ考えを巡らせているのではないかな」

 本当は彼女のバストサイズを考えていたのだが(太陽系生まれは胸が大きくなるという統計が発表されている、すなわち、彼女の胸は魅力的だ)、けれども真実を敢えて言わない事で、相手はより深くまで詮索の手を伸ばしてくることだろう。そうなった時こそ、男としての技量や器量というものが試されるわけだ。私の男性ホルモンが騒ぎ立てている今ならこそ、どのような女性だって落としてみせられる。例えそれが、看護婦だったとしても。

 意気込むようにして彼女を見据えていると――軽く咳払いをしてから、彼女が言った。「それを今から診ます」

「うん? 私の思考を読むのかい?」

「いえ……貴方が精神疾患か否か、それを診るんです」

「なに?」然しもの私でも声が上ずる。「新たな医者が、ついに私を診ると? 今日は診ないはずだったろう?」

「セリエルさんから報告を受けて……」セリエルとは、あのいけ好かない看護婦の名前だ。「貴方を先に診るようにと」

 はあん。成程。では、あのお尻だけが取り柄の看護婦が、ようやく私の為に働いたということか。人生でたった一つの仕事を成したことで、ついにお役御免となったわけだ。またもやなんて朗報だろう。さらば愚痴魔女、永遠にさようなら。

 これからは毎日を楽しく過ごせそうだと明日からの展望を明るくしながら、「じゃあ、早いところ新たな医者を呼んでくれたまえ。何事も速やかに行うことが成功のコツだからね」と、美しい新たな看護婦に対し、催促混じりの笑顔を飛ばした。

「あの……」ところが、彼女は何だか言いよどむようにしては、どこか申し訳なさそうな態度を取ってくる。

「……? どうしたのかね?」

「新しい医者というのは……私のことです」

「なに?」また声が上ずるのを感じた。「君が? 新しい? 医者だって? 君が私を診るのか?」

「はい、そうですけど……私では不安ですか?」

 不安だとか、不満だとか、そういう感情は一切無いのだが……騙されたという感情が、変に喉の奥に引っ掛かり、どことなく素直に喜べない状態を作っている。まったくもって不愉快な気分だ。おそらく、いや、間違いなく、あの性悪な看護婦が引き起こした災厄だと言えよう、この事態は。私はあの女を生涯潰えるその時まで恨み呪い憎悪することをここに誓う。

 どうにも切り替えられない気分の中でも、新たな看護婦もとい医者である美しい女性は、最寄りの《亜光子椅子(ピーキーチェアー)》へ――まあ、座る直前まで実体を持たない便利な椅子だ――腰掛け、手元の資料――ならばあれはカルテだな――を見つめ、「では、質問をします。嘘偽りなく答えて下さい」と言った。

「ジョーク混じりでも?」

「……困ります」

 私は肩を竦めた。

 美しい医者は気を取り直すように身なりを正し、淡々と質問を読み上げる。「ランプが四つの信号機が造られたとします。四つ目の新たなランプは何色をしていますか?」

「その前に一つ、いいかね?」美しい女性が了承を示してから、私は言う。「君の名前を聴いておきたい」

「私の名前ですか?」眉の動きだけで首肯を伝えると、美しい女性は特に抵抗もなく答えた。「リリィです。リリィ・スタンリー」

「百合の花という意味だったね」ふんふん、と頷いてから、微笑んで言う。「実に良い名前だ」

「……ありがとうございます」

 少し戸惑いながらも、ドクター・リリィは嬉しそうに笑んだ。どんな些細な事でも、自分が褒められて気を悪くする人間など、いや私の知る限りでは存在しない。

 一拍置いてから、「グレー」と、言った。

 リリィは呆気に取られたようにする。「え?」

「質問の答えだよ」

「ああ……」リリィの目線がゆっくりとカルテへ落ちる。「灰色ですね。……では、灰色のランプは、信号機の内では何を意味していますか?」

 間髪入れずに答えた。「《進んでも意味は無い》」

 また、リリィは呆然となる。「……? それはどういう……?」

「黄色のランプには“注意”や“警告”という意味があるだろう? それと同じようなものだよ」私は平然と言う。「啓示だよ。大いなる教え。人生の指針すら左右しかねないほどのね」

 淡々と言ってのける私だったが、実際のところ、その言葉に意味などは微塵たりとも有りはしなかった。ただ単に、ドクター・リリィをからかっただけである。

「……? ――?」やはりリリィの首は傾げられたままだった。

 ふふふ、と含み笑いを見せたあと、手のひらを反して「ジョークだよ」と白状した。

 すると、リリィはつい先刻と同じような表情で「……困ります」と言う。

「困らせたかったのだ。君を」

「……?」

「わからない? 君は精神科医なのだろう?」

 意地悪く言ってみると、リリィは途端に顔を強張らせて、何やら真剣に考え始めた。

 私はまたもや肩を竦める。

 程なくして、ドクター・リリィは慎重そうに言葉を発した。「新しい医者で、それも女性なので、悪戯をしたくなった……?」

 瞬きの時間すらないままに、私の笑い声が部屋中に響き渡っていく。

「違い……ましたか?」

「違うね。まったく」笑いを抑える事が出来ず、続きの言葉に詰まる。――ようやく息を整えたところで、しかしそれでもぶり返してくる笑いをどうにか自制しつつ、努めて柔和に答えた。「私の精神病患者ぶりってものをだね、君に見せびらかしたかったのだよ。つまり、自虐だね。まあ、気を引こうという点では、間違ってはいないけれどね」

 リリィは《なるほど》と言った具合に相槌を打っている。

「それより何より、君は実に魅力的だ、ドクター・リリィ」目を合わせて、言う。「毎日のように診察に来てくれたら……と思ってね。いわゆる、男の性だよ」

「そう……」リリィの頬が俄かに赤く染まる様を、私が見逃すわけもない。「ですか」

「そうだとも」

「ですけれど……」リリィは自分の意志というものを強く持ち、保とうと、一度目を瞑ってから、「他の患者さんも居ますから……」などと言う。

「昼食の時にでも来てくれればいい。私の心をクリーンにするというのが、君の仕事なのではないかね?」

「あの、いえ、その……」

 時が経つにつれ魅力度が増していく彼女を、もはや手放してやろうなどとは露程も考えられない。「ではこうしよう。私も医者となり、君と手分けして患者を診る。すると、君の仕事は半分になる。余った時間を、君はこの病室で過ごす。どうだい? 君とすれば良い話だと思うのだがね?」

 自信を漲らせて発した言葉だったが、――ドクター・リリィは顔をしかめて、ともすれば怒ったように「医者はそんなに甘いものじゃありません」と、強いて低く言うのだった。

 しかしながら、その程度で怯む私ではない。「そうだ。医者は甘くない。だが、私はどうだろうね?」半ば奪うようにリリィの持つカルテを手に取った。「ふむ。これだな。《君は空を見た。天気はどのようなものだったか?》」

 質問の態を成した我が口調に、ドクター・リリィは不満そうにしながらも「にわか雨です」と答えた。

 その答えはカルテに載っていないものだったが、私は構わず診察結果を述べる。「厳密には狐日和だね。突然の不満、不幸というよりは、裏切られた、あるいは戸惑いの感情を持っているのではないかね?」同じくカルテには載っていない結果を述べ続ける。「そして、その感情はすぐさま反転する。私の言動、ただそれだけでね」

 ドクター・リリィは――やはり――きっ、と立ち上がり、鋭い目つきをして、私を非難するように言った。「失礼ですね、貴方は!」

 怒鳴ったかと思えば、リリィはカルテを取り戻すこともなく、不機嫌そうに病室を後にした。

 残る、私とカルテ。

「……ふふ」

 と。

 笑う。

 静かに。

「……実に魅力的だ」

 ――もはや、彼女のあどけなさに、私はメロメロだった。

「こんな紙切れの為に……」カルテを見遣りながら、呟く。「悪いことをしたな」

 ここまでの診察結果――あの藪医者だった中年ドクターが、それでも生真面目に書き立てていたのだろう、我が症状が、しっかと記された紙数枚を、感慨もなくベッドの端、足元に放り棄てた。

「……案の定、――健常者じゃないか」

 ノーマルである私を――けれども、ドクター・リリィは、退院させてやろうなどとは思うまい。

 なぜならば、精神の真髄を習っている筈の精神科医そのものが、何たることか、精神を乱して、あまつさえ声を荒げたのだ。それは、詰まる所、私にサイコパスの疑いがあるということ。

 正常と正常との間に不和は有り得ない。

 正常と異常との間には、トラブルが付き物だ。

 どちらかがプラスで、どちらかがマイナス。つまりはそういうことだ。

「医者というものは、決まって傲慢な生き物だ」

 それを嫌というほど知っている私は、だから、明日か来週、または来月でも構わない。新たな医者――美しい女性である、ドクター・リリィとの再会を、頗る心待ちにして、ゆっくりと目を瞑った。

 すでにパステルへの想いは霧散している。

「……なるほど」

 遅ればせながら、あの劣悪な看護婦の策略に、まんまと嵌ってしまったことに気が付いた。

 それでも恋に落ちた心を、制御することなどは叶わない。

 誰だって、知っている事だ。

「私は……医者には向かないな……」

 これもまた、誰もが知っている事だった。


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