第5話
地球、特に日本における宅配便サービスのレベルは異常である。
交通費だけで数万円かかるような遠方まで、千円たらずの料金で荷物を届けてくれる。
しかもその配送スピードは目を見張るものだ。旅行先から送った荷物が、本人達より先に届くことすらある。
おまけに届ける日時を指定したり、追加料金を払うことで冷蔵、冷凍にも対応し、鮮魚といった生ものを送ることも可能だ。
受取人が留守であれば不在連絡票を残し、しばらくの間営業所で荷物を保管してくれる。
荷物が紛失したり破損したりすることはほとんど無く、あった場合でも保険適用により中身に応じた補償金が支払われる。
基本的に動物は運べないが、特殊なサービスを使えばペットの輸送も可能だ。
だがそんな異常なサービスレベルを誇る日本の宅配業者でも取り扱っていないものがある。
それが『人間』である。
どこの業者にたずねても、ダンボールに詰め込んだ人間を配送してくれるところなんてない。そもそも「だったら自分で電車に乗れよ」という話だ。
だから隆也の時森配送でも人を運んだことはない。というか、それ以前に考えたこともなかった。
ところが今回、時森配送は開業以来初めての挑戦を迫られていた。
国王から依頼されたのが、王女様とある場所まで連れて行くことだったからである。
「それって、護衛って言うんじゃないの?」
という突っ込みがのど元まで出かかったが、隆也はそれをかろうじて飲み込むことに成功した。
今さら依頼を断ることなど出来ないし、一度受けた依頼は必ず遂行するのが信条だ。今回は失敗も許されているが、だからといって最初から放棄するわけにもいかないだろう。
結局しぶしぶながらも依頼を受けざるを得ない隆也は、翌日の集荷――という名の迎え――を約束して家路につき、改めて夜が明けた今日になって再び王城を訪れた。
結局目的地まで同行するのは王女だけではないらしい。王女を含めて合計三人。王女とそのお世話をする侍女が一名、それに護衛の騎士が一名とのことだった。
「すまぬ、『これだけは譲れぬ』と将軍達が引かぬものでな」
申し訳なさそうに宰相は謝罪したが、むしろ隆也にとって護衛の存在はありがたかった。ただでさえ戦闘力皆無の隆也である。王女とその侍女を抱えてコルの群れから逃げ切る自信など全くなかったのだから。
前日と異なり応接間らしき場所へと通された隆也は、そこで三人の人物と対面することになった。
ひとりは王女のお世話をするために付き従う侍女のルナミス。彼女自身も貴族の令嬢らしい。
薄い栗色の髪をアップにしてまとめ、メイド服に身を包んだその姿はまさに『ザ・侍女』である。背丈は隆也より頭ひとつ分ほど低い。が、それに反して胸のふくらみは平均以上であり、腰も見事なまでにくびれていた。
王女にはおよばないものの、これまた動画投稿サイトで『閲覧回数二百万回は堅い』と隆也は判断する。水着姿なら『五百万回いくかもしれない』とすら思えた。
「よろしくお願いいたします」
最小限の挨拶ですませたのは、自らの立場を考えてのことだろう。
もうひとりは護衛として同伴する騎士である。
宰相が言っていた将軍達の差し金であろう。差し金と言えば聞こえは悪いが、将軍達にしてみれば自国の王女を守るため、当然の配慮と言える。だからその点については隆也も文句はない。
さすがに遠出するとあって、儀礼用で使われるようなプレートメイルではなく、体力の消費が少なくすむように身軽な装備で固めていた。だが、そのおかげでムキムキマッチョな筋肉を否が応にも主張する結果となっている。腕の太さなど、隆也の倍はありそうだ。
「姫様は私がお守りする。貴様は余計な事などせず、道案内だけすれば良い」
第一声からして警戒心丸出しのセリフだった。
最後のひとりは軽装の剣士だ。
体にフィットした春苺色のレザーメイルと同色のラウンドシールドを手に持ち、腰にはロングソードを身につけていた。
どこのモデルかと問いたくなるような均整の取れたスタイル。あいにく腕は手首まで、足は脛の部分まで覆い隠されていて、素肌があらわになっているのは顔と手のひらだけだったが、それだけでも剣士らしからぬ美しさがにじみ出ている。
鎧の下に着ている少し長めのチュニックが、腰回りを飾るスカートのようにも見えた。
髪型はポニーテール状に結われ、その色は輝くようなストロベリーブロンドだ。
隆也は二、三度瞬きをして、恐る恐る訊ねる。
「え、……と。もしかして……王女様ですか?」
「もしかしなくともそうだが。トキモリ殿は昨日会ったばかりだというのに、もう私の顔を忘れてしまったのか?」
それは紛れもなく、昨日すみれ色のドレスに身を包んでいたエルシリア王女だった。
「あ、いえ……、昨日とはずいぶん雰囲気が違ったもので……。それになんだか言葉遣いも昨日とは……」
「ああ、気にするな。どちらかと言えばこちらが地だ。ドレスをまとっている時には華やかさを振りまく淑女を演じなければならないからな。まあ、あれも王女としてのつとめと思えば仕方あるまい」
隆也の中で昨日見た『儚げで可憐な王女様』というイメージが音を立てて崩れていく。女が生まれつきの女優であることを初めて学んだ瞬間だった。他の同席者が全く動じていないことからも、王女自身が宣言する通り、これが地なのだろう。
「さて、これで顔合わせが済んだわけだが」
隆也の混乱が治まったのを見計らい、宰相がその場にいる全員を代表して隆也へ話しかける。
現在この場には隆也と同行する三人の他に、国王、宰相、昨日部屋にいた将軍ふたりがいた。
「改めてトキモリ殿にお願いしたい。どうか姫が持っている革袋を目的地まで届けて欲しい」
「え?」
聞いていたのとは違う話に、隆也は思わず声をあげる。
「革袋を持っていくだけなら、俺ひとりで行けば良いんじゃないですか?」
「中身について詳しく教えるわけにはいかんが、革袋を持っていくだけではだめなのだ。姫がその場へ行く必要がある。だからこそトキモリ殿に頼んでおるのだ」
出発早々、いや出発すらしないうちにさっそく隠し事であった。隆也が先行きに不安を感じるのも致し方ない。
「『姫』と『姫が持つ革袋』、この両方を目的地に無事届けるのがトキモリ殿への依頼だ」
「その目的地というのは?」
「『壮途の地』、そう呼ばれておる」
「『壮途の地』……ですか? 具体的にはどこにあるんでしょうか?」
「これを」
宰相が手に持った羊皮紙を机の上へ広げる。それをのぞき込んだ隆也の目に映るのは、この異世界で人々が一般的に認識している世界の地図である。
「ここが現在位置だ」
宰相はその中に記された街を現す記号をひとつ指し示す。
「北東に進み、ソロール砂漠を越え、タフタン高原を進むとアルトリア山脈の東端にたどり着く。そこからさらに東へと行った先、ココモからルッセンの間にあると言われている」
街と街の間にあるどこか?
あると言われている?
とんでもなく漠然とした目的地だった。『宛先住所に不備がある荷物はお届けできません』とかそういうレベルの話ではない。
確かに期限なしというだけのことはある。確かにこれでは一週間そこらで到達するのも無理というものだろう。思ったよりもやっかいなことになるかもしれないと、隆也は内心眉をひそめた。
ルッセンの街までならたいして時間はかからない。幸い東京都内にちょうど良いポイントがあるので、二度ほど地球を経由するだけですぐに到着するだろう。
だがそこから先は手探りのような状態が続くことになる。夏休み中に依頼を完遂できるかすら怪しくなってきた。
「しかし、現地に着いたからといって、目的の場所をあてもなく探していたらどれくらい時間がかかるかわかりませんよ?」
「もちろんそうだ。だがそこは安心してよい。そのためにも姫が同行するのだからな」
「どういうことですか?」
「わしたち一般人にはさっぱりの話だが、『壮途の地』がどこにあるか、王族の方々には大体の位置が分かるものらしい」
まるで人間レーダーのような話をし始めた。隆也が訝しみながらも目を向けると、意をくみ取った王女が宰相の言葉を肯定する。
「本当だ。現に今もそちらの方向から私へ向けて何か訴えるような気配が感じられる。距離があまりに遠いので、集中しなければ気付かないほどかすかな気配だが」
国王もうなずいているところを見ると、どうやら本当のことらしい。
なるほど、だから王女の同行が必要なわけか、と隆也は納得した。さすがに現役の国王が自ら出向くわけにも行かないのだろう。
「わかりました。到着期限なしというのは確かですよね?」
隆也は宰相のタユマに向けて念をおす。
「無論できる限り早い方が良いのは確かだが、長旅になるであろうことはこちらも承知しておる」
「昨日もお話しした通り、依頼人との約束は破れません。今後はこの仕事が終了するまでよほど緊急の場合を除いて新規の依頼は受けないつもりですが、現在既に受けた依頼は約束通りお届けします。ですから今日明日の二日間は申し訳ありませんが他の依頼を優先させていただきます」
「貴様! まだそのようなことを!」
「そこに直れ! その傲慢、叩き直してくれよう!」
案の定、将軍達が騒ぎ始めるが、それを止めたのは意外にも宰相ではなく王女様だった。
「おふた方、それについては私も陛下も承知の上だ。その上でトキモリ殿にお願いをしている立場であることをお忘れなきよう。それともお二方は陛下のご決断に異を唱えるおつもりか?」
凛とした表情の王女が、有無を言わせぬ口調で両将軍に釘を刺す。
さすがに国王を持ち出されてはふたりも反論できないのだろう。大人しく口をつぐんだ将軍達から視線を隆也に移すと、王女は先を促した。
「失礼した、トキモリ殿。続きをお話しいただきたい」
「あ、……はい。えーと、ですから今日明日は皆さんに待機していただいて、その間に私は残った配送をすませようと思います。出発は三日後、ルッセンに到着するのが七日後を予定しています」
それを聞いて部屋中に驚愕の空気が満ちる。
「な、七日後だと!? 貴様! まだそのような世迷い言を!」
将軍達は再びわめき立て始める。昨日同じような驚きを味わい、多少は免疫がついているはずの国王と宰相、そして王女ですら目を丸くし、そもそも昨日の話すら耳にしていなかった護衛の騎士は胡散臭そうな視線を隆也に向けていた。
おそらく通常であれば数ヶ月、下手をすると半年近くの旅程である。それを十日足らずで踏破するなどと、正気の人間であれば鼻で笑い飛ばすのが確かに普通の反応だろう。
それが分かっているだけに隆也も強く出られないし、またその必要性も感じていなかった。彼らが信じる信じないはこの際関係がなく、隆也にとって優先されるのは受けた依頼をいかに約束通り遂行するかということのみだからだ。
「にわかには信じがたい話だが……、一体どういった方法を使えばそのように短い時間で移動ができるのだ?」
宰相の疑問はもっともであった。
「いくら依頼人といえど、詳しい移動方法については明かすことが出来ません。ただ、同行していただく方にはお見せしないわけにもいかないでしょう。……だからこそのお願いなのですが、同行していただく三名には、私が使っている移動手段を他言無用に願いたいのです」
これは絶対条件だった。隆也の使う移動方法で彼らを連れて行くと言うことは、一時的にとはいえ地球という異世界を見せることでもある。そんなものをペラペラと言いふらされてはとんでもないことになるだろうし、下手をすると隆也の身を危うくする可能性がある。
「ふむ、確かにトキモリ殿の商売において、その移動方法とやらは他を出し抜くための重要なものなのだろう。なれば他言無用というのは当然理解できる話だ。わかった、王家の名において知り得た秘密は漏らさぬと誓おう」
最初に声をあげたのはポニーテールの王女だった。
「気は進まぬが……、承知した。その移動方法を他言しないと誓う」
続いて護衛の騎士が誓いを立てる。
「わかりました。おっしゃる通り、他言いたしません」
最後に侍女が約束する。
「ありがとうございます。それでは出発は明後日ということでよろしいですか? 明後日の昼過ぎに改めてお伺いしますので――」
「いや、今日中に出発してもらいたい」
隆也の声をさえぎって宰相が異を唱える。
「なぜですか? 先ほども申し上げたように、私がご案内できるのは明後日からになりますよ?」
今日出発しても明日明後日と、どこかで三人には待機してもらう必要がある。どうせ待つなら住み慣れた街の方が良いに決まっているだろう。まして王女ならなおさらだ。
「宰相殿の言う通り、私も今日出発するのが良いと思う。既に支度は整っていることだし、親しい者への挨拶もすませた。情けない話だが、これ以上留まって顔をあわせるのも少々居心地が悪い」
理解しがたいことだったが、意外なことに王女自身が今日中の出発を主張した。おまけに護衛の騎士も、付き添いの侍女も、あれだけうるさかったふたりの将軍すらもがこの時ばかりは反対の声をあげない。隆也はその雰囲気に奇妙な連帯感らしきものを感じた。何らかの統一された意識が垣間見えたのだ。
「ではこれが報酬だ。何度も言うように、失敗したとて返却する必要はないからな」
もやもやとしたままの隆也だったが、それを解消する間もなく宰相に革袋を手渡された。するとその予想外ともいえる重さに驚き、危うく取り落としそうになる。
思わず中を確認すると、目が飛び出るような量の金貨がそこに入っていた。日本円に換算すれば、丸の内にマンションが一室買えそうな額である。
「な……! こ、これは多すぎませんか!?」
「少ないと文句を言われるならまだしも、多すぎるとは不思議なことを言うではないか」
宰相が苦笑して答える。
「いや、それにしてもこれは多いでしょう! さすがに受け取れませんって!」
「そう言うでない。それだけトキモリ殿に託した依頼は、この国にとって大事なものだと思ってもらえればよい」
予想を大きく上回る報酬の額、妙に急かされる出発、示し合わせたかのように変なところで統一された認識。それらが言い知れないしこりとなって隆也の心に不快感を呼び起こす。
さすがに勘の鈍い隆也でも、この旅が何事もなく終わるとは思えなかった。
2015/09/03 誤用修正 得も言われぬしこりとなって → 言い知れないしこりとなって (ご指摘ありがとうございました)